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Once More, Welcome To The Pirate's World③
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「あ………………」
「……………………」
朝、朝食を食べ終え自室へと戻ろうとしていた時、向かいからやって来たキッドとばったり出くわした。
「…………………」
アマンダは彼の顔を見るなり思わず後ずさって見張りの船員の後ろに隠れる。
彼女にとってキッドは少し苦手な存在だった。
彼の言葉はアマンダの心に傷を負うことが何度かあり、身なりや乱暴な一面にも怖いところがある。
この船に乗る覚悟を決めたからにはローもキッドの事も信じてどういう人物か見極めようと心に決意したアマンダではあるが、やはり条件反射でキッドを避けてしまう。
見張りの男はそんなアマンダに頭にクエッションマークを浮かべながらもやってきたキッドに挨拶を交わすとアマンダを自室に連れて行くためキッドの横を通り過ぎようとするので慌てて後を追うアマンダだが
「……………………え?」
突然肩を掴まれ、強い力で後方へ引っ張られる。
体勢を崩しそのまま尻餅をつくかと思われたが、ポンッと背中に感じる人の体温。
見ると自分を引き寄せたキッドの逞しい胸板がそこにあり、慌てて下がろうとするも肩をがっちりと掴まれているため身体が動かない。
その様子を呆然としながら見ている見張りの男にキッドは顔を向ける。
「後はおれがこいつを見張る。てめェはここで退がれ」
「え?いいんスか!?船長!」
「………あァ」
突然のキッドの言葉に驚くも彼の頼みなら断れないのか潔く引き下がる船員。
人質の世話はもっと下っ端の仕事ではあるが、船長が自ら申し出るのはかなりレアだ。
「あ、あの………」
男の人の胸板がこんなにも近くにあり、急な接近に顔を赤らめ戸惑うアマンダ。
鍛えに鍛えた彼の身体はかなりがっちりしており、男性との交際も経験しているが、此処まで鍛えられた身体は見たことがない。
彼の人の体温を肌で感じてしまい熱で頭がクラクラしそうになるも、肩に添えられていた手が離れ今度は負傷していない方の腕をガシッと掴まれた。
そしてそのまま部屋とは反対の方向へ引っ張られる。
「え?ど、どこへ…」
「喋んな、黙ってついてこい」
キッドにそう言われると黙らざるを得ない。
大人しく彼の後をついていこうとすると、逆らわないと信じてくれたのか掴まれていた腕を解放された。
すると今まで彼に引っ張られていたお陰で何とかついていけていた為か途端に彼の歩くスピードに追いつけなくなり、それに気づかずどんどん歩いていく彼にアマンダは必死に追いつこうと小走りで後ろをついていく。
「……っあ!」
「……!?」
だが疲れてきたせいか頭が回らず足が絡まってしまう。
そのまま地面に向かって衝突しそうになる。
手をついて衝撃を抑えようにも片手が負傷している為もう片方の手だけで抑えるには無理がある。
下手すればもう片方の腕も負傷する恐れがある。
失礼な行為だが前で歩くキッドのコートを掴んで膝をつく態勢にしようとするよりも先にキッドが素早い動きでアマンダの身体を抱きとめる。
「……あ…」
「間抜けが、何やってんだ」
両肩に添えられる彼の手。
密着する身体。
彼を海賊ではなく男の人だと感じ取れる瞬間だった。
「あ、ありがとうございます………」
「……速ェならそう言え」
そう言うとキッドはまたアマンダに背を向け歩き出す。今度は彼女の歩幅に合わせてゆっくりと。
彼にこんな気遣いを見せられて驚くアマンダ。
以前のキッドとは本当に何かが違う。
(背ぇ高いな……肩幅も広いし……)
普段は怖くて気にする余裕もなかったキッドの後ろ姿を見つめる。
本当に男らしいワイルドな外見をもつ彼に見惚れていると、キッドが突然立ち止まった。
そして目前に立つ扉を開け中に入っていく。
そこは先程アマンダが朝食を食べ終えた食堂だった。
「………何突っ立ってんだ、座れ」
「え?あ……はい…」
何故また食堂へ?
