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Crack③
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ローに手首の様子を診察してもらった後、特に異常は見られなかったため、そのままシャチやペンギンに連れられ、物置部屋に戻って来た。
申し訳なさそうに扉を閉められると、急に手足が震えだし、力が入らなくなる。
立っていられずそのままぺたりと地面に座り込んでしまうアマンダ。
怖かった。
こんなにも死を目の当たりにしたのは初めてだった。
この船に乗った時から明日は我が身と覚悟していたのに、その覚悟はなんと甘いものだったか。
目を瞑ると瞼の裏に見えるのは、一面の海と自分に向かってくる獰猛な生物。そしてその生物が口を開ける瞬間とその生臭い臭い。
おぞましい感触が全身を駆け巡り、ぶるりと身体を大きく震わせる。
それと同時に、自分を助けに来てくれたキラーを思い出す。
自分の命を省みない行動。いや、元からサメを恐れていなかったのか。人食いザメを三体も相手に生還するあの強さ。あれが一億を超える賞金首を持つ男の実力なのか。
だがアマンダは彼のあの行動が純粋な強さ故の行動ではないと思っていた。
恐らく、あれが明日は我が身と常に感じている者の行動だ。自身の船長を海賊王へと導く者の覚悟。その為に幾千もの修羅場を乗り越えてきた歴史が彼に刻まれている。だからこそ、あの獰猛なサメを相手に迷いなく海へ飛び込むことが出来るのだ。
この時はじめてアマンダは、この船に乗る海賊達の覚悟を実感した。
海賊など市民を怖がらせる殺人集団となんら変わらない者だと思っていた。恐らくその考えは間違いではないはず。
しかし、彼らは同時に自分の命も落とす覚悟で海を渡っていることを知った。
違う
私と彼らは生きている世界が違う
アマンダの心に生まれたのは彼らと自分の間にある溝、そして僅かな疎外感。
ここには本当に自分の味方はいないのだと、改めて思い知った。
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その晩、アマンダはいつものように船員達の後に続いて浴場まで連れて来られる。
時折扉の外を気にしながら、自分の身体を洗う。
扉の外で何か話し声が聞こえたが、また誰かが言い争っているのだろうか。
だとしたら自分はもうこれ以上関わらないべきだ。
昼間のことを思い出し、もう次は絶対に余計な事はしないと誓った。
濡れた身体をタオルで拭き、浴室を出る。
いつもは湯船に浸かり一日の疲れを癒すのに、この船に捕らえられてからはシャワーのみで済ませている。
下着は一着しかないので、シャワーのお湯で洗った後、紙袋に包んで夜は何も着用せず服のみ着て外で待たせている船員の元へ駆けつけた。
が
「あ、あれ?」
いつもは浴室の外で見張っているはずの船員が今日はそこにいなかった。
辺りを見回してもどこにもいない。
呼ぼうにもその人の名前など知らない為なんと呼んだらいいのかわからない。
見張りの人でなくてもいいので大きな声をあげて誰かを呼べばいいのだが、今日に限ってもう皆就寝中である。今日は何故かお風呂の時間が押したようでアマンダが入る頃にはもう一日を過ぎたころだった。
声をあげたら誰か気づくかもしれないが、睡眠中の人を無理矢理起こすと怒られてしまうかもしれない。
いや、最悪の場合機嫌が悪いと、斬り殺されてしまうかも。
皆同じ部屋で寝ている為、一人だけ起こすのは無理がある。
かといってこのまま一人で部屋に戻った後、見張りの人が風呂場に帰ってきてアマンダがいないと逃げられたと勘違いさせてしまうかも。
(もしかして、トイレにでも行ってるのかな?)
なら少し待てば帰ってくるかも。
そう思って暫く待つものの一向に帰ってくる気配がない。
どうしよう、まさかこのままここで一晩過ごすとか?
暗闇の中で少しだけ風がふぶきお風呂上がりの身体が少し冷える。
服一枚のみで、中は何も履いていない。
服の隙間から肌が見え隠れしてそこに風が当たると体の芯が凍る。
このままだと風邪を引いてしまう恐れがある。
ひとまず浴室へ戻ろうとすると、廊下の向こうからガサガサと音がした。
(あ、あそこかな?)
