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花に華を<夕餉の光>rei
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沙良は、のんびりしている。
トロいのかというと、そうではない。
周囲に流されず、
ひとりでも凛と立ち、
自分のペースを守れる強さがあるから
そう見えるのだ、と出会ってすぐに気付いた。
それは中学校という
みんなが友達のご機嫌をうかがいがちな世界で
わたしの目には際立って見えた。
基本は静かで、
誰にでも公平で
ベビーフェイスなのに
決してきゃあきゃあ、騒がない。
英語堪能なのに日本語のときは
完璧なアクセントで話す。
闘病の苦労からか、
へんに悟ったところもある。
かと思えば、すれていなくて
無邪気なところもある。
いろんなものが
不思議なバランスで混在していて
時に危うい。
それがぜんぶ、
華奢で愛らしい体に入ってる。
当然、相当モテるのだけど
本人はまだそっち方面の興味がないようで、
見ているとハラハラすることも多い。
しかも、
大きな家にほぼ一人暮らし状態というのは
わりと知れているらしく
心配でならない。
東京公演、休演日の夕方。
沙良の家で
一緒に作った夕食を食べようとしていたら
チャイムが鳴った。
沙良の家は凝った間取りで、
キッチンは中二階にある。
「宅配です」と確かに、
冷蔵庫横のインターホンから聞こえた。
沙良が玄関に向かった。
「いつも、荷物は
れいちゃんからなんだけど?
なにか送った?」なんて
可愛いことを言いながら、
パタパタと足音が遠ざかる。
テーブルセッティングをしながら1,2分。
あれ…、なんかちょっと遅くないか?と
思った瞬間
がしゃん、とイヤな音と気配がした。
すぐ階段をかけ降り、玄関に向かうと
ジャージを着た男に両手を掴まれ
壁に押し付けられて声も出ない沙良がいた。
「…なにを…」
刃物でも持っていたらまずいと思ったけど
こっちを見ると男は明らかに動揺し
身を翻しドアを開け逃げた。
おそらく、
ほかに人がいるとは思ってなかったのだろう。
手を離された沙良は、
そのまま滑るように体勢を崩した。
とっさに手を伸ばして支える。
追うことはじゅぶんできたけど
沙良を置いては行けない。
沙良を片手で支えたまま
ドアの2重ロックをかけなおして
玄関にある警備会社の緊急ボタンを押すと、
すぐに家の電話が鳴る。
宅配を装った男が玄関まで入ってきたと説明し
もう玄関を出たので、
周辺だけ見てほしいと伝えた。
「れいちゃ…」
「沙良、まず座ろう」
ちいさな接客スペースの椅子に座らせ
その前にしゃんがんで両手をとる。
見ると手首にしっかり指と爪のあとがついていて
内出血した白い肌が痛々しく、
少し皮まで剥けている。
あの男
どれだけ力任せに…と思うと
怒りで思考が止まりそうになる。
さらに唇が切れてちょっと血が出ている。
ボロボロにして殺してやる、と思った。
あの男、ただでは済まさない。
「沙良痛いところは?手と、口?」
なにがあったとか、だいじょうぶか、とか
無駄なことを聞いて
沙良を消耗させたくなかった。
大丈夫なはずがないのだから。
「れいちゃん」震える声で沙良が言う。
「あの、あのね大丈夫。びっくりしただけ。
れいちゃんもびっくりさせてごめんね。
ドアをあけたとたん、
あの人が何も言わないで入ってきて
手を掴まれて、払おうとしたら、
顔たたかれたの。
声が、でなくなっちゃって…でも大丈夫。
れいちゃん、お腹空いたでしょう?」
いつだってこの子は、
ひとに心配させないようにふるまう、のだ。
子供の頃から
気を使って、身を小さくして。
「うん、ちょっとお腹すいたな」
本当に大事なものの前だと
なんでもできるんだな、と思った。
