-
8.
-
いつだって悔やんでしまう
あの日から、全部が変わってしまった。
あの日から、私は罪人になった。
ざわついた廊下を、駆け抜ける。
熱が抜けきらない身体を無理矢理動かして、帰ってきた一回生達を押し退けて、
足をけつまづかせながら 慌ただしく医務室へ入る。
「っ…修、兵!!」
「…音色…」
彼は右目に包帯を巻いて、ベットに腰掛けて弱々しく私の名前を呟いた。
右胸のあたりの制服には黒々と酸化した血が滲んでいた。
室内を見回してみたが 彼以外の人間の姿はいない。
「ねえ、ほたるちゃん…青鹿、は…?」
「青鹿は…まだ目を覚まさない…蟹沢は…」
それから彼は何も云ってくれなかった。
ただ 音のない空間が流れているだけの医務室で、それは絶望としかとらえられない。
「嘘でしょ…」
そんな嘘、誰が信じるっていうの?
そんな人を莫迦にしたような、冗談が
どうして
「だ、って…だって…!」
どうして
こんなに現実味を帯びてるの?
「音色」
彼が、私の冷たい手を握ってもう一度名前を呼んだ。
大きな彼の手は、微かに震えている。
顔を上げて欲しくなかった。私の腕が、彼を抱きしめる。
彼のように嘆くことは出来なかった。現実がどこにあるのか判らない。
どんな顔でいればいいのか、私には判らなかった。
そうして、私は罪を犯す。
それでも修兵が、生きててくれて よかったと思ってしまった。
腕の中にある体温が、それを私に思わせた。
一瞬でも
それは決して 何があっても許されない罪。
思ってすらもいけない。だけど 同時に、思ったんだ。
私が、死ねば良かったのに
(死ぬのは私のはずだったのに)
数日後、私のクラスは彼女の死の弔いを行うことになった。
クラスの子にも担任にも、修兵にだって「来い」といわれたが 私は行かないことに心を決めていた。
友達の、親友の死に泣けない私が 彼女たちに会わせる顔なんてないと思った。
こんな私を、親友だといってくれた、親友に。
音のない教室で、私は一人ほたるちゃんといつも一緒に座っていた場所の隣に腰掛ける。
ただ下を向いて何も出来ない自分を怨んでいた。
涙の一つも流せず 礼もいえずに
ただ 時が流れるだけのを待っている情けなさすぎる自分に
謝っても、謝っても…何をしたって、足りない事は分かってる。
謝ったって何も始まらない事も知ってる。
最期に会いに行かないのは、どうでも良いからなんかじゃない
大切だった だいすきだったから
大きな音を立てて、自分の手が机に叩き付けられたのと 教室の扉が開くのは一緒だった。
「しゅうへい…」
「…大丈夫か?」
「…早かったね」と小さく呟いてみたら彼は「抜けてきた」とあっさり答えて、私の傍へ歩み寄る。
「…駄目だよ、抜けてきちゃ…」と苦笑いする私は、私が云えた台詞ではないな と今更実感した。
膝を抱えるようにイスの上で縮こまって、そこに顔を埋めたら
あまりに息苦しい
「修兵…」
瞼の裏には誰も居なければ、なにも聞こえない
ただの闇だけ。
でも 闇があるなら、それだけでもいい
彼女にはそれすらないのだから。
「泣いてもいい…?」
顔も上げずに、そう聞いた時点で 私の目には十分な涙が溜まっていた。
「それは」と呟った修兵は、きっと私の方をまた一瞥したんだろうな、なんて事を思って。
「俺が決めることじゃないだろ…」
そうだね、と答えようと口を開いたが、口から零れ出てきたのは小さな嗚咽だけで、赤い袴に 小さな粒が染みをつくっていった。
袴に深い皺を刻み込む私の手を、彼は引っ張って イスの上で重ねる。
それすらみえないこの眼に、誰かの生きてた証なんてのは映るはずもなかった。
込めすぎた力と、後悔と哀しさで震える小さな手
それに重なった、私の堅く握った手の力を抜いてくれる手は、大きくて優しい。
滲んでなにもみえない視界を、少しだけそっちに向けて それだけをみつめれば、優しすぎて いくらでも涙は出てくる。
一人の時とかわらない音のない空間
一人の時とかわらない光のない瞼の裏
触れてくれた、握ってくれた手から
彼の暖かさと優しさが充分伝わってくる。
それが、なによりも辛い
← back →
2012/06/15