一刻も早く部屋に戻りたいので、急いで音のする方へ行く。
近くに連れて音は止んだが、場所は食堂だった。
(もしかして、待ちくたびれて夜食を探しに行ったのかな?)
会ったら一言謝らなくてはと思い、急ぎ足で食堂へ向かう。
「あ、あの…すみません。お風呂長くて…」
食堂の扉を開けて謝罪の言葉を一言かけるアマンダ。
しかし、そこにいたのはアマンダを浴場まで連れてきた男ではなく、昼間キッド海賊団の船員と揉めていたハートの海賊団の船員だった。
「……」
男は無言のままアマンダを見ている。
しかしその目はまるでイタズラをしているのがバレてしまった時の子供のような焦りが感じられた。
「あ、あの…」
間違えました、すみません。
そう言いたいのだけれど、男の自分を見る目が怖くてなかなか言い出せない。
なんだろう、何をそんなに焦ってるんだろう。
そういえばとアマンダの頭の中に昼間の出来事が蘇る。
この男は喧嘩を止めに来たベポが怪我をした事で自身の船長から一週間の食事を禁ずる命が下されていた。
恐らくその言いつけが守れず我慢が来たため、こうして船長も仲間も就寝中の今を狙ってこっそり食べに来たのだろう。それがアマンダにバレてしまい、動揺しているのだ。
しかし、だから?
元々一週間も長い間ご飯が食べれないなんて無理難題だ。しかもベポが怪我をしたのは二人が喧嘩をしていたせいだが、直接手を下したのはこの男ではなく喧嘩相手の方だ。
相手はキッドからそう言った命が下されていないため、今日も食堂で仲間達とご飯を食べていた。
これは余りにも理不尽ではないか。
だから我慢出来ず食料を漁っていようが、アマンダにとっては彼がそこまで驚愕するような事ではない気がした。
それより自分は一刻も早く部屋に戻りたい。もうこの男でもいいから部屋まで連れて行って欲しい。
そう思って声を掛けようとするが、男が何かぶつぶつ言っている声が聞こえ、その言葉に耳を貸す。
「み、見たな…」
「…え?」
言葉の意味がわからず、もう一度詳しく言って欲しいと問いかける。
「お、お前、この事船長に言う気だろ」
「え、いや、そんなことは…」
男の只ならぬ雰囲気にアマンダの背中に悪寒が走る。
イタズラかバレた子供、なんて可愛いものじゃない。まるで犯罪が見つかった時の被疑者の目だ。
「言いつけを守らず、食い物を漁るいやしい奴だと笑ってんだろ」
男の言っている意味がわからない。
アマンダはそんな事一言も言っていない。
只の被害妄想だ。
「笑いながらあいつらにチクる気だろ!」
「ひっ…」
そう言った男の手には何かキラリと光るものが。
その物体が一瞬だけアマンダの瞳に写り、それに恐怖する。
男の手に持たれていたのは、包丁だった。
「ま、待って…落ち着いて…」
「うるせぇ!!」
アマンダが気を鎮めようとするも、その声は男には響かず、男はアマンダに向かって刃物を持ちながら此方に近づいてくる。
恐怖で足が竦むアマンダに構わずその刃物を振り上げた。
「きゃああっ!」
間一髪尻餅をついたお陰で腕にかすり傷を負ったのみで済んだ。
しかし恐怖心が極限まで高まったアマンダにはその傷でさえ激痛に感じるほどだった。
衝撃を少しでも減らすために咄嗟にを手を突いて地面への衝撃を防げたものの、以前キッドに力強く掴まれ腫れてしまった手首に大きな負担をかけさせてしまい、斬られた痛みとはまた別の痛みが全身に走る。
ローに安静にしてろと言われた言いつけを守れなかった。
ズキズキと痛む手首を抑え、涙を目に溜めながら自分を見下ろしている男を見る。
だが男はそんな事御構い無しに此方を殺気立った目で睨んで来た。
ほ、本気だ
本気で私を口封じのために殺す気だ。
サメに喰べられそうになった時と同じ恐怖を感じたアマンダはもうなりふり構わずあらん限りの大きな声で助けを求めた。