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抱えるもやもや
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歩いていたら、いきなりずっこけた。
「きゃんっ」
「・・・大丈夫か?」
「は、はい、無事です!」
「そりゃよかったな、本は」
「はい!」
「・・・鼻頭、赤くなってんぞ」
「えっ!?」
指摘すれば、レンは慌てて鼻を隠すように両手で覆った。
両手で。
つまり、荷物は。
―――どさどさッ
「・・・・・・・・・。」
「・・・ああああッ!!!」
思わずため息をついてしまったことに関して、恨みがましい目で見られる謂われはないと思う。
本当、鈍臭ぇ女。
* * * * *
レンと名乗った女――やっぱり女だった――の第一印象は、もっさりして冴えない女というのが正直なところだった。
長い黒髪はぱっと見鬱陶しくて、前髪の下には野暮ったい分厚いレンズの黒縁眼鏡。化粧はしていないようで、お世辞にもお洒落とは云えないもっさい服装。
一言で云えば、地味。
落ちた本を拾うのを手伝ってやろうとすれば、お客様にそんなこと、なんて云うから大人しくしてたのに、拾って積み上げてはぶつかってまた雪崩を起こさせていたり、躓いて更に酷いことになっていたり。
見ていて飽きはしなかったが、ややイラッとしたのは事実だった。
鈍臭い。
それに尽きる。
「酒場、ですか?」
「ああ、仲間と待ち合わせしてんだ」
漸く本をまとめ、一段落ついたところでおれはここを訪ねた本来の目的を果たすことにした。別に女がいるからここに来たわけではないのだ。
簡単に事情を説明すると、レンは二つ返事で案内を快諾してくれた。
道さえ教えてもらえればよかったのだが、どうやら思った以上にこの街は迷路な作りになっているらしい。それは難しい、とあっさり云われてしまった。
なんでもこの街は、昔は小さな村だったのが、協会を中心にして長い年月をかけて少しずつ大きくなったのだそうだ。
だからほとんど整備もされない無茶苦茶な道になってしまい、正確な地図など誰も持っていないほどの有り様なんだとか。
それって街として大丈夫なんだろうかと疑問に思わざるを得ない。
が、長く住んでいればそれなりに道は覚えるようなので特に問題はないらしい。住人は。
問題なのは、おれのような迷子になる島の来訪者のほうだ。
地元の人間ならまだしも――そもそも迷いもしないのだろうが――初めて来た、ましてや迷子になったようなやつに口頭での説明は難易度が高すぎた。
「私も丁度、そっちに用事があるんです」
だから気にしないでください、と云うレンに、ならばと甘えることにした。
住人の言葉だ、頼もしい、と思ったのだがしかし。
道中、冒頭のようにすっころんだり荷物を落としたりどこかにぶつかったりしたのは、一度や二度ではない。
鈍臭い。
今まで見てきた人間の中で、ダントツに鈍臭い。
見るに見かね、いつの間にかおれはレンの荷物を取り上げ、あまつさえフリーになったレンの手をしっかりと握っていたのである。
「ああああああのあのあのサッチさん!?」
「噛みすぎだろ」
「だだだってその、あの、手・・・!」
「ああ、手な」
「手、手・・・!!」
成り行きというかなんというか。
別にやましい気持ちがあったわけじゃない。どうせ手を繋ぐなら美人がいい。って、何の話だ。
とにかく、見ていて危なっかしくて仕方ないのだ、レンは。
なんで前見て歩いてんのに壁にぶつかるんだ、つんのめって転けるんだ。このあたりはデコボコが多いから気をつけてとか云ったのはどこの誰だ。お前だろ。
と面と向かって云うのはさすがに憚られたので、手っ取り早い方法を取った結果がこれだった。
早い話、荷物をなくして手ぶらにして、手を引いてやればいいんだろう。
そう思い至ってからすぐに行動に移せば、レンはぽかんと間抜けな顔をして固まった。
それから見る見るうちに顔を真っ赤に染め上げて、必死に手を離して荷物を奪い返そうとしてきた。が、たかだか街の小娘相手におれが遅れを取るはずもなく。
レンの抗議を無視して手を引いて、現在に至る。
おれとレンとは結構な身長差があるので、つまり単純に足の長さも違うわけだから、ちらりとレンを観察しながら歩幅を調節する。
今レンは何も持っていないので歩くことに集中すれば転ぶことはなさそうだが、まだ手と荷物とおれをチラチラ見て困ったように顔を赤くしていた。
・・・新鮮だ。
最近相手にしていた女にはない部分なので、悪くないと思った。ただ、惜しむらくはおれ好みのナイスバディな美女じゃないことだろう。
「サッチさん、あの、ホントに大丈夫ですから・・・!」
「あん?」
「私、もう転びませんから・・・!」
足を止め、振り向く。
すると、真っ赤な顔で半泣き状態のレンと目が合った。
さっきぶつけた鼻はぺしゃんこで、眼鏡もずり落ちていてみっともないし、髪はすでにボサボサだ。上目遣いも板に付いていない。
全然美人じゃない。
全然好みじゃない。
おれは美人で豪華な女のほうが好きだ。
こんなもっさりと地味な女は、今までだったら断固拒否していた。
今まで、は。
でも、レンは。
嫌いじゃ、ない。
そう、嫌いじゃないのだ。
ついでに云うと、レンの顔は、どこか―――悪戯心と加虐心をくすぐられる。
「お前、ここまでで何回躓いて転んだ?」
「え? え、と、・・・4回躓いて、3回転びまし、た・・・」
「・・・そんなにだったか?」
「あ、でも今日はまだ少ないほうです!」
いつもだったら二桁は軽いですから!
