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1話
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すずるは困惑していた。体育の授業で派手に捻挫していつもより早い電車に乗った。
車内は、どうしてか伊達工生でごった返していた。満員とはまではいかないが、座席のほとんどは埋まっている。
伊達工業高校。となりの駅にある工業高校で、多くの生徒が男子。つまり車内は男まみれだった。すずるは困惑していた。
すずるの通う紅葉原高校は伊達工業高校の隣校に位置する高校で、男女比はほぼ1:1である。しかし、すずるは困惑していた。こんなに大勢の男という生き物に一人で囲まれたことは一度たりともない。
自分が乗った紅葉原駅はほぼ紅葉原生が使う駅で、この時刻に乗車してくるひとはほとんどいない。現に、いまこの電車に乗車するのは近所の名前も知らない奥さんと、すずるの二人である。2両しかない車両にばらばらに乗車するものだから、すずるが乗っていた伊達工生の注目を浴びるのは当然である。
じろり、と伊達工生の目がすずるを捕らえる。実際そうしたのは、ほんの一部の伊達工生だったが、すずるが畏縮するのには充分な威圧感だった。そして、不運なことに優先席はお喋りに夢中ですずるのことなど目に入ってもいない一団が占めていた。
当然、痛む足を庇いながら乗車するすずるのことなど気づいてもいない。座席を探すが、点々と座られている座席にすずるが入り込むほど余裕のある隙間はなかった。仕方なく、反対側のドアに背中を預ける。家の最寄り駅までの五駅、うち三駅は続いて開かないドアだ。
一息つくと、斜め前に座る伊達工生と目が合う。斜めにかけられた鞄が、他のひとより一回り小さく見えるほどガタイのいい男の子。じろり、と向けられた目からすずるは素早く視線を落とした。
(眉毛!ない!!)
些細なことであったが、すずるをビビらすには充分だった。
(怖っ…伊達工生、怖っ)
電車の発車でバランスを崩したとき挫いた左足に負担がかかる。手すりにつかまり、静かに悶絶しているとき、視界の端で誰かが立ち上がった。
顔を上げると、目の前にさっきの眉毛のない伊達工生。北海道の山中で、よくヒグマと遭遇するひとがいるというがきっとこんな感じだろう、という圧力。
「ひ…あ、あの、なにか…?」
うっかり悲鳴をあげそうになるすずるに、彼は自分が座っていた席を無言で指差した。座れ、ということらしい。
「あ…りがとう…ございます…」
重たい手持ちの鞄を持ち上げ、席まで持っていってくれた彼は、見た目に反して案外いい人なのかもしれない、とすずるは安堵した。
彼が座っていた席は一番隅だったが隣には2、3人は座れそうなスペースがあった。それこそ、すずるの鞄を座席に置いても充分なスペースが。しかし、先程の伊達工生の男の子(このとき、すずるの脳内では眉なしくんとしていたため、以下眉なしとする)はすずるの隣、ドアの前で外を向いたまま立っているのであった。
「…あの…」
三駅通過した時点で、すずるは意を決して眉なしに声をかけた。眉なしは突然声をかけられ、驚いた顔をした。
「あの、ええと、座られ…ないんですか…?」
「…」
「あっ、駅…次とかですか…?」
「…」
答えはNoのようだ、首を振られた。「どこまで乗るんですか?」と訊ねると、定期券を見せられる。あと四駅も先だった。
「あの、座ってください…なんか、申し訳ないので…」
鞄を膝の上に乗せながら、すずるがそういうと眉なしはおずおずと少し間隔を開けて座った。
次の駅で降りなければいけないという時に、すずるは再び眉なしに声をかけた。
「あの…なんで今日、伊達工のみなさんこんな多いんですか…?」
「…試験」
ぼそり、と呟いた声は子供が聞いたら泣き出してしまうのではないかと思うほど低い声だった。が、すずるは眉なしが悪いひとではないことを感じていた。
「ああ、なるほど…伊達工って試験、うちより一週間早いんだ…」
「…」
すずるの独り言に、眉なしはコクンと頷く。この段階ですずるはこの眉なしに、特異な興味を持っていた。周囲が眉なしに普通に話しかけているすずるに、少し怪訝な眼差しを向けていたがすずるの眼中にはない。
次の停車駅を告げるアナウンスが入って、すずるはのそのそと立ち上がる。揺れる車内で、眉なしに深々と頭を下げて礼をいった。
「お座席譲ってくれて、助かりました」
「…」
そんなすずるに、眉なしもペコリと頭を下げて応える。頭を上げるとき、眉なしの鞄に刺繍された名前をちらりと見る。
(青根…)
すずるは「ありがとうございました」と笑う。その笑顔に、青根は酷く動揺した。彼の人生において、自分にあんな笑顔を向けてくれた初対面の異性は、残念ながらいままで会ったことがなかった。(そもそも、伊達工業高校はほぼ男子校だ)
それが、青根高伸が街野すずるに出会った日のことである。

2013/06/13