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何も考えずにウィルで「昔、君があげた産声を」を書いてみた。
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「ウィル様、顔色が優れないので休息をとってください。本日の執務は私でこなせます」
お節介な専属執事に淡々と言われ、執務室を追われて突然降ってきた休日。
ならば愛妻とイチャイチャ過ごそうと寝室に戻ればあいがにっこりとウィルを迎え入れて開口一番。
「クロードさんから話は聞きました。丁度今紅茶を淹れたのでソファにどうぞ。このお茶はリラックス効果があるってエドワード様も言ってましたよ」
「少し疲れてるだけだから、別に……」
病気じゃないからそんなに心配しなくていい。ちょっとあいが癒してくれたら直ぐ良くなる。
ウィルがあいに手を伸ばそうとするが、あいはヒラリ、とかわしてニッコリ笑う。
「さぁ、紅茶を飲んだら寝ましょう」
この笑顔、どこかで見たことあるような。ああ……これは絶対に譲らないモードのクロードの笑顔に似ているのだ。
クロードは一城にひとりで十分なのであいは似なくて良いのに。きっとクロードにダンスやら勉強やらマナーをしごかれまくって似てしまったのだろう。悲劇でしかない。
「あ、勿論寝るだけですよ。今日は本当にしっかり休んでもらいますから!」
あいが強めの圧をかけてきたので、これはクロードが何かを言っている。クロードが完全に退路を断っていた事にガックリしながら唯々諾々と言われたまま紅茶を飲んでベッドへ転がる。
ああ、こういう場面だとクロードとあいの結束は固い。逆らっても勝てる気がしない。
ならばせめて、イチャイチャが無理ならば甘やかされたい。ウィルをひとりベッドに縛り付けるならあいも道連れにしなくては。
「あい、何もしないから一緒に寝よう」
「……えぇ?」
あいの瞳が疑惑の色に染まる。この手の場数は何度も踏んでいるが、ウィルの「何もしない」は殆ど詐欺が多い。
他の事は真っ直ぐに信じてくれるあいなのに、こういう時の信用はまるで無いウィル。
心当たりは山ほどあるので強く文句は言えない。信頼とは築き上げるもの、という言葉が身に染みる今日この頃。
「……まぁ、兎に角先ず寝ましょう。起きて元気になったらウィルの言う事なんでも聞きますから」
「なんでも?」
「常識の範囲内でお願いします」
釘をさしながらもベッドサイドに腰掛けてウィルの髪を撫でるあいはやっぱり甘い。
無意識にウィルを甘やかしている事に気づいてはいないのだろう。
早く眠りなさい、とばかりに心地良いあいの手にうっとりしているが、そうは行くかと。もう少しこのまま微睡んでいたい、あいの隣で。
「ほら、ちゃんと目を閉じて……そろそろ寝ないとほんとに体壊しちゃいますよ」
「ん……、」
寝てしまえばあいがどこかに行ってしまう。それが解っているから眠りたくはない。
眠りたくはないのに、意識のほとんどがシーツの波に攫われかけている。今、辛うじてウィルの意識を現実に繋いでいるのは愛おしいあいの声だけ。
彼女の声が好きだ。何度聞いても飽きないし、いつまでもウィルの鼓膜を疼かせる。
出来たら彼女があげた産声さえも耳にしたい、寝ぼけた頭でウィルは至って真面目にそう思う。
彼女がこの世に生まれて最初に叫んだ声が聴きたい、何を思って生まれてきたのか。
そんなバカげたこと、自分の生まれ落ちた瞬間の記憶にすらないというのに……それでもそう願ってしまう。
それはもう、幸福に包まれながら。
「ウィル……寝たのかな?」
とびきり幸せな妄想に耽り静かなウィルを見て寝たのか、と。あいは一度ウィルの頬に手を添えるが彼は未だ幸福な微睡の中。
もう夢か現か解らない程とろとろと、ゆっくりと落ちていく感覚……だったのに、突然あいの気配が離れたことによりまた覚醒して青い瞳があいを捕らえようと揺れている。
「あ……ウィル、起きちゃいました?」
「ん……あい、置いていかないで」
甘えるように、むずかるように。あいの服の裾を力の入らない指で引くウィルに愛おしさが溢れてしまう。
「どこにも行きませんよ、大丈夫です」
子供を安心させるようにただただ、甘くて優しいあいの声にウィルは満足げにまた瞳を閉じる。
先ほどは現実に繋いでくれていた筈のあいの声に甘さが深まった事で今度は夢の中へと誘い込み始めた。
やっぱり疲れていたのだろう。ウィルの体がシーツに沈んでいく。ああ、まだあいの声を聞いていたいのに。話をしたいのに。
あいが産まれた瞬間の声を、想いを、空気を。
何故、泣いているのか。
まだ明けない視界に不安を覚えていたのかもしれない。
知らない光が差し込み、いびつに見えるこの世界に生まれて嬉しかったのだろうか、だとか、それとも辛かったのだろうか?だとか。
あいが声を張り上げて伝えたかった事。
知りたい。知りたいけど、多分……というより絶対あいは覚えていない。
お母さんのお腹の中で何をしていたのか、なんて言われればあいはきっと身を固めて困るだろう。
ウィルはあいの困った顔が好きで最近は狙って言葉足らずの発言をしてその顔を楽しんでいるから丁度いいかもしれないが。
もしも過去を辿る事が出来るなら、自分は真っ先に彼女が生まれた日、時刻を選び取ろう。
あまり遡りすぎても駄目だ。
待ち遠しくて堪らないから、だから生まれて1分、2分前くらいが良いかもしれない。
「……やっと寝ましたね、」
ウィルの寝息が聞こえた事に安心して一息。子供のように寝たくないと駄々をこねていたのが嘘のように眠っている。
あいが一度立ち上がるとウィルの寝息が少しだけブレたが先程のように目覚めたりはしない。
「大丈夫、どこにも行きません」
夢の住人になったウィルは流石に手を出してこない。あいは安心して彼の隣に身を横たえたのだった。
昔、君があげた産声を
聞きたいから会いに行くよ