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海軍准将と海賊
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結局のところ、准将に昇進したからと云ってこれまでの生活が大きく変わることはなかった。仕事が増えたのは立場のせいなのか嫌がらせなのかもうわからないので置いておくとしても、特に権力が大きくなったわけでもなし、給料が跳ね上がったわけでもなし(上がったのは上がったけどね!)、待遇がよくなったわけでもなし。
じゃあどうしてこんな変なタイミングで私を昇進させたんだろうという疑問が再び首をもたげるが、それこそ私が考えても無駄な話だ。おそらく、センゴクさんたちだけではなく更に上の思惑なんかも絡んでいるんだと思う。昇進なんてだいたいお上の都合なんだし、考えたところで意味はないのだ。
まぁ、一番思いつくのは、何かあった時のスケープゴートにされる可能性。そこそこの立場でそこそこの成果を上げた若造なら、上からの命令には逆らわないだろうと思われていそうだ。いやまぁ確かによっぽどのことじゃない限りは逆らわないけどさ、明らかに怪しい命令だったらちょっとは考えるんだけどなぁ、私だって。
とはいえ私も職業軍人、自分と自分の部下たちのためには黙って首を縦に振ってしまうかもしれない。うーん、そういう事態にならないことを願うしかないなぁ。
そんなわけで今日も今日とて担当区域を巡回中である。
手配書に載っている海賊を数件とっちめて支部に送り付けて、視察も何件かこなして、報告書やら何やらに追われて執務室に缶詰めになって数日。
へらへらと目の前で上機嫌なエースに軽い殺意を覚えた私に、非はあるだろうか。否、ない。
ミシリ、と手元のペンが音を立てた。
「あんたも暇なの?」
「サンを構うので忙しい!」
「暇なのね・・・」
いいわねぇ仕事がないって。私だって仕事が嫌なわけじゃないしやりがいはあるけど、ここまで異常に多いとたまに全部放り投げて遊びに行きたい衝動に駆られる。実際やったことはないけどね。あーしんどい。クザンさんは執務室に堂々と『だらけきった正義』とか掲げてるけど、有言実行だもんね。私には口に出しても実行する勇気はないわ。
七武海の勧誘に行ったときに一度だけ、スペード海賊団は見たことがある。大所帯ではないけれど、そこそこの人数で構成されたスペード海賊団は、印象としては悪くない。
一見無防備にみせてブランとふたりだけで訪れたにもかかわらず、こちらに手出ししようとした者はゼロだった。普通、海軍が手ぶらでたったふたりで海賊船に現れたとなったら鬼の首を取ったように襲い掛かってくるものだと思っていたので、ちょっと拍子抜けしたのも本当だ。
が、後から聞いた話では、しっかりとエースが手出し無用の旨を伝えていたらしいのだ。自信があったからこその命令だろうけど、それを忠実に守ったというのも、エースに対する信頼が伺える。
実は勝手に彼らに親近感を持っていたので、こうやって自由奔放な行動をとっているエースを慕うのも大変そうだなぁと思うとほろりと涙が出てきたり。エースが遊びまわってる後ろで、あの人たち、苦労してるんだろうなぁ。お疲れ様です。
そんなとりとめのないことを考えつつ、これ絶対私じゃなくてもいいでしょ、というアホらしい内容の書類に怒る気力すら奪われながらサインをし続けていると、不意にエースに声をかけられた。
「なぁ、サン」
実は、こういうのは珍しい。
なぜなら、エースは仕事中の私が好きだと豪語して憚らず、基本的にさっきのように私から話しかけない限りはエースからは話しかけてこないからだ。
少し驚きつつ、書類にペンを走らせながら返事をする。すると、ちょっと悩んだような間を空けて。
「・・・やっぱなんでもない」
とのこと。
思わず顔を上げてエースを見る。エースはいつものようにソファを勝手に動かして、私の執務机に真正面に陣取って座っていた。それはいつもと同じなのだけれど、なんだか少し雰囲気が違う。普段からマックスハイテンションで悩みゼロみたいな能天気ぶりのくせに、少し難しい顔をしながらお茶を飲んでいのだ。なんだ。一丁前に悩みがある風じゃないか。
