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入院生活は約3週間程続いた。その間アルフォンスには賢者の石の情報を。私はセルノヴァの情報を調べた。調べた、というより勝手に耳に入る事が多かったけれど。
退院翌日。最初は1週間だけと思っていたイーストシティ休暇。大幅に遅れてしまっていた出発を伝えに軍部に行くと不機嫌な顔を露骨に出した男に一蹴りされてしまう。
「ダメだ」
「行きます」
「だ、め、だ」
「い、き、ま、す」
「断る」
「無理です」
「却下!」
「承認しなさい!!」
この押し問答を始めてかれこれ30分は経ったかしら? 半ばムキになりつつあった私達2人の間に、間の抜けた声が割り込む。
「あー……いい加減許してやったらどうですか大佐」
短くなったタバコを咥えて仲裁に入ったのはジャン・ハボック少尉。ロイの腹心の部下で私とはお茶飲み友達でもある。たまにイーストシティに帰ると、アルフォンスと一緒に御飯に連れていってくれる私達にとって兄のような人。
そんな部下の言葉にもロイは聞こえないといった素振りで、ホークアイ中尉が渡してくる書類にサインを書いて横につんでいく。
「西の町で賢者の石に関する情報が入ったんです。ここからなら汽車で1日くらいだし、いいでしょ?」
「何を言ってる。1日だろうが2日だろうが死にかけた人間が退院した翌日に旅に出るなど許可出来るわけなかろう」
「死にかけてません。ただちょっと心拍が落ちただけだって先生がおっしゃってました」
「人間心臓がとまったら死ぬ。心拍が落ちるという事は死にかけたと一緒だろう」
退院後聞いた話。あの日運び込まれてすぐの私の心臓は、血の循環を司る血管が全て破れてしまった状態だったらしい。その血管を繋げる治療をして、通常通り体中にまた血がめぐるようにしたけれど不整脈として後遺症が残ってしまったとのこと。
後遺症と言ってもそんな大事な話ではなく、前より息切れがしやすくなったり貧血になりやすいというだけで普通に生活する分には支障はないと。
なのにそれを聞いたロイはこんな状態、というわけ。
「別に暴れる訳じゃないでしょ? ちょっと行って本を読んで帰ってくるだけじゃない。何をそんな心配する事があるんですか」
「傷の男がまだ捕まっていない。君が生きてるとわかったらまた狙ってくるかもしれんだろう」
「次は負けません!」
「次は死ぬかもしれんだろう!」
「死なないわ。私の体術のレベル貴方も知っているはず。あの内戦で貴方率いる一個隊を潰したのは私よ、もう忘れたの?」
ダンッと執務机を殴りつけながらいえば、背後で「そうだったんスか?」というハボック少尉の声と「ええ」と頷くホークアイ中尉の声が聞こえる。
ああ、また余計な事言ってしまった……。
「そんなにその本が気になるなら私が取り寄せる。君は家にいて安静にするんだ」
「しました、3週間。3週間もよ? もう十分でしょ」
1週間でも長い方なのに3週間もいた。ゆっくりはしたわ十分。
このまま言い合いをしていても埒があかないと踏んだ私は、最終手段に出る事にした。
「大体、貴方との結婚する時の条件に提示したでしょ。私は家にはおさまらないって。そしたら貴方はなんて言いました? 私も家にいてただ守られるだけの女性はごめん被る、こう言ったでしょ? お互い外で元気が一番。そう言ったのは貴方よ」
「それは、だが」
