-
03
-
先生ときり丸と生活し始めて暫くが経った頃、先生が突然「学校が始まったらクロ、どうしようか」と呟いた。それを聞いてそういえば先生は学校の先生できり丸がその生徒だった事を思い出す。どうしようか、って別に昼間はいつも家にいないし、別に普段と変わらないのでは?と思ったがどうやら事はそう簡単ではないらしい。なんでも、先生が務めていてきり丸が通っている学校は全寮制で、新学期が始まったら今度は長期休みまで基本的に家には帰って来ないらしい。なんてこった。確かに少し温かくなって来たけどこの家に一人は嫌だと思う、寒いし寂しい。
「……忍術学園に連れていったら駄目ッスか?」
「うーん……確かに、ここにクロを置いていくよりはそうしたいんだがなぁ……」
流石にマズイだろう、と先生が言う。……ニンジュツガクエンってなんだ、学校の名前か?え、もしかして先生は忍者の先生できり丸は忍者の学校に通う生徒なの?ああでも、そういわれてみればいつだった忘れたけどきり丸が持っていた本にそんな感じの事が書いてあった気がする。しかし、忍者の学校があるとは、凄い時代だ。恐らくは室町とかその辺の時代なんだろう。そうか、でも本当にびっくりだ。
って、まぁそんな事を考えている場合ではない。今は私がこの家に一匹で取り残されるかの瀬戸際だ。一人は嫌だーと思いながら鳴けば思ったよりも低い声が出た。猫ってこんな声も出るのか……。
「クロも一人は嫌だよなぁ、」
「うーなんっ」
「ああっ、もーどうしてこうなってしまったんだ!」
先生がボサボサの頭をガシガシとかきむしった。まぁ元々この二人は私を飼うつもりではなかったし、無理矢理押し掛けた私が悪いと言えば悪いのだが、暫く生活している間に情を持ってくれたようで随分と頭を悩ませている。うーん、良くしてもらっていただけに私もなんだか申し訳ない。この家を出て行って、違う住処を探そうかと思ったが縄張りとかもあるし面倒くさい。それに何より、今更他の人間と家族になる気も起きなかった。
「…ニャアン」
「ん?どうした、クロ」
小さく鳴きながら、先生ときり丸の膝に頭をこすりつける。それから緩やかに尻尾を振って立ち上がると、戸の方へ向かって歩き出した。時刻はもう夜。夜は殆ど出掛けないからか、二人が困惑した様に私に声をかける。
「クロ、こんな時間にどこ行くんだ?」
「ンー」
「クロ!」
カシ、カシ、と戸を引っ掻いて隙間を作ると、手を入れて自分が通れるだけの隙間を開ける。そこに躯を滑り込ませて外へ出れば、少し慌てた様なきり丸の声が聞こえて、私を追い掛けて戸を開ける音が聞こえたが、夜ならば私の黒い躯は闇に溶けて見つけられないだろう。予想通り、私を見つけられないきり丸が私の名前を呼ぶのが聞こえた。
「クロ、クロ!」
「きり丸、もう夜中だ、静かにしないと…」
「でもっ」
「大丈夫、朝になったら帰ってくるさ」
だから今日はもう寝よう、そう言ってきり丸をなだめる先生。恐らく先生は私が何故出て行ったのか分かっていて、もうこの家に帰らないのも感づいているんだろうなぁ。……違う誰かと家族になるくらいなら、野良になった方がマシというもの。私は狩りが下手だし、まだ野宿を経験した事がないから色々と不安だけど、まぁなんとかなるだろう。猫だし。
それから私は、昼間に行っている猫集会で他の猫から聞いた寝るのに丁度いい場所を目指して歩き出した。猫は夜目が利くっていうのは、本当だったんだなぁ。人間の頃より道が良く見える。
――初めての野宿を終えた朝。私はいつも通り顔を洗って、それから躯を毛繕いしていた。そこに、猫集会で見掛ける猫がのそりのそりとやってくる。こいつはこの辺りのボス猫で、喧嘩がとても強いらしい。
「おお、珍しい顔じゃねぇか。今日はなんだってこんなとこで寝てたんだ?」
「いつも一緒に暮らしてた人間が私を置いて行かなきゃいけなくなったんだ。で、まぁ、他の人のとこに行くのも嫌だから野良になろうかと」
「へぇ、けど、野良はそんなに楽じゃねぇぞ?」
お前喧嘩弱いだろ、とボス猫が笑う。そうだよ悪いか、だって私元々は喧嘩とは無縁の人間だったし。喧嘩の初歩も知らないんだ、弱いに決まってる。あと痛いのも嫌だ。
ボス猫の言葉に少しふてくされながら「いいでしょ別に」と返事をすれば、ボス猫は楽しそうに笑う。何が楽しいんだか分からないけど、まぁ、彼にとっては私の反応が楽しいのだろう。なんか悔しい、猫に笑われるなんて。いや私も猫だけど。
「なんならオレの女になるかァ?苦労しないぜ」
「ヤだよ、なんで私が」
「ツレねぇなぁ」
ハハハ、と笑ってボス猫は「まぁ精々頑張れや」と言って去って行った。アイツ、性格は悪くないんだけどなんせ猫だしモテモテだから浮気するんだよな。猫だから仕方ないんだけど。そういえば猫になってから知ったが、顔が大きい猫は猫の中では男前に入るらしい。まぁアイツも顔は大きいし、猫の中では男前なんだろう。モテる理由も分かる。喧嘩も強くてイケメンって、どこの少女漫画だよ。猫だけど。
毛繕いを終え、野宿をしていた廃寺から出ていつも過ごしている町へ足を運ぶ。今日はどこへご飯を貰いに行こうかな、なんて思いながら考えていると「クロー」と私の名前を呼ぶ声が聞こえた。遠くからだから分かりづらいけど、多分先生の声だ。私の事探してるのかな?学校には連れて行けないから困ってたみたいなのに。
「クロ、どこ行ったんだ…?」
そっと物陰に隠れて先生の様子を伺えば、先生は少し不安そうな顔をしていた。先生達の迷惑になるのが嫌で出て行ったけど、もしかして失敗しちゃったかな。やるなら先生達が学校へ行く日の夜にこっそり出てくるべきだったかも。
「…アイツ、時々人の言葉が分かってるみたいな反応してたし……もしかしたら、私達の話も理解してたんだろうか」
「……」
「だとしたら、悪い事したなぁ…」
黙って先生の様子を盗み見する私を知って知らずか、先生は盛大な独り言を漏らす。まぁ確かに私は(元々人間だから)人の言葉を理解してるし、理解した上での行動をとる事が多い。でも所詮は猫なのだ。しかも私の場合は勝手に後を付けて家に上がり込んだ図々しい猫。そこまで気に病む事はないのに、と思ったけれど、先生が私の事を思ってくれるのが少し嬉しかった。