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海軍准将と海賊
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私には10歳より前の記憶がない。
8年前、とある場所で泣き叫んでいるところを、たまたま任務で近くを通りかかったクザンさんが私を見つけたのだそうだ。
近くに両親らしき人物はいないどころか、身元を証明できそうな物ももっていない。そのうえ、泣き続ける私をなだめて話を聞いてみれば、自分の名前と年齢以外の一切を忘れていたらしい。親の名前も、友人の名前も、住んでいた場所も一切合切。
困り果てたクザンさんは、泣いたままの私を放置するわけにもいかず、ひとまず私を海軍本部まで連れて行った。センゴクさんたちに相談した結果、しばらくは海軍で保護するという動きになった。少し落ち着けばもしかしたら記憶が戻るかもしれないという可能性にかけたことと、何故か私がいきなりおつるさんに懐いてしまい、離そうとすると大泣きして手が付けられなくなったから、らしい。
いやすみません覚えてません。確かに今でもおつるさんは大好きだけど、離れて泣き叫んだなんて云われたらちょっと赤面ものだ。未だにこの件に関してはおじいちゃんたちにからかわれるネタだったりする。だから本部での身内飲み会は嫌なのよぅ。閑話休題。
私が能力者だと分かったきっかけは非常に情けないものだった。これは海軍に来てからしばらく経ってからのことなので、私も覚えていることだ。
おつるさんに面倒を見てもらっていた私にとって海軍本部は遊び場で、ちょこまかしては叱られるというやんちゃな子供時代を過ごしていたのだけれど、一時期本当にどうしようもない悪戯っ子だったことがあった。
割と自由に本部内もおつるさんの艦も行動を許されてた私は、しかしそれでも立ち入り禁止を云い渡されていた区域に忍び込んだのだ。で、まんまと保管されていた海楼石の手錠をいじって誤って自分につけてしまい、身動きが取れなくなっているところを発見された。
当然めちゃくちゃ怒られた。
おじいちゃんたちもおつるさんも基本的には私に甘々だったので、この時私は初めてみんなに本気で叱られた、というのはいい思い出なのか苦い思い出なのか、まぁ言及は避けようと思う。
とにかく、それまで私は単なるカナヅチだという扱いだったのだけど、海楼石でぐだぐだになった私を見ておつるさんは確信したらしい。
しかし能力は未だにわからないままだ。正直、自分が能力者だという自覚はさっぱりない。だって使えない能力ならないと同じだし、これまで私は能力なしの状態で今の地位まで上り詰めたのだ。能力があれば便利かもしれないけどそこに胡坐はかきたくないと思ってしまうのは小さいプライドだろうか。
使えるものは使った方がいいに決まっている。が、使えないのだから無理に使いたいと思わないし、そこまで気にもならないので、ベガパンクからの再三の能力を取り戻すための実験のお誘いは毎回丁重にお断りしているのが現状だ。
「…ごめん」
一通り話し終わり、ぬるくなった紅茶を一口含む。緊張していたわけではないけれど、随分と喉が渇いていた。紅茶がじんわりとしみこんでいく感覚が、少し心地よい。
落ち着いたところでカップを戻し、ふうと一息ついて、おもむろに手を伸ばす。俯いていたエースは、それに気付かないまま。
そして。
「馬鹿ねぇ」
「ううっ」
悪戯がバレた子供のようにバツの悪そうな顔のエースの鼻をつまんでやる。
謝らせたくて話したわけじゃないのだ。
話すべきだと思った。
話したかった。
これは私の我儘だ。エースは全然悪くない。
鼻を抑えるエースに小さく笑い、私は続ける。
「ちなみにこの話ね、軍の上層部の一部しか知らないのよ」
私を拾った張本人のクザンさん、私の教育係になったおつるさん、許可を出したセンゴクさん、それから当時からすでに大将の地位についていたサカズキさんにボルサリーノ叔父貴、子供のことなら任せろと豪語したガープさんに、能力者だとわかったときに事情を説明したベガパンク。
世界政府にももしかしたら知ってる人はいるのかもしれないけど、少なくとも海軍内ではこの7人しか知らない話だ。書類はおつるさんがうまく作ったらしいし、たかが子供ひとりを軍部に入れる程度のことで上層部の許可は必要ない。
ブランたち部下はもちろん、モモンガさんやドレークさんといった親しい人たちにすらも話していないこと。
私自身は今更秘密にする必要はないと思っていたのだけれど、おつるさんやクザンさんたちみんなが秘密にするならばと倣ってこれまでは誰にも話したことがなかった。
「…じゃあ、なんで俺に」
すっかり冷めてしまったお茶を再び口に運びながら、エースの疑問に逆に首を傾げる。
「わかんない?」
「…わかんねぇ」
「わかってるくせに」
ずるいなぁ、と。
いつかの問答に似た問答を繰り返して、私は笑う。紅茶の味は、もうわからなかった。
ずるいよ、エース。
わかってるのに、わからないふりだなんて。
―――私は。
ある一つの答えを、持っていた。
けれど、口にはしていない。するタイミングもわからないし、本当にこの答えが合っているのかもわからない。
この答えは、私とエースの関係を確実に変えるものだとわかっていた。
だからこそ、口にするのが恐ろしいのだ。
だって私は、訪れるであろう変化が、正しいのかどうかもわからないのだから。
―――いつか。
私は、この答えを口にすることが出来るのだろうか。
