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Princess of Capture④
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「!!」
もう限界だった。
アマンダは勢いよく立ち上がり、突然の事に驚くキッドの自分の腕を掴む手を振り払った。
その時顔を上げたせいでキッドに涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を見られてしまい更なる醜態を晒してしまう。
血が通っていない青白くなった顔色を見て目を見開くキッドに恥ずかしさが余りに余ってそのまま船とは真逆の方向へ走り出す。
「!おい待て!!」
キッドがそう言うのと同時に、ローは能力を使って彼女を捕まえようとするが、彼女は元より逃げるつもりなどなかった。
アマンダが向かった先には公衆トイレがあった。
そこに入ろうとするアマンダだが、入口の壁に頭を強く打ってしまう。
そのままフラフラと覚束ない足取りで入るアマンダにローは何を思ったのか能力を出すのを止め、アマンダの後を追う。
キッドも彼女を追いかけようとするが、ローに制止される。
「ユースタス屋、お前はここに残れ。あの女はおれ一人で追う」
「あぁ!?寝ぼけてんのかトラファルガー!!あいつは……」
「もう一度言う、おれ一人で行かせてくれるか?」
ローのセリフに怖気付いたのではない。
ただ何故か、ここから先はロー一人で行かせた方が確かにいい気がしたのだ。
女相手に気遣うつもりもないが、あの時見た女の顔に戸惑いを覚えるキッド。
ローはその原因不明の感情の正体を知っているように見えた。
キッドはアマンダを追うために前へ出した片足に力を込めると、ローから目を逸らして舌打ちをした後、その場に踏みとどまった。
それを了承したと受け取ったローはキッドに背を向けて走り出し、アマンダの入った公衆トイレまで向かう。
扉の前まで来た時、女子トイレと男子トイレがあったが迷うまでもなく女子トイレに入る。
ここでアマンダ以外の女性もいたら大変な目にあっていたかもしれないが、幸いにも彼女以外は誰もいないようだ。
ゆっくり扉を開けて中に入ると、少し小綺麗な空間だった。
どうやらこんな人気のないトイレにも清掃員がいるらしく定期的に掃除をしてくれているようだ。
それに加えて利用者も少ないのも理由の一つでもあるのか。
少し歩くと一番奥の部屋で、女の啜り泣きの声と嗚咽のような苦しそうなくぐもった声が聞こえて来た。
ゆっくりゆっくり足音を立てずにその場所へ向かう。
誰も入ってこないと思っているのか、はたまたそんな事を考える余裕がなかったのか、トイレの扉は開いており中を見てみる。
そこには、便座に顔を近づけ胃の中のものを出しながら項垂れているアマンダの姿があった。
ローは医者だ。経験上患者の嘔吐を手伝って綺麗に片付けたりそう言う人の世話をした事もあった。
海賊ではあるが、元は大きな病院を経営する医者の息子な為父親の手伝いを何度もした事もあり、こういう光景には慣れている。
また、正直海賊に憧れていたものの思った以上に船の揺れに船酔いを起こし吐き出す部下もいた。
流石に処理はその船員にさせたが…。
なのでローがまだ後ろにいることに気づかないアマンダにあくまで優しく、まるで患者を労わるようにそっと近づく。
「…………おい」
「っっ!!!?」
いきなり肩を叩いて気付かせるのは余りにも不憫なので一声かけて自分の存在を認識させてから触れようとした。
先程の彼女の顔色も気になり、更にどういう訳か手首のだけでなく顔にもガーゼが貼ってあることも気になった。
早く船に帰って治療を施さなくてはという考えもあり事は早めに済ませて欲しくて声を掛けたが、振り向いた彼女は先程見せたときより顔色が悪く、またかなり驚いた様子で此方を見て来た為彼女に触れようと伸ばした手を止めるロー。
瞳孔の開き具合から自分がやって来たことで彼女の精神に負荷を掛けさせてしまった事は確かなようだ。
瞳の色が絶望を表現していて、混乱しているのがわかる。
冷や汗が垂れ流しになり服がもう水を被ったかのようにびしょびしょになっているのを見てこのままだと脱水症状を侵してしまう恐れがあり、それが精神的にくるものならば一旦落ち着かせようと再度アマンダに手を伸ばすロー。