キッドにに支持された場所へ座ると彼はアマンダを置いて何処かへ去ってしまう。
キッチンの中へ入っていったのでコックに用があったのだろうか。
しかしそれならアマンダを食堂へ呼び出す意味がわからない。
暫くしてキッドが帰ってきてアマンダの向かいにドカッと音がするくらい勢いよく座る。
もう皆朝食を食べ終えたのか食堂にはキッドとアマンダと厨房で後片付けをしているコックしかいない。
二人の間に沈黙が流れ居心地が悪く感じるアマンダだが、チラリと盗み見たキッドの視線が此方に向けられていたので俯く形になってしまう。
キッドから痛いくらいの視線を注がれ一体自分は彼に何をしてしまったのか、それとも何かしてしまったのか気になる。
「………その傷」
「…………え?」
「………酷ェのか?」
キッドが一瞬何を言っているのかわからなかったアマンダだが、彼の視線を辿ってみると、アマンダの包帯が巻かれた腕に注がれていた。
先程からの痛い視線はアマンダの腕を見ていたのだ。
「え……と、骨折してる、とあの人から……」
骨折
その言葉を聞いて一瞬キッドの目が細く縮められたのがアマンダからも見てわかった。
だが未だにその心理がわからない。
彼が何を思い、何故そんな事を聞いてきたのか。
キッドが今になってアマンダの傷を心配するようには見えないし、彼にとっては骨折なんて大した怪我ではないはずだ。骨折よりも酷い怪我を敵に負わせているのだから。
「……すぐに直んのか?」
「まだ…なんとも……」
アマンダがそう言うとチッと舌打ちする音が聞こえた。
見ると眉間に大きくシワを寄せたキッドの姿が見える。
何か悪いことでも言ってしまったかと思うアマンダだが、怪我の具合を話しただけで特別彼の気に触るような事は言っていないはずだ。
謝るべきか、しかし何に対して謝ればいいのかを考えている内に、キッチンの方からお菓子のようないい匂いがしてきた。
まだお昼の時間にもなっていないのにお菓子なんて食べる人がいるのだろうか。
ふと、キッドと食堂に入った時、彼がコックと何か話していた事を思いだす。
ま、まさかこの人がこんな時間におやつを食べるわけじゃないよね……?
それどころかどう考えてもお菓子のような甘いものを口にするタイプには見えない。
すると間も無くキッチンから顔を出したコックがアマンダとキッドの座るテーブルに何かを運んでくる。
二人の間に置かれたのは大きなお皿とその中にある出来立てのドーナツ。
オーソドックスなシュガーシロップのドーナツやフレンチドーナツ、ポン・デ・リングのドーナツまで揃っており、それぞれにチョコやイチゴのシロップが塗られていてまさにお店にあるドーナツのようだ。
美味しそうな匂いが漂っており、思わずじっと見つめていると、キッドが不審な目で此方を見ていた。
意地汚い奴だと思われただろうかと思い、謝ろうとすると、彼から意外な言葉が出てくる。
「………何見てんだ、早く食えよ」
「……………え?」
キッドの言葉に一瞬理解が遅くなる。
食えよ、と言ったのだろうか。
私が?貴方ではなくて?
「…え?え?
こ、これは……もしかして、私のため、の?」
「当たり前だろうが、他に誰がいんだよ」
確かに彼がこれを食べるとは思えないが。
一体何のサプライズだろうか。
まさかこのドーナツの中に毒か何かが入っているのではないだろうか。
考えようにもキッドはアマンダがドーナツを食べるまでずっと此方を見続ける気でいるようだ。
(毒で死んだらそれはそれだ!)
