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海軍准将と海賊
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エースが私の前から消えて、1ヶ月が経っていた。
その間の私と云えば、相も変わらず仕事に忙殺される日々で、昨日まで海軍本部での会議に参加してきたばかりで、報告書やら何やらに追われて漸く解放されたばかりだった。
マリンフォードを出てブランに紅茶を入れてもらって海上で一息つけたのはついさっきのことだ。会議のためにマリンフォードに滞在したのは一週間ほどなのに、随分と長いことここに帰ってきてないような気がした。
ブランが出て行ってひとりきりになった執務室で、コートを置いてソファに深く腰掛ける。
目を閉じて、天井を仰ぐ。
静かだった。
遠くで部下たちの喧騒が聞こえて、窓の外からは波の音が聞こえた。
穏やかで、優しい時間。
―――痛いほどの、静けさが苦しい。
これが日常だったはずだった。
働いて、たまにゆっくりひとりの時間を楽しんで、また働く。
苦ではなく、これが当たり前だったはずなのだ。
それなのに今は、この静けさが私の心に重く圧し掛かる。
天井を仰いだまま、両手で顔を覆う。
油断すると泣いてしまいそうだった。
おかしい、私はこんなに心が弱い人間ではなかったはずだ。
どんなに辛い修行でも泣かずに食らいついてきたのに、どうしてこんなことで今、私は泣きそうになるのだろうか。
歯を食いしばると、ぷつ、と嫌な感覚があった。直後に口の中には鉄の味。唇を噛み切ったらしい。
「―――…」
エースがいない。
本来ならここにエースがいるほうがおかしいはずで、ずっとそう云い続けていたのに。
いざ本当にいなくなると、心細くてたまらなかった。
私の名前を呼んで欲しかった。
私を見て欲しかった。
私に触れて欲しかった。
気付いてみれば簡単なことで、それこそずっと持っていた答えを口にしてしまえばきっと全部解決するに違いないのに、臆病で卑怯な私はついにソレを口にすることは出来ず。
きっとその結果がこれなのだ。
自分の気持ちを押し付けるために、自分の過去を話した結果の、これが報いか。
「……ッ、ぅ…」
どうしたらよかったのだろう。
話すべきではなかったのだろうか。
表面だけの付き合いで、どちらかが愛想を尽かすまでなあなあに過ごしていればこんなことにはならなかったのだろうか。
考えても後の祭りなのに、嫌いなはずのたらればを考えてしまう。
―――エース。
口にはせず、心の中で呼ぶ。
それはもはや、悲鳴に近かったように思う。
嗚咽を噛み殺し、涙が零れないようにギュッと目を固く閉じ、氷のように冷える身体が震えないように自分の両腕で自身を抱き締めた。
エースに、会いたかった。
* * * * *
思えば、私は待っているだけだった。
いつだって連絡をしてくるのはエースのほうで、私から連絡を取ったことなんて、初対面の七武海勧誘の時くらいだろう。果たしてそれを連絡と呼ぶのかは微妙だが。
連絡先は知っていた。
けれどいつもこちらから連絡をする必要もないくらいエースから連絡してきたから、たまに気まぐれで電伝虫を前にしてみても、なんとなく負けたような気がして結局エースが連絡してくるのを待っていた。
多分、今がそのつまらない意地を捨てるべきタイミングなのだ。
これ以上待ちたくないのなら、私が自分からエースに連絡をするほかないのだから。
電伝虫を使うのは初めてじゃない。
仕事で嫌というほど使っているし、エースとだって数えきれないくらいこの電伝虫で話している。
が、やっぱりこちらから掛けるというのは、緊張するもので。
しばらく、受話器を上げたまま悩んでいた。
今更な気もするし、自分で掛けるのはやっぱり気恥ずかしいし、もしかしてただ忙しいだけかもしれないし。そうしたら私が連絡しても迷惑なだけなんじゃないか、エトセトラエトセトラ。
番号を途中までプッシュして、往生際悪く悩み続ける私の姿はさぞかし滑稽だったことだろう。幸いなことにこんな姿は誰にも見られていないのが救いだった。
最後のワンプッシュが出来ないまま、しばし。
電伝虫も微妙な顔をし始めて、いろんな意味で私も爆発しそうになって、ついに最後のワンプッシュ。
数コールがこんなにも長く感じたのは緊張のせいだろう。もしかして死刑台に上る死刑囚ってこういう気持ちなんだろうか、なんて余計なことを考えてしまった。
それから、すぐにコールが切れて、少しの沈黙。
『…サン?』
「…え、えっと…私、です」
やばい、声が上ずった。
久しぶりに聞くエースの声にホッとして、泣きそうになってしまった。
それからハッとする。
もしかして今涙声!?
ダサい、かっこ悪すぎる!
と思ったのは杞憂だったらしい。
だって普段のエースなら、もし私が涙声なんかになっていたら絶対に突っ込んでくるし。
照れと恥ずかしさで、エースが何か云う前に焦って私は口を開く。
「えーと、さ、最近全然見てないけど、どうしてるかなって」
『………』
「わた、私のほうは相変わらずなんだけど、エースは、どうかなって…」
本当、格好悪い。
云い訳みたいな言葉しか出てこない自分が心底嫌になる。
こんな時にまで私は素直になれない。
ちっぽけなプライドが邪魔をして、いざエースの声を聞くと何にも云えなくなってしまう。
何か、何か云わなくちゃ。
わかっているのに、何を云ったらいいのかわからず、私は受話器の前で閉口するだけで。
今しゃべったら、泣き出してしまいそうで怖くなって、思わず唇を噛み締めた。また血の味がした。
すると。
『サン』
「…ん?」
そろそろ沈黙にも耐えられなくなってきたころ、不意にエースが私を呼んだ。
久しぶりにエースの声で聞く自分の名前は、果たしてこんなにも愛おしいものだったろうか。
ツンと鼻が痛むのを我慢して、精一杯の返事をする。
いつもよりもずっと静かなエースへの違和感は、この時の私には気付けないものだった。
そうして。
『会いたい』
息をのんだ。
喉が、震えた。
「わ…」
もう、ダメだった。
「 私も、会いたい 」
―――ねえ、エース。
―――もう、ダメだよ、私。
―――あなたがいないと、ダメなんだよ。
場所を決めて、電伝虫を切って。
途中通りかかったブランに出かけるとだけ伝えて、私は、偵察用の小船に飛び乗った。
誰かに馬鹿だと思われてもよかった。
ただ、エースに会いたかった。
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自覚と、前進と。
20180411
20180927 再掲