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初めまして、よろしくね
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ヨコハマには裏を牛耳る非合法組織がある。
やることなすこと極悪非道。裏社会きっての残忍卑劣悪劣な組織。
名をポートマフィアという。
そのポートマフィアには今、マフィアになるために生まれてきた男と称される青年がいた。
「これは又、随分派手だねぇ」
黒の外陰に頬にはガーゼ、全身を包帯に覆った闇の化身。
ヨコハマの、海に近い倉庫街にある、弱小組織の拠点だった倉庫を見聞していた彼ーーー太宰治である。
歴代最年少幹部も秒読みだと言われている太宰は、中の惨劇をまるで猫に引っ掻かれたかのように呑気に漏らすが、実際はそんな可愛いものではない。
可愛さの「か」の字の欠片も感じられない惨たらしいそれがそこにはあった。
地獄絵図とはよく言ったもので、倉庫の中は赤の絵の具を塗りたくったような、夥しい赤赤赤。生きているのは騒ぎを隠蔽しようとやって来たポートマフィアの面々だけだった。
素人目にも20人近い武装した男が全員、抵抗する間もなく刃物のようなもので絶命しているのが見て取れる。
この手の手口で弱小組織が消えたのは今月に入って4件目。
どう考えても異能力者の仕業であることは明白で、しかも殺戮に特化した異能。
そんな有能物件を合理主義者であるポートマフィア首領 森鴎外が見逃すはずもなく、次期幹部である太宰はその異能力者の捜索と勧誘を命じられていた。
が、しかし、手掛かりは殆ど掴めていなかった。
分かっているのは犯行時間は決まって夜。非合法組織に所属しているようだから当たり前だが。
鋭利な刃物で切り裂く異能。
あとは。
「桜の香、か」
鉄臭い匂いに紛れて、今回も残る僅かな桜の香りに太宰は今回も骨折り損かもねぇとボヤいた。
※
その日、咲野は昼間から外にいた。ヨコハマを一望できる大きな公園で、広さも遊具も他の小さな公園よりも特別待遇。遠くでは子供のきゃーきゃー遊ぶ声が聞こえるがここは別空間化のように閑散としていた。
それをいいことに咲野は、大きな広葉樹の下に設置されている白い長椅子(ベンチ)に独占して本を読んでいた。
咲野は本が好きだ。
本を読んでいる時だけは自分を忘れていられる。そして、知らないものを知ることができる喜びを本は教えてくれるから好きだった。
完璧に一人になるということはできないけれど、それでも自分だけの世界にどっぷり浸かり込めるこの場所は咲野のお気に入りである。
普段ならば、この静かな空間に踏み入られることなく只管黙々と本を読み進めるのだが、今日はどうやら違ったらしく文字を追う目に黒い革靴が映り込んで無意識に目を上げた。
黒が見えたら顔を上げるのはもう慣れのようなものだった。
「こんにちは、お嬢さん」
「…こんにちは」
挨拶をされ、反射的に返す。そこにいた人はとても黒かった。
髪から何まで黒く、その上全身は大怪我を負っているのか包帯だらけ。頬にはガーゼを貼ってあり大の付く怪我人というのは見れば分かった。
青年は、全く持って不審者丸出しの風体だったが、それを打ち消すほど彼は美しい人だった。男の人に美しいとは褒め言葉ではないかもしれないけれど。
にこり、と口元は笑う青年は咲野が知る誰よりも端正で、世界にはこんなにも綺麗な造形の人間がいるのかと思わず凝視してしまう程に。
「そんなに見られると流石の私も照れてしまうのだけど」
「…御免なさい」
「うふふ。しかし、将来有望なお嬢さんに見詰められるのも悪くはない。寧ろ役得、というやつだから良いのだよ」
「は、はぁ…?」
青年の困ったかのような声に、確かによく知りもしない子どもに穴があくほど見られたら居心地が悪かろう。
不躾なことをしたと謝るが、返ってきたのは小説に出てくるかのような軟派な言葉で咲野は困惑した。
終始ニコニコする男に咲野は、生返事を返してしまうがそれも仕方の無いことだった。