が、こういうとき、どうしたらいいのか私はわからない。
だっていつも周りにいたのは自分よりもずっと年上の先輩ばかりで、部下にしたって立場が私のほうが上ってだけで人生経験は彼らのほうがずっと豊富だ。そんな人たちがわざわざ私に悩み相談をすることなんてないし、ましてや同世代の知人なんてこれまでいなかったし。ギリギリたしぎちゃんが近いけどたまに会うだけでとてもじゃないけど悩みを話すような機会なんてなかった。
初めての同世代、初めての異性。
今でこそ当たり前みたいに傍にいるエースだけど、実は好きよりも戸惑いのほうが多いのだ。何かを悩んでいるのはわかるけど、どんな悩みなのか見当もつかない。
声をかけた方がいいんだろうか。
いやでも自分で解決したいかもしれないし、口出ししてほしくないかもしれない。
でも云えないだけで本当は話を聞いてほしいかもしれない。
話を聞いても余計悩ませたらどうしよう、余計な事云っちゃったらどうしよう。
手元の書類は機械的に淡々と片づけながら、今の私の頭には仕事のことなんてほとんどなかった。
だって、気になる。
だけど、どうしたらいいのかがわからない。
妙に話を切ってしまったせいで、エースも次の言葉に困っていたのだと思う。
少しお互いに気まずい空気になってしまったのだけれど、次の話題は唐突だった。
あっといきなり声を上げたと思ったら、エースは目をキラキラさせて問うてきたのだ。
「そういえばさ、サンの能力って何?」
「私の能力?」
「そう。だってよ、付き合い結構長いのに、サンが能力使ってるの見たことねーなって」
まぁね、だって使ったことないしね。さっきまでの空気が霧散したことにホッとしつつ、考える。
基本的に刀一本でどうにかなることのほうが多いし、クザンさんに叩き込まれたのは剣術だけじゃない。どんな状況になっても戦えるようにと、ありとあらゆる武器及び素手での戦い方を教えられているのだ。
能力者と云えばエースももちろんのこと、確かに能力を惜しみなく使っているイメージはある。そりゃ、有効に使えるならそうすべきだ。使えるものは何でも使うのは当然だと思う。
が、すげなく答える。
「知らない」
「んなわけないだろぉ」
納得いかないようで、はぐらかされていると思ったのか口を尖らせるエースに、しかし私は答えは一つしかもっていない。
肩を竦めて繰り返す。
「ほんとよ。私、自分の能力を知らないの」
「知らないって、なんで?」
きっぱり云ってるのに引かないねぇ、君は。
呆れつつ、ふむ、と考える。
私たちが知り合って、そろそろ一年近くになるのだろうか。
不本意ながらもこういう関係になってからも結構時間は経っている。
しかし、肝心な話をしてこなかった。
自分たちの昔話。
過去の話。
出会う前の話。
それは、海軍と海賊という立場上いつか必ず訪れる別れのことを考えてのことなのか、単なる現実逃避だったのかはわからない。
もしかしたら、これまで逃げてきたツケが回ってきたのかもしれない。
少し悩んだ。
悩んで、けれどきっといつか、この話をする時がくるだろうと予感していなかったといえば嘘になる。
逡巡。
そうして、意を決して。
「記憶喪失なのよ、私」
あくまで素っ気なくなるよう心掛けて口にした言葉に、エースは絶句していた。
今までそういう話になったこともないし、別に自分から申告するようなことでもないような気がして、この話をしたことはなかった。
反応に困ったような顔で黙ってしまったエースに、私は小さく笑う。
そうか、きっと今がこの話をする時期なのだ。
私は内線でブランにお茶を持ってくるよう頼んで、本当に急ぎの仕事だけを急いで片づけた。それをまとめ終えたタイミングでお茶とお菓子を持ったブランが現れたので、書類と引き換えにそれらを受け取った。
まだ困惑している様子のエースを元に戻させたソファに座らせて、私はその正面に座る。
―――さぁ、少し昔の話をしようか。
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少しずつ、前に進む。
20180409
20180927 再掲