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君のこと、僕のこと
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子供は嫌いではない。
と、思う。
自分でも曖昧なのは、これまで子供と戯れる機会など殆ど皆無だったので、あくまでなんとなくの予想でしか答えられないからだ。
だから、云った。
レンは孤児で、物心ついた頃にはすでに教会の孤児院にいたらしい。
見てみたい、と云った。
今もその教会は孤児院として経営しており、当然のことながら孤児たちがそこそこの数生活しているらしいが、なんとなく、レンが育った場所というのを見てみたい気がしたのだ。
それに一体どんな意味があるかはわからない。
わからないが、なんとなく見てみたかった。
子供たちは騒がしいかもしれない、子供だから失礼なことをしたり云ったりするかもしれない、と念押されたが、おれは懐が広いことで一部では有名なのだ。
子供が煩かったり何かされたりしたところで怒るような男ではない。
ならば、とレンは頷き、丁度用事もあったらしく、結局今日は店は閉店にすることにして、何やら重そうな荷物と、手早く作ったチーズケーキを手土産に午後から早速教会に向かった。なんか意外とそのあたりは適当でいいらしい。謎だ。
そうして歩いて街の中心に位置する教会の門をくぐると美人なシスターが出迎えてくれ、元気いっぱいな子供たちがわんさか出てきてあっという間に取り囲まれ、レンはからかわれ、おれは珍獣扱いされ、あれよあれよと云う間に食事を振る舞われ、おれが作ったチーズケーキを貪られ(当然足りなかったので即席で作れる簡単なおやつを追加製作する羽目になった)、食後は子供たちとの鬼ごっこやら缶蹴りやらだるまさんが転んだに付き合わされ。
「・・・お、お疲れ様でした・・・」
「・・・おう」
現在、子供たちのお昼寝にお付き合い中である。
おれ、めっちゃ優しいな。
「すみません、あの、多分ここには滅多にお客様なんて来ないから、珍しいんだと思います・・・」
「ふれあい体験されてるコアラとかの気分だったぜ」
あれは意外とストレスがたまることがよくわかった。
今度動物園に行っても、動物たちの健やかな精神のためにふれあい体験は遠慮しよう。動物園なんか行ったことないけど。
人の身体を器用に枕にして爆睡する子供たちをそっとどかし、最後のひとりをベッドに置いたところで漸く一息ついた。
懐いてくれるのはありがたいが、10人強の子供たちに全力でむかってこられるのはいささか疲れた。
若く見えても、意外と年いってるのだ、おれは。
もう少しお手柔らかにお願いしたい。まぁ、加減を知らないちみっ子たちには不可能な注文だろうが。
ともあれ、こうして昼寝をしてくれている間は安全だろう。
今の内にゆっくりさせてもらいたかった。
「サッチさんはお優しいですねぇ。子供たちは大喜びですし、ありがたいことです」
案内されたテーブルにつくと、にこにこと笑いながらシスターが云った。
うむ、やはり美人である。
隣に座ってるのが美人とは程遠い人物なので、シスターの美人さが余計際立つ。
ひとりで勝手に納得して頷いていると。
「・・・サッチさん、今失礼なこと考えてませんか」
「滅相もない」
半眼になったレンに睨まれた。
なので真顔で否定してやったのに、何故かものすごく胡散臭そうな目で見られた。失礼な。
「ところでレン、お前何か用あったんじゃねーの?」
「話をそらしましたね」
「滅相もない」
また睨まれた。おれに失礼な。
なんてくだらないやり取りをしていると、目の前でその様子を眺めていた美人シスターが笑った。
「うふふ」
笑顔も美人だ。
しかし、その美しく形取る唇が次に発した言葉はスルー出来なかった。
「ふたりは仲良しですねぇ」
「・・・へ?」
「・・・え?」
「まぁ。同じ顔。微笑ましいですこと」
うぉぉぉい。
