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今日はとうとう先生ときり丸が町を出て学校へ行く日だ。何故分かるかというと、二人ともいつもと違って家の戸締まりをしっかりして行っているし、風呂敷に包んだ荷物を肩から下げているからである。そんな二人を屋根の上からこっそり見る私。私が家を出てから、二人とは一度も顔を合わせていない。きり丸は浮かない顔だ。
「先生、クロ大丈夫っスよね…」
「…初めて会ったところのうどん屋さんには今でもご飯を貰いに行っているみたいだし、元気ではやっている筈だ。もうそんな顔するな」
しょんぼりした様子のきり丸の頭を、先生が撫でる。やっぱりきり丸はまだ子供だ。忍者の勉強をしている、ちょっと普通じゃない子供ではあるけれど。そんなに長い間一緒にいた訳じゃないのにこんなに寂しそうにしてくれるなんて、猫冥利(?)に尽きるなぁ。
上機嫌にしっぽを揺らす私に気付かないまま、先生ときり丸は戸締まりを終えて学校へと向かって歩き出した。それを見て私も立ち上がり、屋根の上を伝う様にしてゆっくりと歩き始める。昔はこういう高い所を歩くのが苦手だったが、猫になってからは全然平気だ。もし滑ってもちゃんと足から着地出来るくらいの運動神経もあるし、なんだかんだで人間だった頃よりも便利かも知れない。ふんふん、と鼻歌を歌いたい様な気持ちで高い所から2人を尾行していると、初めて2人の家に行った時を思い出す。ずっと困った顔をしていたのに、私が家にまで入ってくると「仕方ないなぁ」と困り顔のまま笑ってくれた先生。それから、「オレ、名前つけたい!」と私をゆっくりと抱きかかえて、私にクロという名前をくれたきり丸。懐かしい、とても優しい思い出だ。
それから先生ときり丸は、ずっと歩いて町を出て山道に入った。話している内容からすると、しんべえ、とらんたろうというきり丸の同級生と合流して、それから学校へ向かうらしい。「しんべヱ、また太ってないといいけど」と笑う姿からして、そのしんべえくんとやらは少しぽっちゃり気味の子のようだ。
2人の後をこっそり付けて歩く私。そう、もうお分かりだろう。私はこのまま忍術学園に乗り込んで勝手に住み着く予定なのだ。先生達の家を出てからの野良生活は、当然野宿をしていたのだがやはり野宿は寒いし一人で寂しい上、下手な所で寝ると他の野良と喧嘩になってしまうという難点があり、やはり私には合わない。先生達はマズイって言っていたけれど、私が小学生だった頃は普通に校舎裏とかに猫の家族が住み着いていたし、なんだかんだ許してくれるんじゃないかと思って。駄目って言われた時の事は何も考えていないけど、なんとかなると思いたい。
それから先生ときり丸はそのしんべえとらんたろうと合流して、また更に山道を抜ける。ずっとずっと歩いて、そろそろ疲れて来たと思った頃に聞こえて来た、沢山の子供の声。それから、見えてくる大きな門。随分と立派なそれは、恐らく人間の姿で見ても大きいんだろうけど、猫の姿で見ると余計に大きく見えた。
私は先生ときり丸達が中に入って行くのを見届けてから、校門近くの木によじ登ってそこから中をのぞく。そこは、2人が言っていた様に確かに学校の様で、きり丸と同じくらいの子供達が水色の井桁模様の忍者服(?)らしきものに袖を通しているのが見えた。他にもいくつか違う色の制服があり、恐らくはあの服が制服なのだろうと予想を立てる。しかし、この時代だとこんなに大勢が忍者の勉強をしているのか。あ、女の子もいる。くのいち、って言うんだっただろうか。
「あ~、ねぇ見て、あそこ!猫がいる!」
「ほんとだ、珍しいね」
足下から子供特有の高い声がして下を見れば、きり丸と同じ年くらいの子達が私を見上げて指差していた。可愛らしい柔らかい顔立ちの、何かの壷を抱えた子と、少しキリッとした印象の子だった。返事の代わりにしっぽをゆらゆら降ってあげれば、2人は楽しそうな顔で笑って、また他の子と同じ様に校門をくぐって行った。