半ば自爆自棄でドーナツを手にとって一口含むと、ふんわりとした甘い味が口一杯に広がる。
「……!お、美味しい!」
思わずそう口走ると向かいの席から鼻で笑う声が聞こえた。
自分の真正面にはキッドがいたのだとそこでハッと思い出し、恐る恐るキッドを見る。
だがキッドはアマンダの顔など見てはおらず、頬杖をつき、そっぽ向いていた。
その雰囲気はいつものように高圧的なものではなく、落ち着いた柔らかいもの。
これは、機嫌が良いのか。
「何見てんだ」
突然威嚇をするかのように目だけを動かし此方を睨む。
その顔が怖くてドーナツを食べることに集中する。
このドーナツはおそらくキッチンにいるコックが作ってくれたものだろうが、お店にあるドーナツよりも美味しい気がする。
ふわふわとした食感とチョコレートの甘い味が口内を刺激し、飲み込んだ後もその余韻が残っているため、一口、また一口とどんどん味わいたくなる。
普段ドーナツなんてあまり食べたことのないアマンダでもこの美味しさの虜となっていた。
向かいにキッドがいることも忘れてつい夢中になってドーナツを食べていたアマンダは次のドーナツを取ろうとした時ふと今がお昼前なのを思い出し手を引っ込める。
「何だ、もう満足なのか?」
次のドーナツに手をつけようとしないアマンダにキッドが疑問を投げかけると、彼女はコクリと頷く。
ドーナツは揚げ物であるため、お腹も膨れやすいし、これ以上食べるとその後のお昼ご飯が食べられなくなるので一旦ここで食べるのを終了した。
キッドにとってはお皿に積み上げられているドーナツの山など物の数分で平らげてしまい、またお昼にも支障が出ないほどよく食べるのでアマンダの遠慮が理解できないものだったが、キッドはそれ以上何も言わずコックを呼ぶと、テーブルにあるドーナツの乗ったお皿を下げさせた。
アマンダは自分の為に作ったドーナツが余った分は処分されてしまうのかと不安になる。
量が多かったとはいえ本当に美味しかったし、それが自分の為だったと思うと申し訳ない。
しかし、コックはお皿にサランラップを被せると冷蔵庫の中に閉まったため、処分されない事に安堵した。
「……行くぞ」
そう言って席を立つキッド。
彼の言葉に一瞬理解が遅れたが、もう食堂には用がなく、部屋に帰るのだろうとアマンダは慌てて彼の後ろをついて行く。
途中やはり自分にスピードを合わせて歩くキッドに、彼がこんな気遣いを自分に見せてくれるその原因が思い浮かばず、けど心の何処かで少し嬉しい気持ちになっていた。
この優しい言動の裏に一体何を企んでいるのか。
それともこの優しさは自分の見ている幻なのだろうか。
アマンダはこの船から一度逃げ出し、ローとキッドに捕まって再度戻ってきた。
その後の処罰は何も言い渡されず、いつ下されるのか不安でたまらない。
ローとキッドの行く道を信じる
そうベポに言うのと同時に自分にも言い聞かせていたがやはり心の何処かではまだこの船から逃げ出したいという気持ちがあるのだろうか。
しかしそんな事は許されず、受け入れなければならないこの現実を見たくなくて、勝手に彼らに優しくされていると思い込んでいるだけなのだろうか。
そんな疑問や不信感が心の中で漂うもやはり前より住み心地のいい今の環境には素直に嬉しいという気持ちがあふれ出ていた。
もし裏切られたら更なるダメージを与えられるというのに
彼の後ろで嬉しい気持ちと不信感が交差する中、いつのまにか自分の部屋までたどり着いていたらしく、キッドに中に入るよう促される。
しかし、キッドはアマンダが中へ入ったのを確認した後扉を閉めようとするが、途中で手を止める。
いつまでたっても扉を閉めようとしないキッドにアマンダは恐る恐る声をかけると、彼は目線だけアマンダに向けながら口を開いた。
「もうすぐ島に上陸する。外に出るかは勝手に決めろ。着いたらキラーを呼んできてやる」
それだけ言うと扉を閉め去って行くキッドの足音が聞こえる。
アマンダは彼がついさっき発した言葉に口が開いたまま動かない。
今、彼は何と言ったのだ?
島に着いたら外に出ていい?
これも外へ逃げ出したいがためのアマンダが見ている幻想なのだろうか。
あまりの展開に頭がついていかない。
一度逃げ出した獲物をまた外へ放り出すあの肉食動物は一体何を考えているのだろうか。
まさか知らないうちに体の中にGPSでもつけられているのだろうか。
歩くスピードを合わせてくれたり、ドーナツをくれたり、今日の彼はどこかおかしい。
だが、不思議と嫌な気持ちはいない。
目を疑うような光景ばかり見え、これが夢なら覚めないでほしいと願うアマンダだった。
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