いままで感じたことがないほどの
強烈な殺意も怒りも
沙良を怯えさせないよう
隠すことすらできる。
「ここ沙良、痛い?」
そっと頬に触れる。
「ちょっと…だけ」
「うん」
手を洗って、消毒液をつけ、
口元はコットンで血のちいさな固まりをとった。
沙良は、椅子にすわったまま、
じっとわたしの顔を見ている。
口の傷を確かめながら
あぁ、と思わず少し声にだして言った。
「こっちのほっぺ、少し腫れちゃうかも…」
また怒りがこみあげてくる。女のこを殴るなんて、
クズすぎる。
突然、沙良の目から
大粒の涙がこぼれた。
「…!!ごめん、染みたの?!!」慌てて聞くと
「ううん。れいちゃんが…、
荷物取りに行ったんじゃなくてよかったぁ…。
あしたマチネでしょ」
言葉を失う。
沙良と片時も離れずに側にいたい。
あなたのそばに居たい。あなたを守りたい。
こっちまで泣きそうになる、でも泣くものか。
「あー、そーだね。寝坊できないな」
それから
冷めてしまったごはんをあたためなおして
食事を済ませ、順番にお風呂に入って
同じベッドに入って
手を繋いだら、沙良は
ことん、と簡単に眠ってしまった。
沙良の脳内では
「れいちゃんが無事だった件」として
処理されたらしい。
それは大きく間違ってるだろう!?と
大声で指摘したいけれど
沙良が眠れているのなら
今夜は黙っていよう。
電話が鳴ったので
そっとベッドを降り名乗らず出る。
警備会社からだった。
「カメラ記録と同一人物を駐輪場で発見しました。
最初は__様宅の沙良さんの恋人だと
言っていましたが問い詰めると整合性が…。
本当のところは、電車で見かけて
後をつけて自宅を知ったようです。
計画犯ですね」
「それなら」
「それなら、この番号に連絡してください。
解るようにしておきます」
「承知しました」
警備会社は逮捕の権利は持たない。
今日もし
自分が居合わせなかったら
どうなっていただろう、と思うと
恐ろしくて眩暈がした。
電話を切り、
台所でミネラルウォーターを口に含み
桜田門に勤めている叔父に電話をかける。
事情を手短に話す。
「余罪があって、
しばらく収容されて出られないのが一番いい」
「れいは大丈夫なのか?」
「うん。まったく問題ない。
でも大事な友達が大丈夫じゃない」
わかった、と手短に話は終わる。
ほんとうはこの手で殴り倒したいけれど。
沙良はそんなの、望まないんだろうな。
部屋にもどると、
沙良が寝ぼけた声で
「れいちゃん」と呼んだ。
「…沙良、どした?」
「ん…あのね」
「なに?」
「もう、これから宅配は
1階の宅配ボックスにいれてもらうよ。
だから心配しないで。
れいちゃん、もうねなきゃだめだよ」
触れたい。口づけたい。
でも
始めてしまったらこの関係は、
儚くなりはしないか?
失うくらいなら、
傷つける可能性が少しでもあるのなら
わたしはまだ我慢できる。
離れることはできない。
「うん、沙良は
ちゃんと用心できるでしょ。
それほど心配してないから」
それから嘘もつける。
忘れることはできない。
そして彼女が再び深く眠ったあとで
気付かれないようにそっと、
その手に口づける。
世界でひとりの、大事な沙良。
強くてきれいで気高い女の子。
こうしていちばん側にいるのを
許されているのは自分だ。
他の誰にもこの場所は渡さない。
戦いにでるとき、
いつも沙良のことを想う。
困難があってもなんでもできるような気がする。
あなたがわたしの勇気の泉。
できることはなんでもして、守りたい。
沙良がくれる勇気が
わたしを前に進ませてくれる。
明日の舞台は
これまででいちばんを見せよう。
沙良が自分より大切だと思ってくれる舞台を
最高のものにしなければ。
そう思って目を閉じると
隣の沙良の体温のあたたかさに
静かに幸福を感じる。
ひどい夜だったのに
いま、こんなにあたたかい。
おやすみ。