私の言葉にやっとロイの言葉が濁る。そのチャンスを私は見逃さず畳み掛けるように話を続けた。
「それでもいいと言ったのは貴方だわ。お互い束縛しないって約束。それを自ら破るのね? だったらいいわ私は今日限り貴方の妻をや……っ「わかった」
先の言葉はロイのその言葉によって遮られてしまう。
はああああああ、とこれでもかという深い溜息をついて書類に置いていたペン先をハボック少尉へと向ける。
「西部行きの切符を用意してやれハボック」
「アイ・サー」
結局折れるのか、と言いたげなニヤニヤとした視線を上司に向けつつ敬礼をしてハボック少尉が執務室を出ていく。去り側お互いガッツポーズをし合えば、ホークアイ中尉が困った様に微笑んだ。
「だが退院して次の日、とは些か急ぎすぎやしないか。せめてあと1日はゆっくりしたらどうかね」
「そうね。別に急いでいかなくても本は逃げたりしないわ」
これには流石のホークアイ中尉もロイに1票と手をあげた。
「大佐の家に戻りたくないなら私の家に来る?」
「おい中尉。それは流石に失礼じゃないかね」
「あら、そうですか? 早く出ていきたい理由があるのかと思ったものですから」
「…………」
閉口。
うーん、ホークアイ中尉のお料理は魅力的だけど流石にそこまでしたら拗ねちゃうかしら。この人変に子供だもの。
「とても嬉しいお言葉ですが、今日はこのまま大人しく家に戻ります。大佐が退いて下さったんだから次は私が退かなきゃ。等価交換、でしょ?」
ね? と不機嫌なままのロイに笑いかけながら「あ、でも」と続ける。
「今日帰ってきてもこなくても明日出発しますのでそこはお願いしますね」
遠回しに今日早く終わらせて帰ってこないと私は暫く帰ってこないぞと脅しを込めて。本を読んで帰ってくるだけ、と言っても2・3日で帰るとは言っていないのだ、私は。
ロイは苦笑いを浮かべつつ、中尉に渡される書類へのサインを再開させた__。
出発の前夜だといっても、私達の間に通常の夫婦の様な甘い時間がある訳では無い。
「これはなんです?」
帰って来るなり手渡された紙の束に目を細め彼を見た。
「西部行きのチケットを購入している最中不穏な話をハボックが聞いたらしくてな。調べさせた。その報告書だ」
言われ、1枚目に目を通してみる。内容は西の街に太陽神を崇め奇跡の業を使う司祭がいるというものだった。
「太陽神……」
言葉にするなり口をへの字に曲げた私を、ロイはソファーに腰掛けながら面白げに仰ぎ見た。
「同じ太陽神を崇める巫女として放ってはおけないのではないかね」
「別に他教をどうかとは言いません。それぞれ信ずる神は違いますもの。ただ聞いた事ないなぁ、と」
「噂によれば〝奇跡の業〟というやつで民の支持を得ているらしい」
「奇跡の業?」
「生きるものには不滅の魂を。死せる者には復活を与えて下さるそうだ」
生きるものには不滅の魂を。死せる者には復活を。その言葉を頭で反復させると、もれたのは嘲笑いにも似た笑み。
「不滅の魂なんてありはしない。死せる者を復活させるなんて……胡散臭い言葉だこと」
馬鹿らしい、と報告書をサイドテーブルに投げると温くなったお茶をすする。
「そんなもの、どうせ錬金術師のなりかぶれの戯言でしょう? 放っておいても何も出来やしないわ」
「だが奇跡の業は本物の様だ」
「何故本物だと?」
「その教主とやらは触れただけで倒壊した家屋を灰に変えたそうだよ」
触れただけで……? 木材を灰にかえた、と?
