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父の憂い
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「船に乗る気はあるか?」
気まぐれだった。
珍しく本気でサッチが気に入った女は平凡を絵に描いたような女で、特別何かがすごいわけでもないやつだった。
ただ、サッチが気に入ったのはわかるような気がした。
おれたちは海賊だ。
平凡から程遠い場所に生きる存在だ。
多分、だからこそ、サッチはこの娘に惹かれたんだと思う。
「………?」
首を傾げたのは、意味がわからなかったのかもしれない。
唐突であった自覚はあったので、今度はゆっくりと、云い聞かせるように云った。
「グラララ…。おれたちと、一緒に来る気はあるかと聞いたんだ」
我ながら酔狂だと思う。
四皇と呼ばれ、世間ではロジャーと同格と云われるこのおれが、たかだか小娘を船に誘うとは。
いくらサッチの惚れた女だからとは云え、おれも焼きが回ったのかもしれないと内心苦笑した。
返事はすぐにあると思った。
考えなしに頷くにしろ、嫌悪も露わに拒否するにしろ。
しかし、ここでもレンは予想外だった。
初対面で身長を訊くのも予想外だったが、この反応はそれ以上に。
「………」
本を漁る手を止め、レンはじっとおれを見上げていた。
この目は。
何故か、ハッとさせられる。
先ほどもこの目を見た。
海賊が良い人か、と訊いたときだ。
そのときと、同じ目。
ただの小娘に、何故か見透かされたような、そんな気にさせられる目だ。
「…白ひげさん」
「…なんだ」
そして。
レンは、静かに微笑んだ。
「―――ありがとうございます」
嬉しい。
云って、レンは本当に嬉しそうに微笑んだ。
決して美人でも可愛いわけでもないのに、きれいだと思える笑みだった。
けれど。
「でも、…ごめんなさい」
同時にひどく、哀しそうな笑みでもあった。
心を抉られるような罪悪感が、胸を支配する。
なんだ、これは。
なんだ、その顔は。
久しく感じることのなかった感情と、言葉にし難いレンの表情に胸がざわめく。
レンは間違いなくサッチを好きだと思う。
見ていればわかる。
いくら自身が伴侶を持たずとも、伊達に長年生きていない。
だから、喜ぶだろうと思った。
船に乗れば、レンはサッチと離れることはない。
出航はもうすぐだ。
戦えないならば別の仕事があるし、何も戦闘要員にするために乗せようと思ったわけではない。
「私は」
「………」
「私には、この島しかないんです」
「―――何?」
「きっと…、あなたのような方には、わからないと思います」
馬鹿にしているわけではないのだろう。
本心から、そう思っている声だった。
おれのような。
それは一体どう云う意味なのか。
「私はこの島で生きて、死ぬんです」
周りの喧騒や波の音が、やけに遠くに聞こえる。
「自由なあなた方とは、違うから」
「…自由になりゃぁいいじゃねぇか」
そう云えば、レンはふっと笑った。
ほらね。
言葉にはされなかったが、そう云われた気がした。
「それは―――…」
「おーい、レンー、親父ー!」
何故、と訊こうとしたときだった。
慌ただしい音を立てる階段に目をやれば、どうやらマルコに言い渡された仕事を死ぬ気で片付けてきたらしいサッチが姿を表した。
ここのところサボりまくっていたようで、たまりにたまった書類の処理を命じられていたのでもうしばらくは終わるまいと踏んでいたのだが。
このタイミングで。
レンにこんな顔をさせているのがバレたらさすがにまずいか、と思ってレンを窺うと、すでに先ほどの表情は消え去っていた。
無邪気に、笑う。
「早かったですね」
「おうとも。怖ーいパイナップルが監視してたからな」
「パイナップル…」
「マルコだよ。って、親父?」
「…あん?」
「どうしたんだよ、変な顔して」
きょとんとしたサッチに、気のない返事をする。
サッチにこんなことを云われるとは、相当変な顔をしていたようだ。
ちらりとレンを見ると、サッチには隠れて小さく口元に指を立てていた。
どうやらさっきの話は終わりらしい。
サッチに云うつもりもないようだ。
この様子では、あれだけご執心なくせに、サッチは一度もレンを誘っていないらしい。
「…ん? なんだよ、内緒話でもしてたのか?」
「えへへー」
レンが笑うと、サッチが拗ねたように口を尖らせた。
レンならともかくサッチのような中年がそんな仕草をしても気持ち悪いだけなのだが、ふたりは楽しそうに笑っている。
穏やかだった。
何も知らなければ、見ているだけで幸せになれるような、そんな光景。
しかし、知ってしまった。
この幸せが、続かないことを、知ってしまったから。
「………」
―――終わりの見える、幸せは果たして幸せなのだろうか。
息子の幸せを祈るのは、親として当然だ。
ましてやサッチがこんな風に本気で好きになるような相手は、もしかしたらこの先二度と現れないかもしれない。
軽そうに見えて実は硬派なサッチは、そこそこ遊んではいても本気になるような相手はこれまでいなかった。
本を移動させようとしたレンが躓いて盛大にすっころんだ。
サッチが呆れたように笑ってから手を差し出す。
少し躊躇してから、レンははにかんで手をとり立ち上がり礼を云う。
永遠など望んだことはなかった。
すべてのものは終わりがあるからこそ輝いてみえるのだ。
しかしこれは、あんまりだと、思う。
秒刻みに訪れるふたりの別れ。
それは誰でもない、おれが打つ終止符なのだ。
船に乗ることをやんわりと、しかしきっぱりと断ったレン。
レンを誘わないサッチ。
どうしてやることも出来ないおれは、ただのちっぽけな人間だった。
(平凡なだけの女ではなかった)
(思慮深く、そして)
(サッチを唯一幸せに出来る、たったりとりの女なのだ)
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こんな悲しいことが、どうしてあるのだろう。
20111030 from Canada
20180402 再掲