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『最期がこんなんとか…雄の役目を果たすことも許されなかったよ…。来世はもう、蜂の雄には生まれたくねぇな…じゃあな、レイ。』
そう言って、窓から夜の空へ飛び立った親友の後ろ姿が忘れられない。
ほんの少しだけ俺の方を振り向いて、自分を卑下するように笑った彼の横顔も。
(…俺はどうするべきなんだ……?)
窓に肘を掛けて一晩中考えても、答えは出なかった。
新たな一日が始まったことを、残酷に告げる朝日が憎い。
地平線から顔を覗かせた太陽に背を向けて、俺は自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。
そんな時、不運にも俺は…女王様が巣の中を行進している場面に出くわしてしまった。
「女王様、おはようございます!」
沢山の蜂から尊敬の眼差しを受け、気分が良さそうな彼女の顔を見ると腸が煮えくり返りそうだ。
時折雄たちの群れに目を向けて、蔑むように眉を顰めるあの顔も…。
俺はなるべく彼女に見つからないよう、隅の方で壁に凭れて息を潜めていた。
だけど、またまた不運なことに、背の高い俺はまんまと彼女の視界に入り込んでしまった。
彼女はパァと顔を綻ばせ、俺に向かって一直線に歩いて来る。
最悪だ……。
「ねぇ、あなた…名前は?」
「…レイですけど。」
すると彼女は、俺を舐め回すように上から下まで視線を這わせ、口元を歪める。
「ふぅん…顔もなかなか良いし、背も高い…気に入ったわ。あなた今晩寝室に」
嫌な予感が頭をよぎり、俺は彼女の言葉を遮って答えを出した。
お断りします――――――
(…最高の名誉、か……。)
怒りで顔を真っ赤にして叫んだ女王様の言葉が、親友の言葉と重なる。
雄の蜂は働かない。
女王蜂と交尾をするためだけに生まれ、朽ち果てる。
交尾できなかった雄は巣から追い出され、これまた朽ち果てる。
そうなれば、女王蜂と交尾できた者は使命を全うした勇者であり、最高の名誉に値する…
(あいつもよく言ってたな…同胞のために命をかけるのが役目だって…)
なら、役目を果たせなかった彼は何のために死んだのか。
(無念だよな…)
あれから数時間が経ったが、俺は女王様の部屋に行く気はない。
『今晩私の部屋に来なさい』という女王様の命令を忘れた訳ではない。
だけど…俺には俺の優先順位がある。
知らぬ間に、自然と足が赴いたのは親友を見送った窓。
瞬く無数の星に誘われて衝動的に翅を広げ、夜空の下へ飛び立った。
(絶対に見つけてやるから…)
交尾を終えた雄は、残りの体力を振り絞って死に場所を探す。
巣の中で死ぬことは許されていないからだ。
皆に迷惑がかかるのなんの…
そんな理由でひっそりと死ななければならない。
彼の様子を思い出してみる限り、あの状態ではきっと遠くへは飛べなかったはずだ。
俺は彼を探す旅に出て、休まずあちこちに視線を張り巡らせた。
木の枝に翅が引っかかり、傷が入って飛びにくくなっても…俺は巣の周辺をずっと探索し続けた。
そして…ようやく見つけた。
樹根の陰に隠れて横たわる、一匹の蜂を。
更に目を凝らして見れば―――死んで姿が変わり果てても、記憶の中の彼と何一つ変わらないその顔を拝めることができた。
「………!」
俺が降下しても、もちろん彼が目を開ける事は無く…
力なく放り出された肢体には蟻が集り、彼の体を解体して巣に持ち帰ろうとしている最中だった。
安らかに眠る事さえ認められないなんて…!
「おい……っ!」
咄嗟に彼を蟻から助けようとして、俺はハッとした。
――――助けたとして、どうなる…?
もう、彼は既に死んでいるんだ。
こんなにも惨めな一生を歩むことしか許されていない俺達は…俺達がやるべき事は…
ブチンッ…!
蟻に首を引き千切られた親友の姿を見て、体に衝撃が走ると同時に悟る。
(…そうか…そうだよな……)
この時、俺の頭は突然軽くなった。
今まで散々悩んでごちゃごちゃにしてきた感情が、一瞬にして綺麗に晴れたんだ。
あの女王蜂に、死ぬまで消えない傷を負わせてやればいい。
未受精卵から雄が生まれてくるのなら、全力で精液を注いで殆どを受精卵にすればいい。
所詮、女王の立場に居座るだけの雌でしかない事を分からせてやればいい。
俺の心は決まっていた。
俺が、親友の役目を代わりに果たしてやる…。
交尾を終えて死ぬことに恐怖は無かった。
だって、女王蜂と交尾する事は最高の名誉なんだろ………?