それから、私も中に入るべく、登った木の枝の先端を目指す。作戦としては、流石にあの塀をジャンプで越えるのは難しいのでこの木の枝から塀の上に飛び移り、それからこの学園に侵入する予定だ。もしかしたら忍者の学校だし侵入者対策がされているかも知れないけど、人間用だろうし、まぁ気をつけていれば大丈夫だろう。ゆっくりと枝の先まで歩いて、足に力を込める。塀まではそこそこ距離があって、ギリギリ飛べるか飛べないかくらいだ。
ふんっ、と思い切り枝を蹴って、塀へとジャンプする。ギリギリ上半身が塀の上に届き、先についた前足に思い切り力を込めて爪を立てて、落下を防ぐ様にして塀の瓦を掴んで、下半身も塀の上へ持ち上げた。落ちるかと思ったけれど何とかなったようで、私は現在忍術学園の塀の上だ。そっと塀の下を覗くも、特に罠などはなさそうだった。
ぴょい、と塀から降りて忍術学園の中へ入った、その時だった。
「入門表にサインくださ~~い!!」
大きな声がして、此方へ走ってくる人間が見えた。黒い忍者服に身を包んだその人は、入門表と書かれた紙を挟んだバインダー(!?)と、筆を持って真っ直ぐと此方へ向かって来て、それから吃驚して固まっている私の前で足を止めた。
「…って、あれぇ?猫ちゃんだったんだ~」
ふにゃんとした間延びした喋り方。固まったままの私に、その男はしゃがみ込んでこんにちは~なんて声をかけてくる。着ている忍者服の胸元には事務員、と書かれていてこの男がこの学園で働く職員だという事が分かった。そして、この学園に入る人間にはこの入門表にサインする必要があるのだ、と言う事も。(今更だけどサインって)
「猫ちゃんは…サインは要らないよねぇ?」
「にゃー?」
「あはは、返事してくれてるみたい」
私を見つめて首を傾げたその男に合わせて、私も首を傾げる。それから、小脇に抱えた彼のバインダーをちょいちょいと手で引っ掻くと、彼はそれを私の前に差し出してくれた。「これは、入門表って言って学園に入ってくる人みんなにサインしてもらってるんだ~」そう言って笑う男に、ならば私も、と思ったが今の私じゃ文字が書けない事を思い出す。うーん、どうしようかと思ってから、彼が持っていた筆にそっと肉球を押し付ける様に猫パンチをして、それからその手を入門表へ押し付けた。
「えっ!これ、もしかしてサインしてくれたの?頭のいい猫ちゃんだなぁ」
「んー」
「はい、じゃあサインしてくれたからご自由にどうぞ~」
罠とかには気をつけてね、と笑って見送ってくれるその男に尻尾を振って返事をすると、私は先生ときり丸を探す為に歩き始める。犬程は鼻が利かないのでそこまで正確に追跡は出来ないが、なんとなくこっちかなと思う方向に歩いて行けば、校舎らしき場所。ワイワイと子供の活気ある声が聞こえる事から、恐らくここが教室なのだろう。きり丸の匂いもするし、中から本人の声もする。そっと障子に近寄ってかりかりと戸を引っ掻いて開けると、中には10人程の少年達の姿があった。
「あれ、猫だー」
「ほんとだ、どこから来たんだろう?」
開けた隙間からするり、と躯を滑らせて入り込むと、少年達の目が一斉に私に注がれる。人間だった頃にもこんなに注目された事は無いので少し緊張したが、それを表に出さない様にしながら教室にいる少年達の中から目的の姿を探し出す。――きり丸だ。
「! クロっ!?」
「ニャアン」
わいわいと騒ぎ立てて私を囲む様にする少年達の合間を抜け、私の名前を呼んでくれたきり丸へと擦り寄ると、きり丸は少し泣きそうな顔をしながら私を抱きしめてくれる。ぎゅー、と思い切り抱きしめるものだから少しだけ痛かったけどきり丸が可愛いので許す。きり丸のつけてくれた名前通りの私の真っ黒な尻尾は、上機嫌に揺れていた。