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海軍准将と海賊
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完全に割り切れたわけではないけれど、おつるさんに話を聞いてもらって、話してもらって、漸く私は踏ん切りがついた。
実は何だかんだ云ってしっかりとした返事が出来なかった私に、元帥は少し休憩に行ってこいと云ってくれていた。だから私とおつるさんは、少し早めのお昼を頂いていたのだ。
そして今足を向けているのは、センゴク元帥のいる執務室。
これから正式な返事をするつもりだった。
准将、昇進。
いいだろう。
望むところだ。
―――やってやろうじゃないか。
* * * * *
食堂を出て、長い廊下を歩く。
私を見る海兵は、少し不思議そうな顔をしてから私が肩にかけている『正義』の文字の入ったジャケットを見て慌てて頭を下げるか、顔見知りは最初からかしこまって頭を下げるか。まぁ、あまり本部に顔は出さないので、私のこと――というか、顔――を知っている本部の人は意外と少ない。
たまに刺すような視線を感じたけれど、それは無視した。相手にしていたら、きっと面倒なことになるから。
そしてしばらく歩いたところで、前から見知った顔がのっそりと歩いてくるのが見えて思わず笑顔がこぼれた。
書類に目を落としながら歩くその人は、どうやら私には気付いていない。
「モモンガさん!」
呼ぶと、少し驚いたような仕草で彼は顔を上げた。
その様子に小さく笑い、私は小走りでモモンガさんの傍まで行ってから会釈をして挨拶をする。
「お久しぶりです、モモンガさん」
「珍しいな、お前がここにいるなんて」
「ええ、まぁ。実は元帥に呼ばれてまして」
軽く笑いながら頬を掻いて云うと、モモンガさんは一度キョトンとして首を傾げた。
そりゃそうだ。
元帥直々に呼ばれるなんてただ事ではないのだから。
しかしモモンガさんは、ややあって、ああ、と何故か納得したように頷いた。え、私まだ何も云ってないのに。
「昇進したんだったか」
「・・・まだ正式にはお返事してないはずですけど」
「さっき聞いた。ガープが云いふらしておったぞ」
頭を抱えた。
ガープさん、なんてことを!
私がちゃんと返事を出来ていなかったことを知っているくせに、なんでそんなことを云ってしまうんですか。もしこれで、私が昇進を蹴ってたらどうするつもりだったんですか。
ああ、頭が痛い。
文字通り私が両手で頭を抱えて唸ると、モモンガさんはどこか慰めるような優しい口調で云った。
「その場にガープがいた時点で、わかりきっていたことだろう」
「・・・・・・・・・」
「・・・なんだその目は」
「それ、慰めになってません」
要は、諦めろ、と云われたようなものだ。
いや、確かに多少の覚悟はしていた。
話好きのガープさんだ、こんなある意味ビッグニュース、面白がってふれ回らないはずがない。
が。
まだ確定事項ではない時点からこんなことになるとは思っていなかった。
この様子では、私の昇進を耳にしているのはモモンガさんだけではないだろう。
頭痛がした。
「ガープの話し方だと、とっくに承諾したように聞こえたのでな。てっきり数日前のことかと思ったぞ」
「ガープさん・・・!」
数日前ではなく数時間前の間違いです、と訴えると、モモンガさんは更に同情するような目で私を見て、しかし何も云わずにポンと頭を撫でてくれた。
今はその優しさが痛い。同情するなら止めてくれ、ガープさんを。中将でしょ、同じ立場でしょ。
「まぁ、いいじゃないか。受けるんだろう?」
じゃあ結果は同じだ、と云われても、ハイそうですねと笑えるほど私は楽観的ではない。恨みがましい目を向けてみると、モモンガさんはわざとらしく書類に目を落とした。逃げやがった。
しかし話が広まってしまったのはどうしようもないし、モモンガさんは悪くない。
人間、諦めが肝心。なのかも、しれない。
仕方ない。