そこだけ自信満々に云われても正直反応に困る。良かったなとか云えばいいのか。困る。不憫だ。
とりあえずひとつ咳払いをして気を取り直し、改めてにやりと笑う。
びくり、とレンはわずかに頬を引きつらせた。
「放っとくとすぐ転けるお子ちゃまには、保護者が必要だろ?」
「・・・ほごしゃ」
「そ。何も取って食いやしねェから安心しとけ」
云えば。
さっき手を握ったときと同じように、ぽかんと間抜けな顔で停止したので、更に加虐心を煽られて、手の握り方を変えてみた。
そう、所謂、恋人繋ぎというやつに。
「さーて行くぞー」
「・・・・・・!?!?」
「おい、おれは道わかんねェんだから、ちゃんと案内してくれよ」
「あ、じゃあ次の角を右に・・・じゃなくて、サッチさん!!」
「はい、サッチさんですよ」
「知ってます、からかわないでくださいッ!」
「なんだよ、つまんねェな」
「つまるつまらないの問題じゃなくてですね、あの、もう、手・・・あーもうっ!」
熟れたトマトのように顔を真っ赤にして、怖くもないのに怖い顔をして睨まれたところで、おれにはなんのダメージもない。
しかし面白かったので、手を握る力をギュッと強めてやったらますます顔が赤くなって、ついには何も云わなくなった。
ちょろい。
前を向き直してこっそり笑ったら、笑わないでください、と怒られた。バレていたらしい。
「・・・サッチさん、意地悪です」
「おう。だから手ェ離してやんね」
「ううぅ・・・!」
赤い顔のままレンはうんうん呻いていたが、しばらくすると諦めたのか、小さなため息をひとつ零して大人しくなった。
どうやら抵抗は無駄だと気付いたらしい。
賢明だ。
どうせ抗議を聞き入れられないなら大人しく従っていたほうが被害が少ないと判断したのだろう。
その通りだ。
次の角は左です、と云うレンの言葉通り歩きながら、ちらりと横目でレンを観察する。
何度見ても変わらず地味だ。
年は知らないが、それでも普通ならまだまだ着飾りたい盛りの年齢だろうに、シャツの上はサイズの合っていないようなだぼついた黒のカーディガンで、膝丈のフレアスカートはこれまた地味なアイボリー。膝下までのブーツはダークブラウンだし、カラーリングも全体的にかなり地味である。
もしかして眼鏡を外せば劇的に美女に変化するかもしれないという一縷の期待を込めて、店を出る前に眼鏡を奪って素顔を拝んでみたものの、あえなく撃沈。眼鏡を外すと素顔は美人、なんてのは物語の中だけの話なんだと思い知らされた。
レンは、よく見れば確かに不細工ではないが、美人とは程遠く、どちらかといえば可愛い寄りの顔ではあるが、可愛いと云い切るには首を傾げてしまうような顔立ちだ。
何度も云うが、こんな女は守備範囲外だ。
なのに、気になる。
もっさりと地味で、男慣れもしてないような、偶然出会った古本屋の店員。
レン。
口の中で、声には出さずに名前を呼んでみる。
驚くほど心地良くて、逆にむず痒い。
なんだ、これは。
らしくないだろう、おれ。
「そこを真っ直ぐ進めば、三軒目の大きな建物が酒場ですよ」
ハッとする。
いつの間にか酒場のすぐ近くに来ていたらしい。辺りを見回せばそういえば一度見た風景であることに気付いた。
「あー、サンキュ。助かったぜ」
「いえ、こちらこそ。・・・あの」
「あん?」
「・・・そ、そろそろ、手は、いいのでは・・・」
あと荷物も、と云いながら、一度は戻った顔色はまた赤みを帯びてきた。丁度、夕焼け空のようだった。もちろん、夕焼けのほうがずっと綺麗なのだが、そう思った。
まぁ、確かにこれ以上おれが荷物を持っていると逆にレンに迷惑だろう。恐らくこれからレンは、この荷物を持ってどこかに行くのだから。
「ほら、今度は落とすなよ」
「お、落としません! ・・・そんなには」
「自信ねェな」
笑うと、レンはリスのように頬袋を膨らませた。だから、怖くなんざないんだよ。
―――しかし、不快ではなかった。
顔色や表情をころころ変えるレンに、おれは確かに好意を持っていることを認めざるを得なかった。
「じゃあ、私はこれで」
「ああ。・・・悪かったな」
しっかりと荷物を両手に抱えたレンに、片手を上げて挨拶をする。何に対しての『悪かった』のかは、いまいち自分でもわからなかった。
俺は酒場へ行くので直進するが、レンはすぐそこの角を曲がるらしい。