「仮に錬金術師だとしたら錬成陣なしにその様な事が出来るのか」
「貴方の様に錬成陣を書いた手袋をしてるとかではないの?」
「いいや? 彼は素手の掌を合わせる事でそれを成し遂げたそうだよ」
掌を合わせるだけで錬成、ですって? そんな事出来る人がいるなんて。
「まさか彼も私と同じ……」
「その可能性はある」
「…………」
「どうだね。興味をそそられるんじゃないか? 同じ穴の狢として」
にやり、とした顔。私がそう言えば断らないってわかっている顔だわ。そのしたり顔に呆れの息をつきつつ
「出発を1日延ばせ、って。こーゆ意図?」
「それ以外に何か?」
別に何も求めてませんけど。でもちょっとだけ変に期待してた、なんて言わない。
「はいはい、私は貴方の便利屋ですものね。ご期待通り〝旅のついで〟に片付けて来ますよ」
それでは明日の準備がありますので、と立ち上がった時だ。
「セト」
ふいに名を呼ばれ腕をつかまれる。それに何だとツンとした顔で応えれば
「死ぬ事だけは許さんぞ」
いきなり真面目顔になった彼と視線が合う。いつもは裏の読めない顔ばかりするくせに突然こんな事いうから……。
「だ、大丈夫に決まってます!」
掴まれた腕を振り解くと背中を向けた。
「今回はちょっと……そう、相手が知った人だったから油断しただけです」
「知った人間だろうと腹の中がわからない者の動きには常に気を張らねば、だ。先の内戦で学習したと思っていたが」
「だってセルノヴァは家族だったんだもの! 私の父で兄で……大切な、人だったの!!」
腹の中、なんて。そんなの、わかっている。わかっているはずなのよ。ずっと傍にいたんだもの。ずっと、生まれた時から。
過去を振り返れば、思い出すのは彼らと過ごした穏やかな日々。セルノヴァはそんなに笑う人では無かったけれど、掛けてくれる声音は優しかった。
「生きているのかも死んだのかもわからなくて……やっと再会出来た人なの。なのに疑えだなんて、そんなの……」
ああ、私ってこんなに短気な人間だったかしら。ロイと言い合うなんて珍しくはないけど、こんな一方的な口をきくのは初めてだわ。なんて思考の隅で考える。
「そんな奴に殺され掛けたのは誰だね」
私を見るロイの瞳は無だった。
無表情。いっそ同じ様に言い返してくれたら楽なのに、彼の口調は静かだった。静かにそう返してくる。それが腹ただしくて私の口調はどんどん粗くなっていく。
「死んでいないじゃない! 私は生きているわ」
「死にかけた、と言っているんだよ私は」
「死にかけたけど死んでいないじゃない。彼は手加減をしていた、私を殺す気なんてなかったのかも知れないわ」
「……そうか」
やや間があって。彼の口から漏れたのは深い溜息だった。
「君は私が思っていたより愚かだった様だ」
「……何ですって? 愚か? 私が?」
「愚かだろう? 自分の命も大切にしようとしない。バカだ」
バカ? 愚かの次はバカ、ですって?
「喧嘩売ってらっしゃるの?」
だったら買いますけど。と言いながら横目で彼を睨み付ける。
「君は大切な人を目の前で亡くした事は?」
足を組み直しながらされた質問に「あります」と即答する。
「同胞を沢山なくしました。アルフォンスのお母さんだって目の前で……だから私はせめてアルフォンスだけは守ろうって」
「私はつい最近大事な人間を亡くす所だったのだよ」
言い終える前に重なった彼の言葉。
「つい数時間前まで共にいたのに、と。何故無理にでも車に乗せなかったのかと悔やんだよ。抱きしめた身体から次第に体温が失われていく感覚は……2度と味わいたくない辛い物だ。君のその身勝手な発言と考えのせいで悲しむ人間がいるという事に気付きなさい」
じっと、見据えられ言われた言葉に私は言い返す言葉も忘れ彼を見る。
ふと、あの日。意識がなくなる直前のことを思い返す。
頬をうつ雨、身体に走る痛み。息苦しさに喘ぐ中聞こえた「セト」と私を呼ぶ声。
気のせいだと思っていた。空耳だって。でもあれがもし彼だったのなら……。
「ご、めんなさい。私……私、そんなつもりじゃ……」
ぎゅっと、膝においた手を握りこみながらうつ向けば向かいの彼が立ち上がる布の擦れる音がする。
「明日は早いのだろう? もうおやすみ」
それだけ言って自分の寝室へと消えていく背中を見送り、扉が閉まると同時に私も立ち上がった__。