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誤解
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虚様とはその後も時折会って話すようになった。
今日も虚様の部屋を訪れて世間話をしていると、虚様は楽しげににこりと笑った。
「君と話していると、君の魅力を感じます。君に言い寄る男は多いでしょうね」
「……いや、そんなにいませんよ」
「そんなにということは、何人かいるのですか?」
「……まあ、数人は」
この人と話すのは慣れないな……と思いながら内心で苦笑する。
「君はそういう男と交際したことがありますか?」
「……ないですね。……心に決めた人がいたので」
朧くんに恋をして、彼との約束を信じていた私は、恥ずかしながら男と付き合った経験がなかった。
虚様は興味深げに私を見る。
「心に決めた人がいた……過去形なんですね」
「……はい。先日その男にフラれましたから」
「ほう。こんな美しい人を振るなんて、その男は愚かですね」
虚様は笑顔で言って、楽しげに続ける。
「つまり君は今は交際する相手がいないということですね。これはチャンスですね」
「チャンス?」
「はい。……私は、君を狙っているんですよ」
射抜くように見据えられ、ゾクリと肩が震える。
「いやいや……ご冗談を……」
ひきつった笑みを浮かべると、虚様は私に手を伸ばし、私の手首を掴んだ。
「……冗談ではないと言ったら?」
「……!」
虚様に触れられた恐怖から目を閉じる。
そうして虚様の雰囲気に呑まれそうになった時、扉が叩かれる音がした。
「虚様、朧です」
(!朧くん……!)
安堵から息をつくが、虚様は私の手首から手を離さない。どころか、私の肩に手を回した。
「……!」
「朧、入っていいですよ」
扉が開かれて、銀髪の男が入ってくる。
男は私と虚様を見ると目を見張り、私達を凝視した。
「…………お取り込み中のところ、失礼しました」
長い沈黙の後、男は頭を下げて、部屋から出て扉を閉めた。
(お取り込み中って……絶対勘違いされたよね……)
焦りが湧き上がり、虚様の手を振り払って「失礼します!」と慌てて部屋から出て、男の姿を探す。
暫く走って男の背中を見付けた私は声を張り上げた。
「お……朧くん!!」
男はピタリと足を止める。
「……虚様はどうした」
「う、虚様はその……違うっていうか……」
「虚様が特定の女を気に入るのは珍しいと思ったが、お前が虚様とそのような仲になっていたとはな」
冷え冷えと男が言う。
(完全に誤解されてるな……)
虚様め……と呪いたくなる気持ちを抑え、私は真っ直ぐに男を見据える。
「あの、誤解だから。私とあの人はそういう仲じゃないから」
「……隠す必要はない」
「だから、違うから。あの人がいきなり手首を掴んできただけだから」
「……お前を抱き締めていたように見えたが」
「抱き締めてないです!肩に手を置いただけ!」
男と言い合いながら、デジャブを感じる。
――朧くん、誤解だから!私とあの人はそういう関係じゃないから!
――蓮ちゃん……隠さなくていいよ。
――だから、違うから!あの人がいきなり頭を撫でてきただけだから!
懐かしい記憶を思い出して、笑みを浮かべる。
「……何を笑っている」
「いや、前にもこんなことあったなって。あの時も朧くん、私が違うって言うのに聞かなかったんだよね」
此方に顔を向ける男を見返しながら、嗚呼、そうかと理解する。
(朧くんは、変わったけど変わってないんだ)
大人になって確かに冷たくなったけれど、根っこの部分はきっと変わってない。
尚も疑っている様子の男に、私ははっきりと告げた。
「私があの人とそういう関係になる訳ないじゃない。私は昔から……貴方一筋なんだから」
口にして、嗚呼、そうだったのかと納得する。
(朧くんは変わったけれど、私は変わらず朧くんを……この人を想い続けていたんだ)
男は茫然と私を見つめていたが、やがて私から視線を外した。
「…………俺は、お前との約束を叶えることが出来ない」
約束。その言葉に目を見開く。
「覚えていたんだ……」
嗚呼、と頷き、男は苦しげな顔をする。
「俺では、お前を幸せにすることは出来ない。だからお前の気持ちには応えられぬ」
――……彼奴のことだから、どうせ暗殺者の自分はお前を幸せに出来ねぇとか思って身を引いてるんじゃねぇか?
柩さんの言葉を思い出し、嗚呼、柩さんの言うことは当たってたんだなと思いながら、口を開く。
「私は、結婚出来なくても、子供が出来なくてもいい。ただ、朧くんがいてくれればそれで……」
その先は声にならずに俯くと、朧くんが私に近付く気配がした。
「蓮……」
朧くんの手が、私の頬に添えられる。
「…………朧くん。私……朧くんのことが好きだよ」
あの日と同じように自分の気持ちを伝えると、朧くんは私を見据えた。
「……聞かせてくれるかな?朧くんの気持ち」
朧くんは迷うような顔をしたけれど、やがて意を決したように口を開く。
「……蓮。俺も……お前が好きだ」
朧くんの告白に――あの日と変わらない想いに目を細める。
「同じだね」
私と朧くんは見つめ合った。
「すみませんが」
不意に明るい声が聞こえて、はっとしてそちらを見ると、少し離れた場所に虚様が立っていた。
慌てて朧くんから離れると、虚様はにっこりと笑った。
「部下の女性事情には口出しする気はありませんが、朧……君がうかうかしていたら蓮は私が貰いますからね?」
笑顔でそんなことを言って、虚様は去っていく。
虚様の姿を見送った私は、はぁ、と息を吐き出した。
(冗談なのか、本気なのか……)
相変わらず読めない人だなと思っていると、朧くんがばつが悪そうな顔で私を見た。
「……え、えと。とりあえずよろしくね、朧くん!」
朧くんに笑いかけると、朧くんは私を見つめて、ふ、と口許を緩めた。
「嗚呼」
私と朧くんの関係は変わっていく。
でも、私のこの想いは変わらないだろう。
朧くんの微笑みを見ながら、私は喜びを噛み締めて、笑みを溢した。
end.