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臆病者のバラード
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別にオシャレなブティックや可愛いカフェでレンがキャッキャするとは思っていなかったし、残念だが想像も出来ない。
だから――かなり一方的ではあるが――デートが決定しても、おれはそこまで期待していたつもりはなかったの、だが。
つもりだっただけ、らしい。
「・・・・・・・・・」
「・・・あ、あと、最後に市場に・・・いいですか?」
「・・・おう」
荷物自体はそう多くない。
ただ、おれは買い物だというから、仮にもレンであろうと女子が買い物だというから、もう少し違う買い物のイメージを抱いていたわけで。
小さなビニール袋と紙袋には、本を補修するための厚紙やテープ、糊やその他もろもろな道具がごっそりだ。
女らしさの欠片もない、完全なる仕事道具。これじゃあ結局仕事と変わりないだろう。あ、ちなみにレンは念の為手ぶらにしている。
道具は一カ所では買い切れなかったので何軒か店を回ったが、入り組んだ街中を歩くと結構な距離があった。
曲がりくねっているのでわかりにくいし、直線距離はそうないのかもしれないが、おれならともかく、レンが歩くには楽ではなかっただろう。紙袋の中身は、意外と重い。
こいつは最初、こんな荷物を自分ひとりで持って歩くつもりだったのかと思うと、面白くない。
頼めばいいのに、と思う。
頼ればいいのに、と思う。
「・・・ちっ」
レンの性格を考えれば、人に頼らずとも自分で出来ることはなるべく自分だけでやろうとするのはわかる。
わかるが、しかし。
「・・・あの、サッチ、さん」
「・・・あ?」
もんもんと考えながら歩いていると、レンはやたらと小さくおれを呼んだ。
振り向けば、何故かレンは、泣き出しそうな顔をしておれを見ていた。
なんだ。
なんでだ。
思わずおれが固まってしまった。
今日はずっと大人しくレンの後ろにくっついて荷物持ちに徹していたので、おかしなことは云っていないし、していないはずだ。
だというのに、レンはこんな顔をしている。
させているのは、おれ、なのだろう。
「お、おいレン・・・」
「・・・荷物、もう、大丈夫ですから」
「は?」
「い、市場には、私ひとりで・・・行きます、から」
小さなレンの呟きの意味がいまいちわからず呆気に取られているうちに、レンはおれの手からビニール袋と紙袋をさっと取って、ありがとうございました、と頭を下げてさっさとおれに背を向けてしまった。
は?
なんだ?
なんだこの状況は?
海賊なんて一瞬先のこともわからない生活をしているお陰で、たいていのことが起きても即座に対応出来るだけの臨機応変さは備えていたつもりだった。
隊長として兄弟たちを引っ張っていく責任がある以上、咄嗟の判断には自信があった。
しかし、どうだろう。
今のおれは。
早足で去っていくレンの背中を呆然と見つめるしかなくて、伸ばしかけた手が行き場をなくして彷徨っている。
なんだ。
なんなんだ。
気付けばレンの背中は小さくなっていて、もうすぐ角を曲がって姿も見えなくなるところだった。
これは、同じだ。
最初に出逢って、酒場の前で別れたときと。
・・・それは。
―――嫌だ。
考える暇もなく、咄嗟におれは走り出していた。
レンが角を曲がりきる前に、レンの肩を掴んで呼び止める。
「レンッ」
「っ、あッ・・・」
―――ドサッ
その衝撃でレンは紙袋を落とし、紙袋の中身がぼこぼこした路地に散らばってしまった。人通りがなかったのは、幸か不幸か。
「・・・あ・・・荷物、が」
「わ、悪ィ・・・」
「・・・う・・・っ」
「・・・お、おい・・・!?」
今度こそどうしたらいいかわからず、おれは途方に暮れた。
紙袋に手を伸ばしながら、レンはついに俯いて泣き出してしまった。
うずくまって、膝に顔を埋めて。
なんでだ。
どうしていきなりこんなことになったんだ。
おれは何かしたか?
気付かないうちにレンを傷つけていたのか?
わからない。
心当たりがなさすぎて、泣きたいのはこっちのほうだった。
しかし放っておくわけにもいかないので、とりあえず手早く散らばった荷物をまとめて紙袋に突っ込んでからレンの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜてみた。
こんなとき、どうしたらいいかわからない。
抱き締めてキスをして優しい声を掛けてやる?
