-
そんな君だから
-
「ほー、道に迷ったサッチを酒場まで案内したと」
「へー、次の日もサッチが顔を出したと」
「はー、その次の日からもサッチが足繁く通っていると」
「ふーん、今日はふたりで! ここまで海を見にきたと」
「グラララ、なら本も好きなだけ持ってけ!」
「ねぇおれ泣いていい?」
「え、いいんですかっ!?」
空気になりたいと今ほど思うことはなかった。
明らかに面白がっている仲間たちは後ほどボコるとして、マイペースな親父とレン。
おれがイジメを受けているのは全力でスルーされている事実に、硝子製のハートはすっかりズタボロだった。
嘆きのため息を吐き出しつつ、どうやら心配は杞憂に終わったことを知る。
レンは、あっさりと仲間たちと打ち解けた。
親父の身長を質問するという常識外れの行いは、どうやら吉と出たらしい。
ついでに、海賊に対して変な誤解や偏見を持っていなかったのも、大きな理由だと思う。
マルコやジョズは見た目怖いし、外見だけなら異常なやつはたんまりいるこの船だが、そういうことには頓着のないレンだからか、すぐに打ち解けられたんだろう。
レンはもともと極度の人見知りだが、相手に悪意がないと最初からわかっていれば話は別だ。
別に人間嫌いとか恐怖症なわけでもないので、話しかけられれば普通に話せる。
しかも今は、みんなおれを弄るという目的があるのでこぞってレンにちょっかいをかける。
レンもレンで真面目なもんだから、質問には片っ端から答えてくれるから困るが。
止めて云わないで改めて云われるとおれ憤死しそうになるからと目で訴えても気付いてくれない。切ない。
更に、どうやら親父にいたってはレンのことが気に入ったらしく、珍しく酒もないのに上機嫌だった。
そんなわけで、目的のひとつである本をみんなで手分けして書庫から甲板に運び、今レンはその本を前に目を輝かせているところだった。犬か。
「ほ、ほんとにいいんですか…!?」
「好きなだけ持って行け。どうせあっても捨てるだけだ」
「うわわ…!」
きらきら、きらきら。
初めて見るこんなレンに、少しばかり嫉妬する。
誰にって。
そりゃ、親父にとは云えないので黙秘権を施行するが。
「こ、これは絶版になって久しい代物だし、こっちはひょっとして初版…わわ、まさかこんなものにお目にかかれるなんて…!!」
素敵ですー!
おれにはさっぱりわからないが、どうやらストライクゾーンばっちりの本たちに出会えたらしいレンは大はしゃぎだった。
いやほんと、こんなレン初めて見た。
こんな顔もするんだなぁ、と思う反面、本相手にそんな顔すんな、とも思ったりする。
本が好きなのは知ってるし、レアなものを前に喜ぶのは結構だが、なんかこう、なんつーか。
「し、白ひげさんっ、いいんですか!? こんな高価なもの…」
「云ったろう。もうおれには必要ねぇんだ。気にするな」
「うわぁ…!」
…ずるいと、思ってしまうおれの器は小さいんだろう。
レン限定で。
しかし。
「…ありがとうございます!」
まぁいいか、と。
思う自分もいたりして。
だってレンが笑っているわけで。
楽しそうに、嬉しそうにしているわけで。
なら、いいか。
そう思う。
と、やや悟りを開き始めたときだった。
「―――良い人です」
「うん?」
ぽつりと、レンが零した言葉に、この場にいる誰もが耳を疑った。
聞こえなかったわけではない。
けれど思わず、聞き返していた。
レンは、もう一度云った。
「みなさんは、良い人ですね」
自分たちを、悪い人だと云う言葉は今まで幾度となく聞いてきた。
その類の言葉であれば、今更何を云われたところで動じないだろう。
だが、と首を傾げる。
良い人、とレンは云っただろうか。
ニコニコ笑いながら、おれたちを、良い人、と。
「…おれたちァ海賊だぞ」
「はい」
「…海賊が、良い人か?」
冷静に問うたのは親父だ。
僅かに笑みを浮かべながら、しかしやや驚いているのがわかる。
親父も長く生きているが、笑いながらこんなことを云われたのは初めてだったのかもしれない。
レンはただの女だ。
普通に陸で暮らす、平凡な女。
そのレンの言葉は、何故かひどく心をざわつかせた。
親父も、おれも、マルコやエースにジョズ、ビスタたち隊長たちでさえも。
レンは、親父の問いに小さく首を傾げた。
ジッと親父の目を見る。
親父も、目を逸らすことはしなかった。
どれほどそうしていたのか、しばらくして口を開いたのはレンが先だった。
「…関係ありますか?」
「…何?」
「海賊であることが良い人か悪い人か、関係あるでしょうか?」
あるだろう、と思う。
