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陥落宣言
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ペラペラと、ひたすらページを捲る。
本を読んでいるわけじゃない。おれには速読機能なんざついていない。
見上げた空は真っ青、快晴。
行楽日和というのはこういう天気を云うのだろうとぼんやり思う。
思いつつ、ひたすらページを捲る。
「・・・・・・・・・。」
かれこれ一時間はこの作業に没頭しているのではないだろうか。
一冊分のページを捲り終えたら次の本、それも終わればまた次の本。
キリがない。
レンの店の裏手は意外と開けた場所になっており、狭い路地で日の光などほとんど当たらない表とは印象が全く違っていた。こっちが表なら、もう少し明るい店になるだろうに。と思うのはお節介だと思うので、思うだけにしておいた。
そして今おれたちは、その裏手にビニールシートを広げていた。
ピクニックではない。
作業は変わらず本のページ捲りだ。
なんでも、本はあまりに日に当てず仕舞ったままにしておくと、埃が積もってそこから虫に食われるらしいのだ。
なので、こうしてたまに天日干ししてやる必要があるらしい。
最初はそんな簡単な作業ならばと思って手伝い始めたのだが、これがなかなかどうして骨が折れる。
一枚一枚ページを捲るので手の水分が奪われて手はかさかさになるし、手首はしんどいし、積み重なった未作業の本はまだまだ山積みだし。
捲りながら、隣で同じく作業に勤しんでいるレンを盗み見る。
軽く鼻歌なんぞ歌いながら、楽しそうにページを捲っていた。
一体何が楽しいんだか。
いや、楽しいというならば何よりではあるが。
ちらりともう一度、山積みの本に目をやる。
うんざりする量だ。
今はおれが手伝っているからまだいいが、おれがいなければこいつはこの量の本をひとりで片付けるつもりだったのだろうか。
無茶だろう。
おれ以外の誰か――もちろん女で――手伝いを頼める人物がいればいいんだが。
と、今更になってふと気付く。
おれがレンのもとに通い始めて7日。
レン以外の店員を、見ていない。
「・・・なぁ」
「はい?」
「この店、お前ひとりでやってんのか?」
広くはないが、決して狭くもない。
天井まで届く本棚には数え切れないほどの本が収められているし、確か以前、倉庫にもまだ保存されている本が山ほどあると云っていた気がする。
別に馬鹿にしているわけではないが、レンのような小娘がたったひとりで店の経営など出来るのだろうかと疑問に思う。
それに、なんだ、その。
レンは、おっちょこちょいで鈍臭いから。
うっかり店の帳簿を書き間違えて赤字にしたり、うっかり在庫管理をへましたりするんじゃないだろうか。
自分で思ってなんだが、非常に信憑性はあると思う。
すると、ページを捲る手を止めたレンがおれを見た。黒縁眼鏡の奥は半眼である。
「今、サッチさんが考えてることが手に取るようにわかります」
「マジでか」
「どうせ、私ひとりの経営は悲惨だとか思ってるんでしょう?」
ご明察だ。
迷わず頷くと、レンはプクゥと頬を膨らませた。
リスか。
「ご心配なく。私は好きでお店を手伝わせてもらってるだけですから」
「・・・ボランティア?」
「まぁ、似たようなものですね」
「まさか無給なのか?」
その問いに、レンはそうですよ、と事も無げに云ってのけた。
馬鹿か。
鈍臭ェとは思っていたが、こんなに馬鹿だとは思っていなかった。
7日通っていたが、おれは単にレンが動いているのを眺めて時々話しかけたり手伝ってみたり、適当な本を読んだりしていただけで、何もレンは暇をしていたわけではないのを知っている。
客が訪れるのは稀ではあったがゼロではなかったし、古本だけあって汚れたものも多く、地道に綺麗に拭いたり、ボロボロになったカバーを直したりと、仕事は意外に多いのだ。
しかも、楽ではない。
本は一冊は軽くとも、まとめて持てばそれなりの重さになるし、繰り返すのは立派に重労働だ。
それを。
無給だと?