違う。
きっとレンは、そんなことは望んじゃいない。
「う・・・っ、すみ、ません・・・」
「・・・いや・・・」
「・・・もう、大丈夫です、すみません・・・あ、ありがとう、ございました」
「・・・・・・」
いいもんか。
何が大丈夫なもんか。
レンは膝に顔を埋めたままの不自由な格好のまま、頑なに顔を上げずに荷物を掴む。
声は涙声だし、鼻は啜るし、しゃっくりあげる。
大丈夫なら、んなことするもんか。
しかし、おれにはレンが泣く意味がわからない。
荷物を落としたことは、単なるきっかけに過ぎないだろう。
きっとその前に原因はあったに違いないのだ。
なんだ。
おれは一体何をした。
泣かせたくない、のに。
「・・・くそ・・・・・・」
「ッ!」
思わず悪態つくと、レンの肩が大きく揺れた。
気のせいじゃない。
心なしか、さっきよりも小さく身体を縮こめているような、気もする。
考える。
本日のおれ。
昨日までのおれ。
違うことは、何だ。
「・・・レン」
「、ぅ、は、・・・はい・・・」
よもや、とは思う。
思うが。
一度もしやと思ってしまうと、それしか可能性が浮かばなくなるのが人間というもので。
「・・・あのな」
「・・・・・・・・・」
一縷の望みをかけて、口を開く。
おい、おれ、例え怒り爆発中の親父に対してでもこんなおっかなびっくりにならんぞ。
ごくり。
息を飲み込む音が、やけにでかくきこえた。
「・・・おれは別に、これっぽっちも怒ってねェぞ・・・?」
恐る恐る。
云えば。
「・・・・・・え・・・?」
「・・・・・・」
「・・・怒って・・・ませんか・・・・・・?」
見ろ、この驚いた顔を。
どうやら予感は的中したらしい。
レンは、おれが機嫌が悪いと思って落ち込んでいたわけだ。
大方、自分の気付かない内におれの機嫌を損ねるようなことをしたんじゃないかと気にしていたんだろう。
まさしく、さっきまでのおれと同じように。
確かに普段よりは口数が減って素っ気なくなっていたかもしれないが、それは断じてレンに苛立っていたわけでも何でもなく、わかっていたのに期待を捨てきれずにいた自分に対して腹を立てていたからだったのに。
馬鹿なやつ、と思う。
しかし、可愛いやつ、と心底思った。
怒ってないと云っても、やや疑わしそうに不安そうにおれの顔色を窺うレンに、今度はわざと大きなため息をつく。
すると、また泣きそうに顔を歪めて肩を竦める。
その様子は小動物のようで、愛らしかった。
ぶっちゃけた話、おれはレンの困ったり慌てたりする顔が好きだ。
が、時と場合による。
今は、レンには泣いてほしくなんかない。
「レン」
「、は、ぃっ」
「ケーキ好きか?」
「・・・はい?」
何の脈絡もなく問えば、レンは涙を浮かべたままの目をきょとんと瞬かせた。
眼鏡の奥で涙に潤んだレンの瞳は、今まで見てきたどんな女の目よりも綺麗だった。
そのレンの目に、今はおれしか映っていない。
たったそれだけのことにおれは酷く満足して、自然と顔が綻んでしまう。我ながら現金だとは思うが、嬉しいんだから仕方ない。
戸惑いながらも小さく頷いたレンに、おれは更に笑みを深めた。
それから、レンの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「作ってやるよ」
「わっ、わっ」
「泣き虫なお子様のために、飛びっきり甘いのをな」
「・・・・・・えっ?」
「だから、おら、泣き止め」
呆然としているレンの眼鏡を奪い取り、ハンカチなんてものは持ってないので服の袖でレンの涙を拭ってやる。
レンは咄嗟で反応出来なかったのか、されるがままだった。
・・・ホントに子供みてェ。
たまに街中で母親が泣き喚くガキの涙を拭う、あれを思い出した。
ええい、おれはレンの親になりたいわけじゃねんだ。
とりあえず涙は引っ込んだらしいレンに眼鏡をかけ直してやり、手を引っ張って立ち上がらせる。
そして、持っていたビニール袋を握らせた。
紙袋はそのままおれの腕の中だ。
そうすると、おれは左手が、レンは右手が、手ぶらになるわけで。
「で?」
「えっ」
「市場、行くんだろ?」
云えば、レンは忘れていたと云わんばかりに慌てて首を縦に振った。
「え、あ、その・・・はい・・・」
「おれ、場所覚えてねェんだよ。教えてくれ。おれも買い物あるしな」
「あ、サッチさん・・・?」
「何のケーキにすっかなー。チーズとかチョコとかどうだ?」
「な、ならチーズのほうが・・・て、あの、サッチさん?」
「よっしゃ、ならチーズケーキだ。おれのケーキはうまいぞー、女としてのプライド傷付けたらすまん」
「し、失礼な!って、ですからあの!」
「なんだよさっきから」
「きっ、気付いてたなら反応してください! もうっ」