私はひとつため息をついてから、間近に迫った元帥の執務室に目を向けた。
「・・・今から、元帥のところに行ってきます」
「そうか。何、サンなら大丈夫だろう」
あっさりと云われて、思わずモモンガさんを仰いだ。
准将だ。
将軍だ。
ただの大佐とは違う、将校とはわけが違うのだ。
今将軍を名乗っている人たちを思い浮かべてみても、将校とは格が違うのは一目でわかる。
准尉から大佐を甘く見ているわけではない。
准将から大将が桁外れなのだ。
そこに、私のような若造が名を連ねることになるのは、酷く場違いな気分だったというのに。
いや、正直強さだけで云ったら問題ないと自負はしているのだけれど、なんというか、恐れ多いというか。
なのに、中将となって久しいこの人は、私なら大丈夫だと、何の躊躇いもなく云ってのけた。
驚かないはずがない。
「・・・モモンガさんは、私を買い被りすぎてると思います」
「そうか?」
「そうですよ」
「しかしなぁ」
ふむ、と思案するように、モモンガさんは己の口元にある逞しい髭に手をやった。
「クザンの特訓に血反吐を吐きながら必死に食らいついて行っていたころのお前を知っていると、どうも大丈夫に思えるんだ」
「ウワァ、私の黒歴史・・・!!」
今でも思い出すだけで震えがくる、クザンさんのスパルタ修行。
女だからとか子供だからとかの手加減容赦は一切なく、まず最初に与えられた修行内容は鬼ごっこ。
読んで字の如く、鬼ごっこ。
ごっこというか、あのときのクザンさんは本気で鬼だった。
クザンさんが鬼で、私が逃げ役だったわけだけど、私は本気で逃げた。
だって、捕まったら即殺されると思ったのだ。
それだけ恐ろしい形相で追いかけられたのだと是非とも悟っていただきたい。
本気で怖かったんだ。
まぁ、必要以上の持久力と瞬発力やら何やらが身についたので結果オーライと云ってしまえばそれまでなのだが。
しかし怖かった。
しばらく日常でもクザンさんが追いかけてくるような気がしてビクビクと過ごしたのは二度と思い出したくない素敵な思い出だった。
修行はもちろん鬼ごっこだけじゃない。
体術、棒術、剣術など武術一通りは叩き込まれ――文字通りに――、お陰で大抵の相手には対応出来るだけの力はついた。代わりに満身創痍にはなったけど。
つまり、私の修行時代の思い出はイコールクザンさんにボッコボコにされた思い出でもあり、忘れられないが思い出したくもない苦い思い出なのである。
ああ、今思い出しても寒気がする。
思わず両手で自分を抱きしめると、モモンガさんは、もう一度大丈夫だ、と云った。
「自信を持て、サン。お前は努力を知っているだろう」
「・・・・・・・・・」
「何にせよ、頑張れよ」
そうして彼にしては珍しく、とびきり優しそうな顔で微笑み、その大きな手で私の頭を撫でてくれた。
くすぐったい。
でも、嫌な感じはしない。
「・・・はい」
頬が緩まる。
頷けば、モモンガさんはもう一度満足そうに笑い、じゃあなと云った。
「そろそろお暇しよう。部下が待っている」
「ありがとうございました、モモンガさん」
「気にするな。一緒に仕事が出来ること、楽しみにしてるぞ」
「はい!」
頭を下げると、モモンガさんはゆっくり自分の軍艦のほうへ戻っていった。
私は、モモンガさんの姿が見えなくなるまで頭を下げっぱなしでいた。
ありがたかった。
センゴク元帥やおつるさんが、私を買ってくれているのはわかっていた。けれどそれは、身内だからかもしれないと、心のどこかで思う自分もいたのだ。
けれど、モモンガさんも、太鼓判を押してくれた。
大丈夫だと云ってくれた。
「・・・さて」
大きく深呼吸をする。
気合いを入れるために、パチンと頬を打つ。
身体を、元帥の執務室に向けた。
「いざ、参る!」
―――私は今日、准将になる。
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踏み出す。
20110125 from Singapore
20180402 再掲