ちょっと勘弁してもらいたい。
いや、嫌なわけではないのだ。勿論そう思われるのは個人的には嬉しい。
が。
今は、デリケートな時期なのだ。
出逢って間もなく、少し前にはいざこざしたりして、お互いがお互いを憎からず思っていることもやや暴露し合っている。
「・・・あ、あの、ぅ・・・」
ほら見ろ。
レンもどんな反応すりゃいいのかわからずしどろもどろになって赤くなっている。
おれだって何て答えりゃいいのかわかんねぇよ。
と、ふたりとも揃って沈黙していたが、いきなりレンが立ち上がった。勢いよく立ち上がったので椅子が倒れた。
大焦りで椅子を直してから、レンはおれのほうを見ないようにしながらシスターにぎこちなく笑った。
「わ、私、本置いてきますね!じゃ!」
「あ、おい・・・」
「あらあら」
脱兎。
ここ数日おれが目にしていた鈍くささはどこへやら、驚くべき速さでレンは部屋から去っていった。
どうやら、持ってきた重そうな荷物は子供たちな読ませる本だったらしい。
それを知ったところでレンが引き返してくることはなかったが。
伸ばしかけた手が、行き場なく宙をふらついた。
「・・・・・・・・・」
「まぁまぁ、うふふ」
シスターは呑気に笑っているが、おれは笑い事じゃない。
せっかくいい感じの雰囲気になれてきたところだったのに、こんなつまらんことでギクシャクするのはごめんだった。
自然、ため息が落ちる。
「あら、サッチさんたら。ため息は幸せが逃げちゃいますよ?」
「あー、たった今逃げてったぜ」
「ふふふ。ねぇ、サッチさん?」
「あん?」
「あの子、今とても楽しいみたいです」
「は?」
「自分でも気付いてないみたいですけど、表情がね、全然違うんです」
シスターをまじまじと見る。
おれの視線などまったく気にした様子はなく、シスターはにっこりと微笑んだまま続けた。
「あの子はいい子です。責任感が強くて頑張り屋さんで」
「・・・・・・・・・」
「でもね」
おれは口を挟まず、ただ聞いた。
紅茶から立ち上る湯気は、すっかりなくなっていた。
「いい子すぎるんです」
どういう意味だろう。
いい子すぎる、とは。
それは果たしていけないことなのだろうかと、俄かに疑問に思う。
上っ面のいい子は確かに困ったさんだが、あいつは違う。
呆れるほどに真っ直ぐで純真なやつだ。
おれみたいな海賊風情に、優しくしてしまうくらいには。
それは、困ったことなのだろうか。
おれにはわからなかった。
静かに微笑んだまま、シスターは続ける。
「私はあの子に自由に生きてもらいたいんですよ。それなのに、あの子ときたら」
「・・・・・・・・・」
「未だに、この院に恩義があるなんて云うのよ」
「・・・そりゃあ・・・」
当然ではないか。
あいつは孤児で、この孤児院に育てられたと云っていた。
だったら、この院に恩義を感じているのは当たり前のことだろう。
恩義がないとほざくならともかく、恩義があると云って困られたらどうしたらいいかわからない。
するとシスターは片手を上げておれの言葉を遮った。
「ここで育ったからって、一生この院に尽くさなければならないことはありません」
「・・・・・・・・・」
「もう、あの子の世代の子たちはみんな島から出て行っているのに」
レンは、一生この院のために働くのだとシスターに宣言したらしい。
レンと同世代の人間が次々に己の道を見つけて島を飛び出していく中、レンだけは違っていた。
こまめに院に足を運び、教師の真似事をし、暇さえあれば院を手伝う日々を送っているようだった。
確かにそれはシスターにとっても嬉しいし有り難いことだろう。
しかし、それではあんまりだ、とシスターは云う。
世界は広い。
なのにレンは、世界を知らず、院の中だけに生きようとしている。
寂しいことだった。
「街の本屋を任せたのは、それが唯一私がしてあげられることだったからなんですよ。せめて院の外で生活してもらいたくて」
それにしては随分辺鄙な場所だとは思ったが、まぁ場所までは首尾よく用意出来なかったのだろう。