わたわたするお前の反応を見てるのが楽しくて、と今云ったら噛みつかれそうだったので、賢明なおれは黙っておいた。
それにしても、むくれて頬を膨らますレンはやっぱり子供っぽい。いくつだよ、こいつ。
と、ハタと気付く。
おれは、レンのことを何も知らない。
歳も、好きなものも、嫌いなものも、何も。
ただ、もっさりして冴えなくて、鈍臭くて、地味な見た目なくせに、おれにとっては最高の女であることしか、知らない。ああ、ケーキはチョコよりはチーズのほうが好きだってことは今知った。
それ以外。
―――おれはレンのことを、何も知らないのだ。
「ほ、本当に作れるんですか・・・?」
「お前超失礼だかんな」
「だ、だってサッチさんが料理・・・お菓子作りとか?」
「ばっかおれの格好見てみろよ」
「いえ、てっきりツッコミ待ちなのかと・・・」
「オイ」
「す、すみません」
だって想像出来ません。
よし、わかった。レンは意外とはっきり物を云うらしい。ちょっと傷付いた。おれは懐が広いということで評定のある男なのでここはスルーするが。
まぁ、とにかくだ。
「・・・いいから行くぞ」
「は、はい」
「ん」
「・・・・・・?」
「・・・だー、もう、くそっ」
「あっ」
空いた左手と、右手。
おれはレンに、左手を差し出した。
何のためにそうしたかなんて、こっぱずかしくてとても口には出来ないが。
わけがわからないと云うようにおれの手と顔を交互に見るレンの手を、ガシッと掴む。
掴む、というか。
手を、握る。
「・・・行くぞ」
「へ、あ、えっ!」
みるみるうちにレンの顔には血が上り、茹で蛸のように真っ赤になって大慌てし始めた。
おれ、レンのこの顔好きだ。
困ったように真っ赤なるレンが、すごく好きだ。
「さ、サッチさん!?」
「おう」
「えっと、あの・・・っ!」
自惚れた発言が許されるならば、少なくともレンはおれを嫌いではない。おそらく、好き、の分類にいるだろう。と、思う。思いたい。
正直なところ、自信はない。
レンは、多分、誰かを嫌いになるようなことはないんだと思う。
こういうタイプの人間は、総じてそうだ。
嫌うこと、厭うこと、拒絶することを知らない。
だからこそ、自信が持てない。
おれは、今。
レンにとって、どんな存在なのだろう。
傍にいることをある程度許されているということは、そこそこ好かれているのだろうとは、思う。
思うが。
「・・・おれと手ェ繋ぐのは、・・・嫌かよ・・・?」
「!」
「嫌なら、離せ」
「あ・・・」
歩きだそうと踏み出していた足を止めた。
レンも一緒に止まる。
離せ、とは云ったものの、すっげぇ怖かった。
離されたら、きっとおれはしばらく立ち直れないだろう。
だからこれは賭だった。
出逢って間もないレンに、おれは賭を仕掛けた。
我ながら馬鹿だと思う。
「・・・・・・・・・」
怖い。
そんな感情を抱いたのは、いつ振りだろうか。
海王類を相手取ろうが、海軍将校を相手取ろうが、恐怖なんざ感じない。
なのに、なんだ、このざまは。
たったひとりの女に振られるのが、こんなに怖いだなんて。
おれは、知らなかった。
すると、一瞬レンの手から力が抜けた。
ぎくりとした。
離れる。
離される。
自分が云ったことなのに、嫌でたまらない。
しかし。
次の瞬間。
「―――・・・」
「・・・・・・・・・!」
ギュッと、レンの手に力がこもり、おれの手を強く握り返してきた。
驚いて思わず振り向けば、俯いて、しかし手の力だけはしっかりとしたままのレンがいた。
俯いていても耳まで真っ赤なのがバレバレだ。
やばい。
つられておれまで赤くなる。
「・・・、です・・・・・・」
「・・・・・・へ?」
何も云えず動くことも出来ずにいると、ポツリと小さなレンの声が聞こえた。
あまりに小さすぎて聞き取れず思わず聞き返すと、ほんの少しだけ顔を上げたレンと、目が合う。
「嫌じゃない、です」
呼吸を忘れるところだった。
自分の耳を疑った。
「わ、私、サッチさんと手、繋ぐの・・・嫌じゃないです」
「!!」
―――ああ、もう、ちくしょう。
無理だ。
もう無理だ。
今はレンの顔が、まともに見ていられない。
おれは勢いよく顔を前に向き直し、さっさと歩き出した。もちろん、レンの手は離さない。
レンは慌てたように足を動かし、ついてくる。
もういい。
わかった。
おれは心底、こいつに惚れているのだ。
手を繋いで歩きながら、ケーキは気合いを入れてハート型にでもしてやろうかと思った。いや、やらんけど。
何度も繋いだことのあるレンの手は、やはり温かかった。
―――離したくないと、思った。
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サッチが青すぎる←
20101128
20180402 再掲