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花に華を<夜の光>rei
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晴れてきれいな空の日に
親友の紗也が交通事故に遭った。
放課後、バレエのスタジオに紗也は来なかった。
学校はともかく、どうしてレッスンに来ないんだろう?
そう思いながらストレッチとバーレッスンを終え、
床に座ってトウシューズに履き替えていた。
紗也は熱があってもレッスンだけは来る、根性のヒトなのに…。
変だな。
お休憩から戻った先生の顔が青ざめていて
紗也ちゃんが今朝の交通事故で…亡くなったそうです、と
消え入りそうな声で言った。
沙良の顔が浮かんだ。
確か、ご両親はヨーロッパに出張中。
あのこ、ひとりぼっちでいまどこに?
「みんな、今日はここまでにしましょう。
追い込みの時期で申し訳ないけれど
急なことでしょう?おうちの方に話してね。
それから、帰りはくれぐれも気をつけて」
お稽古着のまま、泣き出す子たちの声が聞こえてきた。
自分は、ただ、紗也にもう会えないの?と思ったら
不思議でならかった。
意味がわからない。
あんなに元気で、あんなに輝いて、あんなに踊っていたのに?
昨日の夜まで、いっしょにいたのに?
でも今は
沙良、どこにいる?たぶん病院に、
まさか、ひとりで?
いつも頼らない兄に電話をして事情を話したら
「教室から病院まで、すぐ送る」と言ってくれた。
そう遠くないところにある、総合病院。
小児科もあるので
このあたりの子はだれでも1度は来たことがある。
でも、夜はいつもと違って冷たい威圧感があった。
知らない場所のようだ。
兄に、ここで待っててと言い残して車を降りる。
エントランスを抜け、受付で紗也の名前を告げる。
親戚はカナダに居るっていってたけど
そんなにすぐ、東京にくるのは難しいだろう。
とにかく沙良に会わなきゃ、1秒でもはやく。
そう思って進むと
長い廊下の隅の長椅子に、ちいさな人影が、ひとつ、あった。
「沙良ちゃん?」
沙良は駆け寄ったわたしをぽかん、と見上げてから
ふらり、と立ち上がり、こんばんは、と挨拶した。
「姉が、事故で。運ばれたときには亡くなっていたんです。
いま、部屋を移動して、すぐには会えません。
両親に連絡したけどフランス経由なので、帰国は明後日の朝で。
今晩は姉はここに居ますが、わたしは一度うちに帰ります、それから…」
変に静かで冷静で泣いた跡もない。
きっとこの数時間、張り詰めて張り詰めて
ふつう中学生がやらないような対応に追われたんだろう。
いつもより早口で表情が動かない。
「沙良、説明とか、あとでいいから」
思わず話を遮って、
気付いたら彼女の手を握っていた。
すっぽり包める小さい手。冷たすぎる。
「…朝ここに来たの?」
「うん」
「お昼食べた?」
その問いに、思い出せない、といった困った顔をした。
「何かたべた?」
「…まだ…」
水だって飲んでいたか怪しい。
いつも桜みたいな色をした唇が、今は白くて、
唇を噛んだ跡があって
かさかさに乾いてる。
ひゅうっ、と沙良の気管支が狭くなる音がして
急がなければ、と思った。
「沙良、うちにおいで」
「…え」
「いいから。明日の朝は必要な場所までウチの誰かが送るから」
半ば無理やり、車に乗せて
うちに連れてきた。手を握ったまま。
自分の手は汗ばむくらいなのに、
どんなに握っても沙良の手が冷たい。
「何か食べないと」
「れいちゃん、ごめんなさい、お腹すかない…」
そんなことで謝る沙良が心細くて、胸が痛い。
この子まで消えてしまったらどうしよう、という
変な恐怖感が迫ってきて、それを頭から追い払う。
お風呂に入らせて、とりあえず手持ちのパジャマを着せた。
大きすぎて、手も足も余っている。
でも仕方ない。兄たちのは更に大きいのだから。
襟元から見える白くて細い首筋が
より華奢に、頼りなく見える。
「兄の部屋もあいてるけど、男臭いからここで」と、
沙良を自分の部屋に入れた。
実はそんなの嘘で、母はいつも空き部屋はきっちり、
お客様がきても泊まれる状態にしてあるのだけど。
沙良が心配で、ひとりにしない方がいいと思った。
ほんの少しあたたかさを取り戻した沙良の手をひっぱって
ベッドに寝かせた。
沙良に毛布をかけ、自分は布団の上から隣で横になる。
「沙良、あしたのあさ、パンケーキを焼くから」
自分でも何言ってるんだろうと思う。
でも、沙良は少し眠らせないと。それから食べないと。
「だから、きょうは、もうお休み」
そんな気楽なことを言ってる自分の言葉の後ろが
すこし震えてることに、このこが気付きませんように。紗也、たすけて。
女の子は甘いにおいがする、と
耳元でお休み、と言ったときに思った。
紗也もこんな香りがした。
こんな時に不謹慎すぎる?
でもそれほど、何もかも現実味がない。
あしたまた、目の前に広がるのは
うんと暗い闇かもしれない。
でも今晩、沙良のことは、ここで絶対自分が守る。
紗也、心配しないでいて。ちゃんとやるから。
静かな長い沈黙のあと、
ふいに沙良が独り言のように言った。
「姉は」
囁くような微かな声だった。
「いつかれいちゃんと一緒に舞台に立つから観においでって…」
それから後の言葉は涙と混ざって消え
涙声はすぐに静かな寝息に変わった。
なんだよ、紗也、一緒の舞台って、と思った。
一度だって、そんなこと言わなかったのに。
いつも競っていつも励まし合っていつも一緒にいた紗也。
紗也の語る眩しい夢はもう叶わないの?
…それは
嫌だ。
どうしたらいい?
暗闇の中で
数秒で心を決めた。
生きてきた中で、いちばん大きな決意を今、する。
紗也、それならわたしが叶えるよ。
沙良をわたしが必ず連れて行く。
何があっても。