混乱している患者に対して気持ちを落ち着かせる一番の方法は人の温もりを与えることだ。
昔父親が精神的に混乱している患者に向かって背中を優しく叩いてあげてたり子供なら頭を撫でてあげていたりしていた光景を思い出し、同じような事をしてみようとする。
しかし、それ気づいたアマンダはかなり慌てた様子でトイレの扉を勢いよく閉めた。
バタンと大きな音が響き、その後ガチャリという音が聞こえた為、鍵を閉められたのだとわかる。
「……おい」
「ハァ…ハァッ…な、なんで…!!」
扉越しからでもわかる苦しそうな声。
今能力を使って彼女を扉の中から連れ出す事もできるがその事で余計パニックに陥られても面倒だ。
「……とにかく、ここを開けろ」
なるべく言葉を選ぼうとするが、性格上人に優しくするのはあまり得意ではない。結局命令口調で淡白なセリフになってしまい、こういう時ベポ達クルーみたいな素直さが羨ましいと思ってしまう。
扉を軽くノックして開けるよう促すが、瞬間震えるような声で「いや」と否定するような言葉が聞こえて来た。
もう一度聞き返すと過呼吸でもおかしそうな声が聞こえる。
「ハァッ!……うぅ…か、かえって……おねがい、みないで…みないでよぉ……」
うわ言のように見ないで、見ないでと言い続けるアマンダ。
彼女にとって吐いている姿を異性に見られるのは耐えられない事だった。これが将来を共に誓い合った相手なら一緒に生活するのだから多少汚い面を見せても抵抗はないだろうが、まだ会って間もない、しかも恐ろしい一面ばかりに気を取られてしまっているが、見栄えも良い二人に見られてしまった事が恥ずかしくて堪らない。
吐いている音も聞こえて欲しくないがそう思えば思うほど胃の中にあるものがまた出て来そうで必死に耐える。
「うっ!ゔぅ…やだ…みないでっ!」
「落ち着け、誰も見てねェからとにかく…」
「いやっ!…!!
いやあぁぁ!!見るなぁ!!」
扉越しなので見る事すら出来ないが混乱のあまり幻覚でも見えているのか、ローが近づいて来たと思ったのかアマンダは錯乱状態となり大声をあげて後ろ足で扉を思いっきり蹴った。
突然のアマンダとは思えない乱暴な行為に驚くローだが、これ以上彼女の気持ちを落ち着かせるのは自分では無理だと悟る。
「みな…いで…ゔぅ…ゔぇっ…」
嘔吐している姿を晒しただけでなく、女性らしさの欠片もない暴言暴力をローに吐いてしまい更に羞恥に見舞われる。
大声を上げたからかまた吐きそうになるアマンダ。
扉越しとはいえローがそこにいると認識してしまったせいで吐くのをまた我慢しているようだ。
それはアマンダの身体にも衛生的にも良くないので、ローは水道の蛇口を捻って水が出る事を確認すると、アマンダの精神をなるべく刺激しないように話しかける。
「わかった。すぐに出て行く。
気が落ち着いたら戻ってこい。それまで待っててやる」
この状況なら逃げるなと言いたいが、あまりきつい言葉を投げかけると彼女に更なる精神的負担を負わせてしまう恐れがあるためローはそれだけ言うと静かにその場を去る。
「……………………」
やがて足音が聞こえなくなっていくのを確認して、アマンダはそっと扉を開く。
外には自分以外誰もおらず、本当に自分に気を遣って出て行ってくれたのだと思う。
その瞬間、張り詰めていた緊張と溢れる様々な感情が押し寄せてくる。
今ここまで起きて来た壮絶な出来事を思い出し、故郷と店長の顔が浮かんでくる。
誰もいない静かな空間の中で、アマンダの泣き声だけが響き渡る。
今まで我慢していたものが一気に押し寄せて来て、体の中に溜め込み過ぎたものが涙となって流れ落ちる。
泣いても泣いても止まらない涙の数。
声をあげて泣きまくっても感情はどんどん押し寄せてくる。
人生でここまで泣いた事なんてあっただろうか。
子供の頃は大切なぬいぐるみをなくした、迷子になったとか小さな事でもえんえん泣いていたが、大人になるにつれて理性も働いて来たし、何よりそういう激情自体もあまり感じなくなってしまっていた。
しかし今は自分でもコントロール出来ないくらい感情が押し上げてくる。理性が全く効かない。
誰もいない。
大声を上げても気づかれない。
思う存分泣いていい。
思う存分弱音を吐いていい。
今だけは
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