あと数メートル。
少し歩けば、きっと今後、おれとレンの道が交わることはないのだろう。
なんとなくレンの方を見られず、酒場の方に視線を向けたままの台詞に、レンは少し間を空けてからいいえ、と答えた。
思わず、視線をレンに戻す。
レンは笑っていた。
「いいえ、サッチさん」
美人じゃない。
可愛くもない。
けど、酷く―――魅力的な、笑顔だった。
「私、楽しかったです」
「・・・そうか?」
「はい。あの、私、こんなのでしょう? だから、あんまり人と・・・特に男の人と話すことなんてあんまりなくて」
「・・・・・・」
こんなの、と云いながら、レンは自分の格好やら眼鏡やらを指差し、自嘲気味に笑った。さっきの笑顔とは正反対に、おれはその笑い顔は不愉快だと思った。
レンは続けた。
「普通、男の人って、街中にいるような華やかな美人が好きだから、私みたいなのは相手にしないんですよ」
「・・・それは、」
「あ、いいんです、本当のことですから。・・・あのですね、でも、その」
違うと否定しようとした台詞は、レンにあっさり遮られた。
そんな自分に驚く。
遮られたことに、ではなく、否定しようとした自分に。
違う?
いや、違わないだろう。
男というのは往々にして、華やかな美人が好きだ。時折不細工なほうがいいなんて云う輩もいるが、それは少数派なのだ。
かく云うおれも、華やかな美人が大好きな、一般的な男だったはずなのだが。
しかも、レンはもっさり地味なやつだと、さっきから何度も確認しているというのに。
何故か。
―――苛ついた。
例えレン自身であれ、レンを貶めることを云うのは、何だか無性に腹立たしかった。
そんなおれの苛立ちには気付かないのか、レンははにかむように笑って続ける。
「サッチさんは、ちゃんと私の目を見て話してくれたでしょう?」
「・・・・・・・・・」
「それだけで、十分でした」
「―――・・・」
「ありがとう、ございました」
楽しかったです。
そう云うレンに、おれは言葉を返せずにいた。
何を云えばいいのか悩んでいる間に、レンはさっさと歩き出し、曲がり角で振り向いて一度会釈し、建物の向こうに姿を消した。
ハッとして追いかけようと角を曲がっても、もうどこにもレンの姿は見えなかった。
追いかければ、まだ間に合うかもしれない。
が、待ち合わせの時間は迫っていたし、もし追ってもレンを見つけられなかったらまたこの蜘蛛の巣のような街並みで途方に暮れることになるだろう。
というか、そもそも追いかけたところで一体おれは何を云うつもりなのだろうか。もう二度と会わないであろう女を追いかけて捕まえて、伝えたいことなんてきっとないのに。
しばらくおれは、なんだかよくわからない感情を抱えてその場に立ち尽くした。
「・・・はー・・・」
ああ、ちくしょう。
本当に、らしくねェ。
「あ、おーいサッチ!」
すると、酒場から出てきたらしいエースに見つかり、呼ばれる。
どうやらすでに宴は始まっているようで、元から酒に強いわけでもないエースはすっかり酔っ払っていた。
気付かなかったが、よく耳を済ませば酒場からはどんちゃん騒ぎが聞こえる。
「遅ェよー! 何してたんだ?」
「・・・うっせ」
「は? 何だよ、機嫌悪ィな。もしかして振られたのか?」
「・・・・・・・・・。」
「・・・図星かよ」
いや。
振られてはいない。断じて。
が、似たような気分だった。
「っ、あ゛ーくそッ」
「ぅおっ?」
「腹立つ、おいエース、今日は飲むぞ!!」
「はぁ?」
「いーから付き合え!!」
「えー、マルコあたり付き合わせろよー。おれもう飲めねェ・・・」
「ガタガタ云うな、弟!!」
嫌がるエースにヘッドロックを掛け、引きずるようにおれは酒場へと足を踏み入れた。
腹立つ。
腹立つ。
あっさりと姿を消したレンに?
そんなものは八つ当たりだ。
おれは、おれ自身に腹を立てていた。
そのむかつきを一時忘れるために、とりあえず今は。
「おーい、サッチ様の到着だぞー!!」
自棄酒してやる。
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サッチは世話焼きさんだと思います。あと好きな子にはちょっと意地悪しちゃうタイプ(笑)
20101108
20180402 再掲