-
嗚呼、夏休み 本田菊編
-
夏休み小噺01 本田菊編
『夏の夜、今はまだ』
ただひたすらにペンを動かし白紙のページを埋めていく。
この広い校内には私と彼女のふたりだけ。
暑い夏の夜、我が漫画研究部部室にはカリカリとペンを走らせる音と紙が擦れるペーパーノイズ、そして本日の作業用BGMであるミクさんの歌声だけが響いていた。
暦はもう7月の終わりを告げていて、私達の通うこの学校も夏休みに入って早くも2週間が経とうとしている。
しかし休みに入っても部活に入っている生徒は登校し日々練習や作品製作に励んでいて、夏休みだというのに相変わらず校内は賑やかだ。
なんというか、青春ですね。
それはこの漫画研究部も例外ではなくて。
部員総勢4名で今日も朝からこの時間まで明日に迫った〆切に向けてひたすら新刊の原稿を描き続けていた。
作業を始めてから時計の針は幾度も回り、ただいまの時刻は20時10分。
通常だったら19時を過ぎた時点で強制的に下校をさせられるのだがうちの期待のルーキーは次期生徒会役員。
「帰らなくても大丈夫ですよ、私生徒会の権限を使いますから。」
頼もしい彼女の言葉に個性的な眉をした友人の姿が脳裏をよぎった。
…貴女、アーサーさんや香さんに似てきましたね…。
もちろん本人には黙っておきましたが。
我々は無敵艦隊を手にいれた様なものです。
そんな訳で教師を含め全ての関係者が下校してしまった今も、私達はこうして作業を続けていた。
ルートさんとフェリシアーノくんは最寄りのコンビニまで夜食の買い出しに出掛けてくれている。
部室には私と彼女の2人だけが残り、抜けた2人の分も黙々と原稿と格闘していた。
…のは少し前の話。
「部長、これ以上作業するとペンだこできそうです!」
長時間の作業に流石に集中力が切れてきたのか、ルーキーことみょうじさんはペンを置いた。
「ペンだこは青春のシンボルです。問題ありません、続けてください。」
「そんな爛れた青春時代を送りたくありません!」
少々強引ではありますが今はそんな余裕はありません。
明日の〆切までに一刻も早く終わらせなくては。
「フェリ先輩とルート先輩は外に出てるのに…」
と彼女をたしなめようとするも一度集中力を切らしてしまうともとに戻すことの難しさは百も承知。
「仕方がありませんね…じゃあ5分だけ休憩しましょうか。」
「さっすが世界の本田部長!」
私の妥協案を聞くやいなやみょうじさんは机の上に突っ伏した。
疲れが溜まっているのでしょう、私もさすがにそろそろ限界だ。
ミクさんの歌声でも癒され切れないほど心が荒んできています君(ミクさん)ノ声モ届カナイヨ。
しばしの安息に二人とも黙り込み、無駄なエネルギーの消費を抑えていた。
ああ、あたたかいお風呂とふかふかのお布団ともふもふのぽちくんが恋しい…家に帰りたい。
「…あれ…何だか爆発音みたいな音しませんでした?」
と、私がホームシック(仮)に陥っているとみょうじさんは席を立ち、窓を開けた。
「はて?燿さんはもう下校されてますが…。」
「いや…間違っては無いですけど外ですよ外、にーにじゃなくて。」
私も彼女に倣い音の正体を探ろうと再生中のBGMを止めた。
夏の夜の静寂に耳を澄ます。
そうするとだんだんと聞こえて来る遠くで響く懐かしい音。
夏を感じさせる情熱的で儚く、何だかワクワクしてくるこの音の正体は…
「花火だ…!花火ですよ部長!」
「やはりそうでしたか…。」
その言葉にペンを置いて立ち上がり、寄り添う様にそっと彼女の隣に。
ふたり並んで窓の外を見た。
彼女の言う通り、そこには大輪の花が咲き乱れていた。
音楽をかけ窓を閉め切っていたため気が付かなかったが空にかかる煙の量や打ち上げのペースから察するに始まってそれなりの時間が経っているものだと思われる。
赤、緑、黄、紫、色とりどりの花火が次々と眩い花を咲かせぱっと弾けとても綺麗だ。
この国の夏は風情がありなんて美しいのでしょう。
夏は夜、もし清少納言がこの景色を見たとしたら蛍と花火のどちらを書き残したのだろう、なんてどうでもいい事を考えた。
嗚呼、これは聖なる光です…!
原稿との戦いで心身共に疲れてしまった私達にはそれほどまでに美しく思える。
「綺麗ですね…。」
そう呟く彼女の頬は花火に照らされていて、咲いては果てまた咲いてと繰り返す夜空の花に合わせてその表情を変えていた。
その姿が何とも言えず愛らしく感じて。
こういう時フランシスさんなら何と言うのでしょうか。
ー貴女の方が綺麗ですよ。
フランス語は愛を語るのための言葉だと豪語するあの方からしたら私の選んだ言の葉なんて比べるのも失礼な程陳腐で粗末なものだろう。
現にこの場に相応しい言葉も、この胸の高鳴りの意味も私には分からない。
それなら何も考えずに、思うがままに想う事を言葉にしてしまえばいい。
「みょうじさん…。」
「はい?」
改めて彼女の名前を呼び、真っ直ぐに見つめた。
そして私はーーー
「いい加減真面目に原稿やりましょうね。」
彼女に一言そう告げた。
このまま空気に流されて作業を中断するわけにはいきません。
時間厳守は日本人の心です。
「え、今良いところなのに!」
当然と言えば当然なのだが空気を壊すこの発言に彼女は不服そうな顔でこちらを睨んだ。
女性は美しいものに目が無いから、きっと彼女も夜空に広がる芸術の世界に浸りたいのだろう。
「その代わり〆切が明けたら一緒にお祭りに行きましょう、ルートさんとフェリくんも誘って。」
「…じゃあ早く終わらせましょう。」
そんな彼女にそう付け加えれば、名残惜しげではあるが私より一足先に自身の定位置に着き作業を再開した。
さすがは我が部のルーキー、実に良い子です。
聞き分けの良い後輩には何かご褒美を買ってあげなくてはなりませんね。
窓を閉めるついでに外を見ると、両手に大きな買い物袋を下げたルートヴィッヒさんと飲み物を片手にこちらに手を振るフェリシアーノくんが見えた。
…これはまた賑やかになりそうだ。
夜はまだ始まったばかりです、しばしの間皆で楽しみましょうか。
夏は夜。
今はまだ、この距離感が心地良い。
番外編01.夏の夜、今はまだ-fin