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約束の明日
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新しい聖域を作りましょう――今生の女神はそう宣った。
「よく晴れたもんだ。女神の奇跡か」
ギリシャの冬は雨が多い。こそりと抜け出した会場の裏手で独り言つ。夜風は冷たいが酔い醒ましには丁度良い。新年までにはまだ一時間はあるというのに呑まされ過ぎた。石造りの壁に凭れ見上げれば天上の星、見下ろせば人工の星――きっとあの十三年の間にも瞬いていた。
「しかし……教皇宮でカウントダウンパーティーなんざ思い付くかねフツー」
雑兵や候補生も呼びたかったらしいが、流石に教皇が押し止めた。いや、相談役の前教皇と新設職の教皇補佐は乗り気であったらしいが。これでは教皇はまた黒い心に呑まれるのではないのか?流石にもう付き合いたくない。
「兼業女神、という前例がないのは確かですね」
「……目敏い奴」
「呑まされてるなと思ってたので」
そう言って弟子が渡してきたのはチョコレート。どこぞのショコラティエに作らせたと女神は仰っていたが、俺が作った方が美味い。それを聞いた弟子は相変わらずですね、と笑う。
「しかしお前、イイ女になったなぁ」
「とっとと食べて酔いを醒ましましょうね」
弟子はもう仮面を着けていない。女聖闘士を縛る掟は撤廃されたのだ。但し『素顔を見た相手を殺すか愛すか』の部分が。候補生時代から着用し聖衣よりも長い時間を共にしているのだから、簡単には外せない者も居るだろう。これも『新しい』の一環だ。
「やり手だな、あのシニョリーナ」
もう一つの職業、財閥総帥時のBGをさせる為でもある辺り、抜け目ない。そしてこのカウントダウンパーティーとやらも決して巫山戯ている訳ではなく。互いを知り、一人に抱え込ませない。旧習と秘匿と閉鎖が招いた悲劇を繰り返さない為に――俺が言える事ではないが。
「聞かなかった事にします」
「へぇ、融通が利くようになったじゃねぇか」
「お褒めの言葉はいただきますが……これは何ですか」
「寒いから」
へらりと笑う俺に何を言っても無駄だと諦めたのか、背中から抱き締めた腕の中におとなしく留まった。逃げたとしても光速で捕まえてみせるが。
「先生は嘘吐きです」
このまま何処ぞにしけ込んでやろうかと思った時、振り仰いできた弟子と視線が合う。潤んでいるように見えるのは瞬く星を映しているからか――の、わりに、厳しい事を言う。
「まだ許してくれねぇの?」
「事実ですから」
勝手に決めて、勝手に死んだ。殉じるのは俺達だけで、他を巻き込む必要はないとか――言葉を尽くせば良かった。結局巻き込んだ。何でその時に気付かなかったのか――後で悔やむとはよく言ったものだ。
「申し開きも御座いません、ってな」
「その通りです」
「……手加減してくれよ」
肩口に顔を埋めて泣いた振りをする俺の頭を、弟子は子供にするように撫でてきた。その心地好さ、温もり、香り――帰ってきたと、今更ながらに噛み締める。
「守る為の嘘もあるって知りましたが……やっぱり、知らないままは、嫌です」
「はい」
「私を、皆を、頼って欲しい」
「はい」
「……どうして敬語なんですか」
「真摯な反省を伝える為に」
堪えきれないと吹き出す弟子を向き合うように抱き直す。不思議そうに見上げる瞳には未だ星が映る。確か初めて逢ったのも、『明日』に変わる少し前、今のような、溢れそうな星の夜。
「先生?」
「いや――流石に戻るか」
「ですね。そろそろ女神の挨拶も始まるのでは」
「おぉ、そりゃマズい」
「え、せん、せい――」
文句を言わせる隙は与えない。問答無用で姫抱きで駆ける。カウントダウンで始まるのは新年だけではない。
「約束、する。勝手に死んだり、しない」
「そうじゃないでしょう」
「まだ駄目なのかぁ?」
らしくなく大真面目に申し上げたというのに。どこまで叩きのめす気なのだろうか。少しばかり居ない間に強く逞しく育った弟子を恨みがましく見つめる。
「其処は『一緒に生きる』と言うところですよ」
「あー…」
無意識にネガティブになる程にあの十三年は重くのし掛かる。忘れていい事だとも思っていないが。だが、まさか、弟子に先を越されるとは。
「緩い顔になってます先生」
「だって……ソレってプロポーズだろコニーリア?」
「どうしましょうか。このまま上まで戻ってくれたら考えます」
「おい――まぁ、いいけどな」
きっと弟子は知るまいが、何人かには確実に宣戦布告になる。だがそれも新しい聖域なればこそ。
「――Vorrei vivere con te tutta la vita.」
「……何ですか?」
「先生様の国の言葉くらい勉強しろバーカ」
「子供ですか」
「生まれたてだしな」
そうだ。許された新しい生命で。
新しい聖域、新しい世界を。
友と、愛する者と、今度こそ。
明日を、未来を生きる。
――この約束は、違えない。
“約束の明日”
●END●