誰に問うこともできないこの疑問は、やはり口にすることは出来ないまま、吐息と一緒に吐き出した。
いつかは、きっと訪れるだろう。
そうしたら、その時初めて考えればいいのだ。その事態に直面していない今の私には、結局のところどうしようもないのだから。
「もし」
だから、私は少し現実逃避のことを口にした。
カップを置いて、そっと目を閉じる。
「もし、能力が使えるなら」
たらればなんて、くだらない。
もし、だって同じこと。
だけど、けれど、―――もしもが許されるならば。
「私、みんなの役に立つ能力がいいなぁ」
例えば、私の知る海軍将校の能力者たちのような。
圧倒的な強さで正義を行使する姿が、羨ましくないといえば嘘になる。サカズキさんもボルサリーノ叔父貴もクザンさんも、いつ見ても惚れ惚れするほどの強さは、私にとってはとても眩しいものだ。私なんて、彼らの足元にも及ばない。
例えば、エースのような。
仲間を守るために惜しげなく発揮できるその能力は、尊敬に値する。
私は決して能力を使えない自分を恥じたりはしない。刀一本でも渡り合えるのだから、むしろ誇っていると云ってもいい。
だけど、戦いの中で傷付いた部下を見るたび、もっと力が欲しいと願う気持ちもどこかにあった。
思い出せない、使えないものは仕方がない。
けれど、自分の能力なんて見当もつかないけど、どうせならば誰かのためになる能力だったらいいと願った。
「…サンなら、どんな能力でも人のために使うんだろうな」
「そうかなぁ。だって私、エースのメラメラの能力だってちょっと便利なマッチぐらいにしか思ってないよ」
「それはあんまりだろ!?」
ひでぇ、と情けなく眉尻を下げたエースに笑う。…やっといつものエースになったような気がした。
ホッとしつつ、もう一度私は手を伸ばした。エースに触れる。
「私は私よ、エース」
呟けば、エースは息をのんだ。
何故か泣きだしそうな顔で私を見つめるエースに、ゆっくりと云い聞かせるように続けた。
「記憶があってもなくても、仮に記憶が戻っても、今の私であることを選んだのはまぎれもない私なの」
昔は、何も覚えてないことを恐ろしいと思っていた。
名前と年齢以外、何もかもを忘れた私は、いったい何者なのだろうと自問しても答えはわかるはずもなく。
たった10歳だった。
けれど、もう10歳だった。
元来楽観的な性格だったのだろう、海軍に引き取られてからひと月経った頃には、悩んでも思い出せないのは仕方ない、どうせなら自分はこのまま海軍に入ろうと決めていた。
何もない自分を拾ってくれた優しい人たちのために生きようと思った。
それが何もない自分にできる唯一の恩返しで、そうすることで自分自身に生きる理由を見出したのだ。
以来、8年間、私は確かに海軍として生きてきた。
最年少で将校まで昇格し、世間からの評判も上々、大きな失敗も犯さず順風満帆。理想的にここまでやってきたと自負している。
私はきっと、これから先もずっと海軍にいるだろう。
だってここは私の家で、彼らみんなが私の家族のようなものだから。
何もなかった私に与えられたものたちみんなが大切で、切り捨てることなんて出来ない。
例え何があろうと、私は彼らを裏切れない。
どんなに悩んでも、辛くとも、きっと最後に選ぶのは海軍だろう。
自分がどんなに身勝手なことを思っているか、自覚している。
ひょっとしたら、思わぬところでバチが当たるかもしれない。
それでもよかった。
―――それでも、今は。
口にはしていない。
だけど、選んでしまった。
最善でも最良でもない道を、手を、選んでしまった。
そのことを私は後悔していない。
―――だって私は、何度記憶をなくしても、きっとエースの手を取ってしまうと思うから。
「サンは、強いな」
ぽつり、と零されたエースの言葉に、苦笑する。
これは強さなんかじゃない。
強いという言葉は、そう、私を拾ってくれた人たちや、エースのような人のことを云うのだ。
私のは、違う。
「楽観的なだけでしょ」
「違う。サンはすごいよ」
「何、やけに褒めてくれるじゃない」
「本当にそう思ってるんだって」
妙に真剣な顔で云うエースに、なんだか少し照れる。
内容としては別に褒められるようなものではなかったはずだ。単なるカミングアウトにしては、少し大げさなものであるだけで。
だからどうしてエースがこんなに私を褒めてくれるのかわからず、戸惑う気持ちもあった。
けれどその疑問を口にする前に、エースの手が私に伸びてきて。
「…すごいよ、サンは」
そう云って、私を抱き締めるエースの力は、まるで壊れ物を扱うような繊細さで。
いつも思いっきり抱き締めてくるくせに、おかしいな、と思った。けれど、こういうのもいいな、と柄にもなく思ってしまい、なんだか嬉しくなってしまったので、私がこのことを言及することはなく。
身体を離して、キスをした。
甘くて優しくて、熱くて蕩けそうなキス。
しばらくそうしてからゆっくりと唇を離すと、エースはやることがあるからと帰っていった。いつもなら私が帰れというまで絶対に帰らないのにおかしいとは思いつつ、エースもこれで船長だし、一応やることはあるのかと納得して送り出した。
それからしばらく、エースは私の前から姿を消した。
前触れはなく、何の連絡もなく、エースはすっかりと私の前に現れなくなった。
―――なんだか、嫌な予感がした。
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区切りがつくまでガッと書きたい
20180410
20180927 再掲