書物に囲まれた生活を送らせてやれただけ、シスターには最良の選択だったのかもしれない。
ともかく、なんでレンがたったひとりであんな場所で本屋を営んでいたのか、やっと謎が解けた。一応ちゃんとした理由があったようだ。
「あの子は、自分は街に必要とされてないと思っています。そんなこと、ないのに」
「・・・・・・・・・」
「だから今まで、レンが私たち院の者以外に気を許すことはなかった」
「・・・・・・・・・・・・」
「けれど、サッチさん」
そこで一旦言葉を区切り、シスターは真っ直ぐにおれを見た。
自然と背筋が伸びて姿勢を正す。
「あなたが、あの子を変えてくれたんですね」
「・・・おれが」
「ええ。だって、あの子が私たち以外のものと自然に話しているのなんて、初めて見ました」
「・・・・・・・・・」
「ありがとうございます」
座ったままではあるが、丁寧に頭を下げられて内心おれは動揺した。
おれは別に、感謝されるようなことはしていない。
結局は自分のためなのだ。
だから、こんなことで礼など云われてもどうしたらいいのかさっぱりわからない。
「おいおいシスター、やめてくれ。おれは・・・」
と、口を開きかけたときだった。
「きゃァァァァ!!?」
昼下がりの穏やかな陽気にはあまりに不釣り合いな、悲鳴。
「・・・レン?」
「・・・レンですね。きっと、起きた子供たちに何かされてるんでしょう」
「・・・へぇ・・・」
「まったく、しようのない子」
「ま、レンらしいんじゃねぇ?」
「ええ、そうですね」
するとすぐに子供たちの昼寝をしている部屋のほうから、ぎゃいのぎゃいのと騒ぎ声がしてきた。どうやら目覚めのお時間だったらしい。
ちょうどレンはそのタイミングで部屋を訪れており、子供たちのやんちゃの餌食になったのだろう。
頑張れ。
おれはもう頑張った。
シスターも、さっきのような柔らかい表情で苦笑している。
「さて、助けに行ってあげましょうかね」
呆れたように云いながらも、シスターは楽しそうだ。
席を立ち上がり、子供たちの部屋に向かうらしい。
おれは行っても何も役に立てない気がしたので、ここで待っていることにした。
シスターの後ろ姿を見送ってしばらくすると、騒ぎ声はパッと収まった。鶴の一声ならぬシスターの一声があったんだろう。
それにしても。
「・・・島で一生、ねぇ・・・」
多分、それは珍しいことではないのだと思う。
この島に限らず、自分が生まれた島から一度も出ずに生涯を終える人間は少なからずいるはずだ。
しかし。
「もう、あの子たちったら・・・!」
涙目になって部屋に戻ってきたレンに笑いかければ、笑い事じゃないです、とプンプンと怒られた。全然怖くない。
それからしばらくはゆっくりとお茶をして、どたばたとやってきた子供たちの相手をまた全力でして、晩飯はおれが手ずから料理を奮ってやり、あまり遅くならないうちにレンを家まで送った。
帰りも、他愛ない話をぽつぽつとした。
変に気まずくもなく、嫌な沈黙もない。
心地いい時間だった。
レンをしっかり家まで送り届け、レンに見送られながら船に戻る道すがら、ぼんやり考えた。
あいつは、レンは島から出るつもりはないらしい。
つまり。
「―――誘っても無駄、か・・・」
口にしてハッとする。
何を。
何を考えているんだ、おれは。
誘う?
誰を。
無駄?
何が。
駄目だ、どうやらおれは疲れているらしい。
そりゃそうだ、慣れない子供遊びに全力で付き合ったのだから。
駄目だ、駄目だ。
いかん、いかん。
これはさっさと帰って酒でも飲んで寝るに限る。
そうしよう。
そうして、忘れてしまおう。
レンを海に連れて行こうと思ったことなんて、さっぱりと。
―――忘れてしまおう。
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あいつはきっと、頑固者だから
20110217 from Singapore
20180402 再掲