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Once More, Welcome To The Pirate's World
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「……………………」
「……………………」
医務室内に張り詰めた空気が漂う。
その場にいるペンギンとアマンダはその空気を発しているローを恐る恐る見やる。
しかし眉間に青筋を立てて只でさえ目の下の隈で恐ろしく見える風貌が険しい目つきも加わってより一層市民を脅かす海賊に相応しい顔になってしまっている。
映像電伝虫から映される先程レントゲンで撮影したアマンダの手首の様子を眺めながら写真を拡大したり右へ左へ移動させて見たり、しかしどんどん眉間のシワは深くなる一方である。
彼が発する酷く不機嫌なオーラのせいで空気が完全に悪くなり、ペンギンに至っては何か上手い理由でこの部屋から抜け出せないだろうかと考えているが、今のローには何を言っても解体(バラ)されそうなので押し黙るしかない。
時折電伝虫によるカーソルが上手く起動せず、写真が移動しない度にイライラし出して電伝虫を強く握りしめる。その度に電伝虫は苦しいのか目玉が飛び出る姿に同情してしまう。
お風呂に入っている時、キラーからバスタオルと共に頂いた着替えのシャツの裾をギュッと握りしめる。
浴室から出た後、見張りであったキラーに医務室に連れられ、そこで待っていたローに怪我の容体を診てもらった。
その時頰に貼られたガーゼを外そうとしたが、ガーゼを貼る前に傷口に塗る薬がちゃんと塗れていなかったのか若干張り付いてしまっていた為、取るのに苦戦していた。
だがしかし流石はプロの医者と言うべきか、それでも傷口に負荷を掛けることなく綺麗に取ってみせたローはこの治療を施したペンギンを呼び出し、注意をした後再度彼に治療の仕方を教えガーゼを貼らせた。
それまでは良かった。
問題はそこからだ。
お腹の傷にも包帯を巻いてもらい、本来ならばもう今日か明日には治るはずだった手首の包帯を取って見た瞬間、ローの顔は豹変した。
「……何だこれは」
手首の腫れは治っているどころか、当初の頃より格段に悪くなっていた。
その傷を見て、アマンダはキッド海賊団の船員に襲われ抵抗した際、手首を二度も踏みつけられた事を思い出した。
あの後ベポ達が治療するためにローを呼ぼうとしたのだが、脱走を決意していたアマンダにとってローを呼ばれる事だけは避けたかったので呼ばないでと懇願したのだ。
その為包帯を巻き直すといった簡易的な治療法で済ましてしまった。
「おい、これはどう言う事だ。何がどうなりゃこんなに傷口が悪化するんだ」
ローに睨まれどう答えたらいいのかわからなくなる。そもそもアマンダが襲われた事実はベポ達しか知らないわけで彼らがローに報告した可能性は高いが、襲われた際に抵抗したら手首を踏まれました、と言うのは自分の口からでは言いにくい。特に男性には。
中々答えようとしないアマンダにローは同じ問いを今度はペンギンに向ける。ペンギンは戸惑いながらもアマンダに聞こえないようにローに真実を耳打ちした。
ペンギンも現場をしっかりと見てはいなかったためどう伝えたかはわからないが、耳打ちされているローの顔が段々険しくなっているのを見て恐怖する。
聞き終えた後ローは苛立ちのあまり大きく舌打ちをしたかと思うと、傷の具合を測る為にアマンダの手首をギュッと圧迫する。最初は弱く、徐々に強く…。
しかしアマンダは最初の弱い段階で軽く悲鳴を上げてしまう。
その様子を不審がったローは能力で自分の船の中に設置されている医療機器を運び込んだ。そして台にアマンダの腕を乗せるとレントゲンで撮影を行い、映像電伝虫に記録を移送し映された写真を眺めている。
医療機器が機械的な音波を発している中、それまでレントゲンの映像を見ていたローがようやく口を開いた。
「軽くだが骨にヒビが入ってやがる。橈骨遠位端骨折に近い症状だ」
それがどんな症状なのか医学に詳しくないアマンダにはわからないが、骨折というワードを聞いて事態の深刻さだけならわかる。
側にいたペンギンはローの部下で多少の医学の心得ならあるのかその言葉を聞いて驚いていた。
「こんなになるまで放っておきやがって…テメェの身体くらいしっかり管理しろ」
「はい、すみません………」
正論で何も言えない。
最初に手首を怪我してからローは小まめに診察してくれていた。何かあったときはアマンダを優先して治療を施し、何もない時でも定期的に診察を行ってくれていた。
アマンダから容体を診て欲しいと言う時は一切なく、いつもローが忘れず診てくれていたので、怪我は順調に治ってきていた。
勿論、ローは医者であると同時に海賊でもあるため自分に利益のない人間に甲斐甲斐しく面倒を見るタイプではなく、アマンダの事も利用価値のある人質なためある程度健康で丈夫でないといけないからだ。
そうでなければ手首を切り落とすような事態に悪化してしまっても捩らぬ態度を取っているだろう。
しかし僅かな時間を割いてでもアマンダの手首の怪我も的確な治療で早い段階で治っていっていたのも事実であり、彼が目を離した僅かな隙に自ら怪我を悪化させていたのがアマンダ本人だという事も事実である。
ローの言葉に対して謝ることしか出来ないアマンダに、ローはそれ以上強くは言わず、ギプスと包帯でキツく固定し、怪我を負った方の腕は一切使えないようにした。