レンは知らないのだ。
今までおれたちが何をしてきたか。
レンの手を握ったこの手すら、数え切れない罪を犯したことを。
「すみません、私は、ええと。私は、みなさんのことをよく知りません。だって今初めてお会いしたばかりだから」
「………」
「でも、だからわかります。みなさんは、私の話を聞いてくださいました。私に話しかけてくださいました。それだけで十分です」
「…人を」
「傷付けたこともあるでしょうね。それくらい、理解しています。ここは、グランドラインですから」
ギョッとした。
そんなあっさりと認められると、今まで取り繕っていた自分が無性に汚いものになったような気がした。
ここはグランドライン。
争いのない土地など、きっとないような世界。
レンの住むこの島は、たまたま争いが見当たらないが、しかしゼロである可能性や、これまでもまったくなかったということはないだろう。
レンは、知っている。
理解した上で、おれたちに『良い人』という言葉を投げた。
その意味を、本当にわかっているんだろうか。
そしておれは、別の意味でも驚きを隠せなかった。
レンが。
いつももじもじ怖ず怖ずして、やたらとびくついて、人の様子を窺う小動物のようなレンが。
―――こんなふうに、対等に親父と話すなんて。
「人を傷つけるのは楽しいですか?」
「何?」
「戦うのを楽しいと云う人は見てきました。では、みなさんは、人を傷つけることは楽しいと思いますか?」
そんなわけがない。
確かに、戦うことを楽しいとは思う。
あのギリギリの感覚で生きるスリルや臨場感、互角の相手と渡り合う高揚感は云いようもなく好きだった。
だがそれは、互角の、もしくは格上の相手と戦う場合だけなのだ。
自分より弱い相手を打ちのめしたところで楽しくもなんともないし、出来ることなら相手にすらしたくない。
戦うのは楽しい。
しかしそれは、傷つけることへの快感からくるものではないのだ。
「仮にもし、やむない事情があって人を傷つけてしまったことがあったなら、それは―――どれほど、苦しいでしょうか」
「!」
「誰もが思った通りに生きられる世界ではないから、時には本意でないこともしなければならないと思います。そのとき、後悔を出来る人は、悪い人ではないと思います」
まさに絶句である。
誰もが言葉を失い、レンを見た。
レンは静かに微笑むばかりで、物怖じした様子もない。
頭がいい女だとは思っていた。
頭の回転と運動神経がうまく繋がっていないだけで、決してただの鈍くさい馬鹿でないことはわかっていたつもりだった。
俗に云う知的ではないが、考える時間を与えて、ちゃんと話を聞いてやれば、しっかり自分の意見を云える芯のあるやつだと、知っていたのに。
レンの言葉に、天下の白ひげ海賊団が、絶句させられた。
それがどれほどすごいことなのか、レンはきっとわかっていないんだろう。
レンは、当然のことを云っただけなのだ。
別段特別なことを云ったわけでも、突拍子もないことを云ったわけでもない。
ただ自分の中にある常識を、口にしただけ。
なんてことない、ただの会話。
すごい、やつだと思った。
「…グララララ!」
「…親父」
「そうか。おれたちァ良い人か」
「はい」
「そうか、わかった、なら」
親父はひとつ大笑いすると、おもむろにレンに手を伸ばした。
白ひげの手である。
幾人もの大海賊と戦い続けてきた、豪腕。
伸ばされた手を、レンはきょとんと見つめていた。
恐怖はないらしい。
やっぱりレンは、すげぇやつだ。
「お前の前では、ただの良い人でいようじゃねぇか」
「……!」
「グララララ!おい、誰か酒持って来い!」
親父はむんずとレンの頭を掴み、わしわしとかき混ぜた。
ちゃんと力の加減をしているようで、少し乱暴なくらいで至って普通に頭を撫でているだけだ。
まるで親が子にするように。
ハッとして親父を見ると、目が合った。
その目に、すべてを見透かされたような気がして思わず俯く。
―――そうだ。
認めよう。
再び本に夢中になり始めたレンを見ながら、改めて思う。
「あ、ねぇサッチさん、これ、これですよ! この間話した本! すごいなぁ、こんな本まであるなんて…」
おれは。
「サッチさん、連れてきてくださって、本当にありがとうございますっ!」
―――普通で、普通の、こいつに惚れたんだ。
美人でも可愛くもない、地味で野暮ったいレンに、レンに。
気付いたら、どうしようもないほど、惚れていた。
------------------------------
全部を認めた途端、苦しくなった。
20111009
20180402 再掲