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花に華を<時の光>you
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今回の舞台は
周囲の期待が本当に大きい、と
れいちゃんが半年くらい前に話していた。
関西にも来てね?と言われたけれど
はじめての大きな締め切りと時期が重なっていて
行くことができなかった。
そのかわり、
れいちゃんが載っている雑誌を買った。
2月のはじめ、雪の日に
自宅に送られてきた封筒には
見慣れた色のチケットが入っていた。
緊張するから、後ろにしてね、と
よく言っているのだけど
「1階、3列目」
近すぎやしませんか、れいちゃん?
そう思ったけど、たぶんこれ、
関西に行けなかったぶんだな…、と
思った。
メモも、お手紙も、なし。
まったく、れいちゃんらしい。
それは
「忙しくて、そして順調だ」という意味。
れいちゃんの香水の香りが微かにする。
れいちゃんがとても大きなお仕事をしている。
そう思うと誇らしい。
紗也もきっと喜んでる。
ついさっきLINEでメッセージが来た。
<沙良、あした
この前と同じ場所で会える?
ツイン満室でダブル>
<うん。チケットありがとう♪楽しみ>
短いやり取り。
でも、わたしたちにはちょうどいい。
インターンをしながら
卒業製作をクリアしたわたしは
デザイナーとしてその会社に
正式に雇ってもらうことができた。
この新しい生活は時々、
目が回るほど忙しい。
学生のときみたいに
マチネの公演をゆっくり楽しむことも
すくなくなってしまった。
そして今日、やっと
れいちゃんの、れいちゃんの組の、
渾身の舞台を見た。
そこには、
よく知っている幼馴染のれいちゃんはいなくて
「アラン」という繊細で孤独な異国の少年がいた。
3時間、違う時空を旅しているようだった。
こんなのを見てしまうと
今とりかかっている絵の色が変わってしまいそう。
お芝居で「妹が消滅してしまう」ときの
兄の哀しさを間近に見たら
とつぜん鮮明に
紗也が消えてしまった朝を思い出した。
そう、本当に紗也も突然にいなくなってしまった。
時々いまも夢に見る、紗也の消えた朝。
しばらく自分が泣いていることに
気付かなかった。
泣いてはダメだ、と思った。
いまここでは泣いちゃダメ。
幕が降り
まだ少し違う世界に居るような余韻を感じながら
待ち合わせ場所に向かう。
2018年の、東京の、冬を歩く。
吐く息が白い。
れいちゃん。
LINEはよくするけれど
会うのはとても久しぶり。
れいちゃんの学年があがってからは、
ちょっとお茶をするにも
待ち合わせはホテルの部屋になった。
休演日のまえは、泊まることもある。
わたしは密かに『パジャマパーティー』と
呼んでいるのだけど、
夜景をみながらオヤツを食べたり
少しだけお酒を飲んだりして
ごろごろする貴重な時間だ。
わたしたちは
いつものびのびと中学生気分に戻れる。
でも今れいちゃんは男役さんだから
ときどきふざけて、
かっこいい声で褒めてくれたりする。
「また綺麗になったね、沙良…」とか、
お芝居だと思ってもどきどきしてしまう。
いつものようにふたりで笑おう。
楽しみだな。
でも、目が赤かったら
泣いたことがわかってしまう。
はやく部屋に入って、顔を洗ってしまおう。
「沙良ちゃん?」
ホテルのエントランスに差し掛かるあたりで
突然声をかけられた。
宝飾デザイナーとして銀座で
働いている先輩だった。
「ひさしぶり…。どうしたの?目が赤いよ?」
「え、そうですか?」
「沙良ちゃん、去年フラれて以来だなぁ。
俺、まだ諦めてないよ」
そんなこともありましたね……。
「まさか、ここで彼氏と待ち合わせとか?」
「いえ」
「もし帰るなら、車で送るよ。
ちょうど、商談終わったところでさ」
悪いひとではないとおもうけど、
ふたりで製作室にいたとき、
キスされそうになったことがある。
荒い息遣いを、
心底気持ち悪いと思った記憶が甦る。
「遠慮しないでいいよ……」
先輩の手が伸びてきて
肩をつかまれそうだったので
咄嗟に一歩さがると、
とん、と
誰かにあたった。
いい香り…
あれ?