治療を終え、ローに命令され医務室を出ると、ペンギンからアマンダを捕らえていた部屋がベポ達によって破壊されてしまい、使えなくなってしまっているため他の部屋に移動になったと聞かされた。
「…………………」
「…………………」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
アマンダがこの船に帰ってからペンギンとはこの時までまだ一度も話をしていない。
ベポ達を騙して脱走を試みた罪悪感からペンギンの顔を見れないでいる。ペンギンもまた何を話したらいいのかわからない状態である。
新しい部屋に案内してもらい、軽くお礼を言うとペンギンは何も言わずそのまま背を向け帰ろうとしたので、慌てて彼を呼び止めた。
「…………?」
「あ、あの……あの時はその……助けていただいたのに騙すような真似をして、ご、ごめんなさい……」
自分が襲われているのを助けてくれた。
あの晩自分が男に襲われ逃げた事を信じてくれた。
手当をしなければと気遣ってくれたにも関わらず外に出たいという自分の我儘を許してくれた。
そんな人の優しさを利用して逃げた。
あの時は船にいるのが怖くてそればかり頭の中で渦巻いていたが、それでもペンギンには大きな恩がある。
深く頭を下げてペンギンの言葉を待つ。
なかなか返事が返ってこないので無視して去ってしまったかと思ったが、彼の足元が見えるのでまだそこにいることがわかる。
暫くの沈黙が続く中、ペンギンはボソリと呟いた。
「……謝んなよ」
「………え?」
恐る恐る顔を上げてペンギンを見てみると、彼は罰が悪そうにそっぽを向いていた。
「騙されたとか裏切られたとか、ンな小せェ事でねちねち引っ張る男に見えんのかよおれは。つか、おれは別にお前に騙されたとか思ってねェよ。」
アマンダを気遣っての言葉ではない。
海賊として、海を渡る強者として、軟弱な市民に隙を突かれて逃げられた事は大きな醜態だった。それを相手のせいにして裏切られた、騙されたと嘆くのは恥の上乗せだ。しかしそんな傷を抉られるように謝られては面を汚されたのも同然だった。
「おれ達は海賊だ。民間人の理解を得ようなんて考える立場じゃないし考えたくもねェ。だからお前にどう思われようと興味ねェよ」
ペンギンの言葉がアマンダの心に突き刺さる。
海賊とはいえ故郷を持つ人間。しかし自分が憧れついていこうと思えるのは残虐で悪名高い海賊であり、億越えの猛者と横並びにされる程の実力を伴う男だ。甘い考えでは彼の乗る船についていく事は不可能である。
彼らがアマンダを気になっていたのも、自分達がキッド海賊団と共に生活するようになってお互い警戒心が溶けないまま過ごす事に神経が擦り切れた思いを毎日していた。そんな得体の知れない海賊団に挟まれたアマンダにはやはり冷酷になれない。
気にかけていたのはそのせいもあるが、元々一般人と海賊の間には超えてはならない境界線というものがあり、決して交わることはない。そう思う相手に自由を奪われいいように扱われる姿に少なからず同情はしていた。
だがそれだけだ。
別にアマンダに良いように思われたくて気にかけていたわけではない。
だから自分のやった事に謝られたりするのはあまり良い気分ではない。
「別にお前に媚び売ってた訳じゃねェんだし、そんなに思いつめられても困る。だから謝んなよ」
ガラでもないがアマンダが逃げたと聞いた時、あんなに傷を負った身体でまた怪我が悪化しないだろうかと心配していた。
まぁそれよりもローが捕らえに行ったからすぐ帰ってくるだろうと安心もしていたが。
「……はい」
ペンギンの言葉に涙が出そうになるがぐっと堪える。
彼の言葉から自分を気にかけていたのは良く思われたいからというのではなく単に気になったからというもので見返りも何も求めていない、そんな優しさがこもっていた。
アマンダが顔を上げ、初めてペンギンに向かって真っ直ぐ顔を見ようとする姿勢に少し戸惑うも、今までそっぽを向いていたペンギンは彼女の顔を見て優しく笑う。
「けどま、それでも悪いって思ってんならせめてベポには謝っとけよ。あいつ折角お前と仲良くなれたのにって相当落ち込んでたからな」
「ベポさん……が……」
思えば逃げ出す前一番最後に共にいたのがベポだった。自分が逃げ出した事でベポが手痛い罰を受けていないか心配でそれとなくペンギンに聞いてみると何も咎められなかったとの返事があり安心する。
「海賊の癖に人懐っこい奴なんだよなあいつは。後は動物的な勘ってやつか?
とにかく人の本質をすぐ見抜く鋭いところがあるんだよあれでも。直感的にお前が良い奴だと思ったんだろうな。」
野生の勘は時には理論を覆す大きな結果を生む事だってある。
ペンギンの言葉からは自分の本質が良い奴だと言われているようで恥ずかしくて顔が見れない。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちがぶつかり合う。
すると話を終えたのかペンギンは「謝るなら早い方がいいぞ」とだけ言って去ろうとするためまたもアマンダは慌てて空を呼び止めた。
「あ、あ、あの!
も、もう謝罪はしません……で、でも……
……せめて、お礼だけは言わせてください!
あの時、何も言えなかったので……」
だから
「助けてくれて、ありがとう…」
ベポと島へ出る時、時間をかせぐと言ってくれた彼らにお礼も言わず去って行ってしまい、ずっと後悔していた。
その気持ちを伝えれた事が一番嬉しかった。
「……謝らなくてもいいけど、お礼ならシャチもジャンバールも喜ぶな」
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