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「セト」
ふいに呼ばれた名前に過去へと遡っていた私の思考が現世へと呼び戻される。
「あ……ごめんなさい。ちょっと考え事してました」
ダイニングテーブル前に座るロイへ温めたシチューとパンを並べ終え、私は向かいの椅子へと腰を落とした。
「何か悩み事かね」
パンをちぎり口に含みつつ彼が聞いてくる。それにいいえ、と答えながら一緒に入れたお茶に口をつけた。
「私が錬金術師になった理由を思い出していたんです」
「母親の事か」
「そう、ですね。母の事とアルフォンスの事……後貴方に胸ぐらを掴まれ怒鳴られた事」
クスリと笑いながら言えば、ロイはいたたまれない様な表情で頬をかいた。
「あれはすまなかったと思っているよ。怒りに任せてとはいえ女性の胸ぐらを掴むのはやりすぎた」
「いいえ。それに関しては私は気にしてませんよ。むしろあの事がなければ今頃私は世捨て人になっていたかもですし」
母の人体錬成に失敗した私は放心状態だった。
弟の身体を犠牲にし、錬成した母は人ではなかった。その現実を目の当たりにした私の心は死人同然だった。
そんな私に、突然現れたロイはこう言い捨てたの。
『絶望のまま一生を終えるか、可能性を求めて軍にこうべを垂れるか』
『そこに可能性があるなら、元の身体に戻るために前に進むべきだろう。たとえそれが泥の河だったとしても』
その言葉は真っ白な無の私の心にまるで乾いたスポンジの様に染み込んだ。
真っ暗だった世界に一筋の光が差した。そんな瞬間だった。
「感謝はしていますよ。あの事がなければきっと今でも私はリゼンブールのあの家にいたと思う」
旅に出ようとも思わなかっただろうし、どうしていいかもわからなかったはず。
けど、そんた私の希望も1度潰えそうになった事がある。
イシュヴァール。それだけで世間は私に冷たかったの。どこに行くにも嫌な顔をされた。でもそれだけ先の対戦は民の心に深い深い傷を落としたのだ。
命の危険さえあった。差別な言葉もたくさん投げられた。辛くて涙を流したことなんて何度あるだろう。
そんな折、ロイから提案された事があった。
『私の妻にならないか』
と。
アメストリスの軍大佐。その地位がどれ程今のこの国で影響があるか私でも知っている。
少なからずとも差別的な言葉でなじられる事は少なくなるはずだと。
でもその変わり、有事の際は彼の願いを聞くこと。それが例え争いの地の最前線でさえも駆け付ける事。それが彼との契約だった。
彼は錬金術師としての私を欲し、そして私は自身の立場を守るための盾を彼に欲した。
そう、これは契約なのだ。
等価交換という、関係なのだ。
でもたまに。本当にごく稀だけれど。
「ケガだけはしない様に。君は無茶をするからな」
「あら、それはお互い様でしょう?」
こんなやり取りを交わすと、錯覚してしまう。私は彼に愛されてるのではないかって。
錯覚してしまう。私は彼を愛してるのではないかって。
そんな事、あるはずないのに。
「明日は早いの? ご飯を食べたら少し休んだらどう」
「残念ながらこのまま司令部にとんぼ返りでね。着替えとシャワーをしたらそのまま戻るよ」
「そう……」
しゅん、と残念そうに眉をよせれば彼が困った様に微笑む。
「そんな顔をしないでくれないか。もどりたくなくなる」
「そんな事したら私がホークアイ中尉に怒られてしまうでしょう。お仕事はちゃんとしてください」
ツンっとそっぽを向いて食べ終えた食器をテーブルからひいていく。そんな私の姿に「つれない」とロイは肩を竦めた。