まさか10歳かそこらの少女を軟派する男がいるなど咲野の少ない人生経験で初めて知ったのだから。
居心地が悪そうに視線を逸らす咲野をまるで面白がるかのように見ていた青年ーーー太宰だったがその後ろに聳える立派な広葉樹に気が付くと、彼女をおいて巨木に手を付いた。
「これは、立派な桜の木だねぇ」
「はい?」
咲野の背後には広葉樹ーー桜があった。樹齢もそこそこいっている木は中々に見事な枝を巡らし存在感を放っている。花が散り終えていることがとても残念だ。
桜を見上げ愛おしげに呟く太宰に咲野は、もしかするとこんな風体だが植物学者かと口を開こうとする。が。
「いやぁ、何。私は自殺が趣味でね、この木はいい首吊り要件を満たしていると思って」
「…木の下にでもうまる気ですか?」
「桜の木の下には死体が埋まってるらしいからねぇ、それも良いかもしれないなぁ」
「…」
恍惚に桜を見る青年にあ、駄目だ。完璧に危ない人だ。と咲野は察した。今日だけで初めての体験だらけだが、確実にしなくてもいい体験をしている。
自分が身を置いている組織も大概危ないがこの人はその遥か上を行く危険度だと察知した咲野の行動は早かった。
元よりそのような組織に見を置いているから危機察知能力は並のそれを超えている。
太宰が背を向けていることをいい事に、長椅子から降りてそろりそろりと後退した。手にはちゃんと本を持って。
「ところで、」
「はい」
足に力を入れて走り去ろうとした所で、太宰はタイミング良く振り返った。逃走は失敗である。
「私は太宰。太宰治というのだけど、君は?」
「……」
ニコニコ笑う青年こと太宰に尋ねられた咲野は一瞬目を泳がせる。
裏社会に、しかも弱小組織に身を置く咲野にとって名を名乗ることは危険極まりない行為だった。名が分かれば、なし崩しに大抵のことは分かってしまう。
かと言って今名乗らないのも不審に思われる上に、礼儀がなっていないだろう。法を犯している時点で礼儀も何も無いのだが。
それを一秒未満で考えを巡らせ最善策を選んだ咲野は、怖ず怖ずと口を開く。
「咲野です」
「……そう。よろしくね、咲野ちゃん」
「…はい」
一瞬だけ、細められた暗い目に咲野はあのひとを連想させる闇を見た気がした。そして、この「よろしくね」がただの仲良くしてほしいという意味でないことにも気が付いていた。
立ち話も疲れるから座ろうか、と先まで座っていた長椅子をポンポン叩いて促して来る太宰に咲野は逃走を諦めて元の定位置へ戻る。
「咲野ちゃんはここへよく来るんだね。こんな穴場を知っている位だし」
「はい。天気の悪い日とか都合の悪い日以外はここにいます」
咲野は太宰の言葉に頷いた。
ヨコハマへ戻って来て1年。ほぼ毎日咲野はここへ通っている。
それ以外だと図書館若しくは書店に通う日々だ。
それに太宰はこてん、と首を傾げる。
「どうして?咲野ちゃんは外で遊び回るよりも室内でじっとしている方(タイプ)じゃない?」
思ったよりも踏み込んでくる太宰に咲野は「……居心地が悪いので」とだけ答える。
実際、嘘はついていない。あの拠点は酷く息がし辛いからよく昼間はこうして外に出ている。夕方にはいつも戻って1日を終える。
太宰は「そう」と初見の咲野から見ても何かを企んだ目で彼女を見遣る。
何を企んでいるのか。咲野はそう尋ねようとした。ら、それよりも先に太宰が人受け良さそうなそこらの大人の女性なら一撃で落ちる恍たる笑みを浮かべる。
「なら、咲野ちゃん。私と逢引に行かないかい?」
「……はい?」
「だから、逢引。行こうか」
提案、とは言いながらもほぼ強制のような物言いに加えて、逃さないように手を繋いできた太宰に咲野はこれはやっぱり逃げたほうが良かったのかもしれないと、了承もなく手を引くその黒い後ろ姿を見て後悔した。
何が彼の気を引いたのかは知らないけれど、とんでもないのを引き寄せてしまっている。
そして、近い未来何を切り込んでくるのか心当りがあり過ぎて咲野は、何も具体策が用意できそうになかった。