「あ」
「あ?」
次の瞬間、おれはレンの脳天にチョップをお見舞いしていた。
「あほか!!」
「い、痛ーっ!?」
「お前なぁ、それ絶対いいように使われてるだけだぞ!?」
「シスターはそんな人じゃありません!!」
「誰だよシスター!! だいたいお前、無給で働いてどうやって生活してんだよ!?」
「それは別に仕事が、」
「嘘つけ! おれが来てからお前一度も―――あ・・・?」
はた、と。
我に返る。
そうだ。
少なくとも、おれがここに通い始めてからは、一度もレンがいなかったことはなかった。
まさか、とは。思うのだが。
いや、自惚れかもしれない。
偶然かもしれない。
しかし。
まさかまさか。
もしかして。
「・・・お前、おれがここに来るから仕事に行ってないのか・・・?」
口にしてみると、なんと傲慢で自意識過剰なことだろうか。
自分が来るから、自分のために仕事を休んでいるのか、なんて訊くなんて。
いや、でも、しかし。
そう思わざるを得ないだろう。こんな話を聞いたら。
陸に生活する人間は、何かしらの仕事をして稼がなければ生活出来ない。海に生きるおれたちとは、根本が違うのだ。
生活するために略奪を繰り返すのは強盗や山賊であり、レンは立派に一般人だ。
だと、云うのに。
レンは、仄かに顔を赤らめてはいたが、小さく違います、と呟いた。
何が違うのか。
首を傾げ、視線で続きを促すと、レンは諦めたようにぽつりと話し始めた。
「・・・もとから、私の仕事は不定期なんです。この間も話したこの街の中心の教会で、子供たちに本を読んだり勉強を教えたり、小さい子の面倒をみたりしてるんですけどね」
「・・・・・・・・・。」
「・・・その胡散臭さそうな目はやめてください。ぶっつけ本番じゃなくてちゃんと下準備はしてから行くんですから」
「悪ィ」
「もう・・・。まぁ、それでですね、今の時期はもうすぐ島を挙げてのお祭りがあるので、教会の子供たちもみんなその手伝いに出てるんです。だから、ここのところは私の出番はなかったんですよ」
「・・・へぇ」
「お祭りの手伝いは、もう私の分は終わってますし。・・・あの、だから・・・」
いつの間にか、ページを捲る手は止まっていた。
一度バチリと視線がかち合ったが、サッとすぐさま反らされる。普通にショックだったが、根性で顔には出さなかった。
視線を上下右左、まるでレトロゲームのコマンドの如くさまよわせ始めたレンは、あのそのえっとと煮え切らないようにもじもじしていた。
何だ。
やめてくれ。
何か、こっちまでどうしていいかわからなくなる。
「ええと・・・だから、ですね」
口ごもりながら、漸くレンは意を決したように云った。
「サッチさんのせいじゃ、ないんです。その、ですから、」
「・・・・・・」
「・・・わ、私、サッチさんが来てくれるの、結構、嬉しくて。・・・楽しくて。・・・えっと、その・・・だから」
女に対してのポーカーフェイスには自信があるおれだが、今ばかりは自信がなかった。
だってな、好いた女が顔を真っ赤にして、自惚れるならば、だからもう会いに来ないなんてことは云わないでくれというようなことを云っているのだ。ちゃんと言葉には出来ていなくとも、そういうことを云いたいのだということくらいわかる。
舞い上がって、悪いか。
「・・・まぁ、おれは暇人だからな」
努力、努力。
頑張れおれの顔筋。
引きつるな、すました顔しろ。
「お前が」
「・・・・・・?」
「・・・来てくれって云うなら」
非常にこっ恥ずかしい。
柄にもなくそわそわして、普段ならばあっさり出てくる言葉が、今は喉のどこかで迷子になってしまっている。
他の女になら、砂吐くほどの甘ったるい台詞も、気障なかっこつけた台詞もポンポン出てくるというのに、なんとも情けない。
ここまで云って、これ以上の言葉が出ない。
おれは誰だ?
サッチ様だ。
白ひげ海賊団4番隊隊長、女好きと自他共に認める天下のサッチ様だ。
それが、何だ。
たったひとりの地味な女の前で、かける言葉に悩んで頭を抱えるとは。
情けないのに、いくら頭を捻っても言葉は出てきてくれない。今の頭の回転で、きっと大量のシナプスが最期を迎えたことだろう。でももうちょっと頑張れ、おれの脳細胞たち。
少しくらいは気の利いた台詞を、
「・・・ホントですか・・・?」
「は?」
考えついてくれ。
と念じていたところへ飛び込んできた、レンの声。
いつの間にか聞き慣れて耳に馴染んだその声が、今は驚きの色に染まっていた。
思わずレンの方に顔を向けて、向けて、―――おれは固まった。
「・・・嬉しい」
「―――・・・」
「ありがとうございます、・・・サッチさん」
レンは笑った。
恥ずかしそうに俯きながら、しかし嬉しくてたまらないようにはにかんだ。
ああ、わかった。
もういい。
認めよう。
レン。
お前は確かに地味だし美人じゃないしナイスバディでもない平々凡々な女だ。
でもな、そんなお前でも、おれにとっては。
―――最高の女に分類される、らしい。
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サッチの負け。(何が)
20180402 再掲