「れいちゃん!」
久しぶりに会うれいちゃんは、
またカッコよくなっていて
目深にかぶった帽子でもサングラスでも隠せない
きらきらの光り纏っていた。
でもいつも変わらない香り。
いつだって安心する。
先輩がいぶかしげな眼でれいちゃんを見ている。
いえいえ、あなたよりずうっと、
信頼できる人ですからね…。
れいちゃんと先輩は、なにかやり取りしていたけど
わたしは久しぶりに会えた嬉しさと
安心感であまり聞いていなかった。
わたしは挨拶もそこそこに
先輩をさっさと後にし
エレベーターに乗った。
魔法みたい。さっきまで舞台にいたのに。
会えてうれしい。
いまカッコいい男役のお洋服を着ているけど
中は…幼なじみのれいちゃん。
れいちゃんは、何も言わないで
ふたりきりのエレベーターで
じっとわたしを見ている。
そんなに見ないで、と思う。
顔が熱い。
赤くなっていませんように。
れいちゃんは
「あの男、馴れ馴れしかった」と
複雑な顔で言った。
れいちゃんが誰かのことを悪くいうのを
ほとんど聞いたことがない。
めずらしくて、びっくりした。
わたしも好きじゃないので
すっかり忘れていたのだ、と
できるだけ簡単に説明した。
れいちゃんは急にほっとした顔をする。
姉のような兄のような
心配性のれいちゃん。
でも心配は無用です、
紗也やれいちゃんに言えないようなこと、
わたしはしませんから。
れいちゃんは部屋のドアを開けて
わたしを先に入れてくれた。
きょうね、
舞台をみながら紗也のことを思い出したの。
そう言おうとしたら
先に
涙がでた。
次の瞬間
頬にれいちゃんの唇がそっと触れた。
やわらかい、きれいなくちびる。
長いまつ毛が額にくすぐったい。
両手で顔を包まれて、
目の前はれいちゃんのアップ。
「れいちゃん」
くすぐったいよ、
と言おうとした瞬間
唇が重なった。
れいちゃんの大きな手が、するり、と肌に触れた。
気が付くとれいちゃんの大きな手が
ニットをくぐり、ブラをくぐり
直に胸に触れている。
びっくりした。
それから、
れいちゃんの手は大きくてすべすべで
やわらかくて、変わらずやさしいなぁ、と
おもった。
まるで猫になって、撫でられているみたい。
だんだん、ふわっと浮くような感覚になって
気付くと自分の口から
聞いたことがない声が漏れていた。
「れいちゃん、わたし…」
「なあに沙良?」
「声…が…」
閉じていた目をあけてれいちゃんを見ると
れいちゃんはきれいな眉を寄せて
なにか痛みをこらえるような表情をしている。
長いまつ毛が影を落として
艶めかしい、と思った。
どんなときも綺麗なひと。
怒っていても
大笑いしていても
なにかを堪えていても。
そして今この瞬間も。
れいちゃんの指先が触るところから
痺れるような甘い感覚が
身体中に広がる。
「はずかしい…」
「はずかしくない、
心臓、動いてるの、わかる」
止まらないれいちゃんの手の動きに
声が抑えられなくなってくる。
れいちゃんの右手は、
わたしの左胸をいろんなふうに触っている。
きもちいい、でもだんだん、怖いかんじになる。
思わずれいちゃんのシャツを握りしめていた。
「沙良、かわいい。
こえ、がまんしないで。もっと聞かせて」
耳元の声が少し掠れている。
あつい息が耳にかかる。
まるで
恋人みたい、と思う。
自分の声が違う誰かの声みたい。
抑えられない。
あたまが、痺れている。
わかることはひとつ。
わたしはいま、れいちゃんといて
れいちゃんの気持ちが指から唇から
痛いほどに伝わってくる。
そうなの?れいちゃん。
こんなふうに、想っていてくれたの?
それならばわたしは
どこへいくのかわからないままに
れいちゃんが潜りたいところまで
知らない海をもぐってみよう。
紗也が冷たくなって
幾度呼んでも
返事をしてくれなかったあの日、
暗闇のなかに
光のようなれいちゃんが急に現れて
わたしに手を伸ばしてくれたあの日から
れいちゃんを信じない、という選択肢など
わたしの中にはないのだから。