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千年後も此処で
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過ぎ行く時の果てに
街並みが変わり
地形が変わり
或いは国さえ変わったとしても――
「見よ、御来光だ」
城内で一番高い塔。絶妙に組まれた壁岩の上で此方を見もせず言う女は、羽根も尾も角も全てを解放していた。――但し色は魔族のそれとは違う、白。
昇り始めた日を受け、黄金にさえ見える。魔と精霊と人間が一つだった頃の古代種族。『天使』とは分かたれた後の人間の祖が見た彼等なのかもしれない。
「何だ、呆けて。見に来たのではないのか?」
「……珍しくもないだろう」
毎朝昇り毎夜沈んでいるのだから。そう告げると女はようやく此方を向く。逆光で顔は見えないが、しくじったと感じた。
「珍しいさ。初日どころか毎日の日の出日の入りどころか……太陽をじっくりと見る事すら初めてだ」
そうだ、この女は、魔界から逃れた後――逃れる原因となった高過ぎる魔法力を持つが己が身を、地上を揺らさぬように自らを封じていたのだ。誰とも会わず、誰とも言葉を交わさず、たった独り、百年もの時間を。
「お前は存外顔に出るのだな」
「やかましい」
柔らかく降り立ち柔らかく笑うから、すまなかったが言えなくなる。見た目だけならば同じ歳程である事が余計に差を思い知らせる。そう考えるのが未熟なのだと分かっていても。
「ほら、機嫌を直せ」
「っ、何をする!」
「落としはしないから安心しろ」
抱き付いてきた一瞬で、一番高い塔よりもっと高く舞い上がる。呪文ではなく魔法力そのものでの飛翔。それをするには羽根が有る方が安定すると言っていた記憶がある。
「お前、オレが来るのを知っていて、本性を出しておいたのか?」
「予知などできるか。ただ……会いたいとは、思っていたよ」
いつの間にか昇りきっていた日は、海も山も、未だ戦の傷が残る家々をも、妙なる色彩で壮麗に照らし出す。素直に、美しいと思う。
「確かに珍しい物が見れたな、色々と」
「調子に乗れとは言っていないぞ小僧」
女の頬を染めるのは日の光だけではないような――確認しようとした時、遥か眼下に揺れる亜麻色も目に入った。城の主人、勇猛な姫、世界を救った一人。それが今は市井の娘のように跳び跳ねて――声は聞こえ難いが随分と御立腹であるらしい。
「何かしたのか」
「……新年くらい顔を出せと書状をいただいたが、返答し忘れた」
「挨拶もせずに此処まで来たのか? 不法侵入の咎めを受けても致し方無いぞ」
緩やかに下降しながらの問いに渋々と答えれば、黄金に見えた羽根も妙なる色彩も幻のように掻き消える。日は昇りきり、また昨日と変わらぬ日々の繰返しが始まる。
「あたしの前でイチャつくとは、いい度胸してるわねアンタ達」
「『達』? 私もか」
「一人じゃイチャつけないでしょ。さてどうしてくれようか」
しかしこの姫には――いや、人間には、今日を昨日とは違うものにする力が有るらしい。怒っていた筈だろうに、いや怒っているのだが、何やらついでに楽しもうとしているようで――長い生命を生きる『だけ』の魔族が敵わない部分。
「決めたっ。両名は正装して新年の儀に付いてくる事」
「ソレは罰なのか?」
「いつもみたいにフワフワ飛べないわよ。美男美女を付き従えるなんて気分良いわぁ」
女二人は軽く言うが、オレには重罰だ――好奇なのか嫌悪なのかは判じられないが、オレに向けられる人間の目には未だ慣れない。オレが人間に向ける目は多少変わったかもしれないが。
「まだ人間が嫌いか」
「……分からん。お前はどうなんだ」
足取り軽やかに城に戻る姫を追う途中問われても答える事ができずに。ふと、オレよりも人の世が長い存在ならばどう答えるのかとよぎった。
「私は好きだよ」
「断言するのか」
何を以てそこまで――半歩後ろに浮かぶ女を振り返れば目が合う。色素の薄い不思議な色の瞳は妙なる色彩と同じだった。
「するさ。お前も半分は人間だ」
「答えになっていないだろう」
「そうか? まぁ、知りたいなら生きるしかないな、人間の隣で――何を、する」
追い抜き様飛び立とうとする女の腕を掴む。そんな行動に出ると思わなかったのだろう、面食らったような不機嫌なような顔をする。見た目通りの年頃の、普通の、人間の娘のするような――オレが半分人間ならば、この女も三分の一は人間なのだ。
「何をすると訊いているのだが」
「飛ぶとまた不興を買うぞ」
「私は巻き込まれたんだ」
それも飛ぶから見付かったのだろうが。言ってやろうと思ったがやめた。今の不貞腐れた様な顔も、会いたかったと言った時の顔も、近寄りがたい柔らかな笑いよりも人間らしい。オレの中の人間が、そう言っている。
「機嫌を直せ――次は夜明け前から付き合ってやるから」
「調子に、乗るなと、言っただろう」
言うが早いか腕を振り払い此方を見据えてくる。オレと同じ尖った耳は未だ日に当たっているかのような色で――お前も存外に分かりやすい。
「人間の隣に居たいとはまだ思えないが、お前の隣なら――と思っただけだ」
「……バカ者」
「バカで結構。ほら、また不興を買えば何を着せられるか分かったものではないぞ」
「っ、それはまずい」
嫌な記憶が有るのか急ぐ女の今度は手を取る。一瞬止まるが振り払われはしなかった。訊きはしないが、本当は。幾度も日を出迎え日を見送っていたのだろう。百年、独りで。亡くしても、それでも、父と母、もう一人の父が居たオレには計り知れない年月――埋まる事のない、差。だが。
「私も……隣に、居るのが、お前なら……いいと思う」
これからを共に歩む事はできる。何を意味するか何を求めるかは長い生命の先で分かればいい。そのついでに人間を理解できる日もくるだろう。
「五百年でも千年でも。付き合ってやる」
「……バカ、者、が」
この戯言の応酬が心地好い理由も、きっと、分かる。
“千年後も此処で”
●END●