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アラサー女忍者と降谷零
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私は忍者だ。
コスプレではない。ホンモノの忍者だ。
あんなちゃらついたお色気ミニスカと一緒にしないでほしい。
私は先祖代々の忍者の血を引く由緒正しい忍者だ。
もちろん中二病でもない。そもそも私はもうアラサーだ。
中二病だったらこじらせてるにもほどがある。
忍者といえど外国人観光客が喜ぶような格好はしない。
現代の世の中では逆に目立ってしまう。
忍者は目立たないことが大切だから、ごく普通の格好をしている。
顔立ちも一度会ったくらいでは印象に残らないくらい忍者に最適な特徴のない顔をしている、生まれ持っての忍者顔だ。
仕事も忍者業だけでやっていける時代でもないし普段は普通にOLをしている。
けっして大きくない会社のよくある事務職の契約社員としてどんな仕事もそこそこにこなしているので、ちょっと足が速くて目が良いごく普通の地味なアラサーOLという立ち位置が定着している。
なら、私はいつ忍者をやっているのか。
かつてはその時代を治める者に仕えた誇り高き血筋の忍者のなので、治安を乱すようなことはしない。法律はわりと守る。
普段から盗聴したらストーカーだし、暗殺術を使ったらただの殺人鬼だ。それは誇り高き現代忍者のすることではない。
自主的に技術を使うのは実家に帰って山中で修行するときくらいで、実用するのは正式に依頼があったときだけだ。
ブーーッと鈍い音で、昼休み中の私の制服のポケットでマナーモードの携帯電話が鳴った。
目の前の机にはコメントのしようがないほど典型的に仕上がった手作り弁当がある。
この着信の仕方は依頼だな、と思いながら弁当の定番の卵焼きを食べて携帯電話を開く。
メールの着信1件。
登録のない見覚えのあるメールアドレス。
間違いない、これは仕事だ。
仕事の依頼はだいたいメールか電話でくる。矢文ではない。
もちろん弓矢もあるし矢文もできるが、普段は地味なOLに徹している。OLは矢文はしない。
“今夜19時 日比谷公園”
メールの内容は簡潔に場所と時間だけ。
文字に残るメールに仕事内容を書くほど忍者の仕事は安全ではない。
この雇用主、忙しいらしく仕事の依頼はいつも私を自分の生活圏に呼びつける。
日比谷公園。霞が関。毎度のことながら地味なOLには敷居が高い土地だ。
しかし私は現代の忍者。仕事終わりの高学歴OL風に自然に日比谷公園になじむことができる。
さて、今日は定時で上がって、着替えてから霞が関だな。
ひとりそう思って、時代遅れ気味の折りたたみ式の携帯電話を閉じた。
☆ ★ ☆ ★
夜の日比谷公園。時刻は18時58分。
定時が迫ってからの追加仕事で残業が確定したときはどうなるかと思ったが、なんとか間に合った。さすがは私の忍者走りだ。
日比谷公園のいつものベンチに今の私の雇用主がいた。
「おつかれ降谷。相変わらず忍者に向かない綺麗な顔してるね。」
この雇用主の名前は降谷零。29歳独身。
顔の造形が整っているうえにとても目立つ。
肌は褐色、金髪に青い目。全く忍者には向いていない顔だ。少しは私の忍者顔を見習ってほしい。
これでも職業は警察庁警備局警備企画課の上層職員。現代の統治を守る由緒正しき忍者が従うに申し分ない。
「お前こそ、相変わらずだな。そんな感じの人は霞が関に何人もいる。」
「それはどうも。今日のコンセプトは“仕事に疲れて愚痴りたい気分の霞が関高学歴OL”だよ」
降谷は私のコンセプトに軽く笑って、確かにこの時間帯にこの公園にいる2人組なんて恋人同士でもなければそんな理由だろう、と呟いた。
わかってるじゃないか、さすがは雇用主だ。
いつものように隣に座り、ほい、と雑談感を出すためにコンビニで買ってきたコーヒーを手渡す。
「それで、今回はどんな仕事?ホントに仕事の愚痴とかじゃない訳でしょ。」
「まさか。この男のことを探ってほしい」
降谷はコーヒーをベンチに置いて、一枚の写真を私に差し出す。
忍者に向かないイケメンはこれだけでもスタイリッシュだ。
「誰このメガネのインテリそうなイケメン」
「沖矢昴、27歳。東都大学工学部大学院生。」
「へー、見た目どおりずいぶんインテリで。」
「これはあくまで表向きだ。ある男が変装している可能性がある。」
「ふーん、なるほどねぇー」
人通りのない散道の向こうの風景を見たまま説明する降谷の横顔を適当な気分で眺めていた。
その無駄に整った顔が何か不服そうな気がした。
「どうした降谷、かわいい部下と喧嘩でもしたか?」
「どうしてそうなる」
この男、私と同じくアラサーのくせに相当のやり手だ。
ゼロと呼ばれる公安の上層にいて、有能な部下を何人も従えている。
それこそ、現代社会での情報収集なら忍者くらいにこなせるような連中をうじゃうじゃと。
まぁ、その捜査官も身体能力じゃ忍者には勝てないが。自慢の脚力、捜査官といえど普通の人間に負けてたまるか。
「だって、情報収集くらい降谷のとこの部下もできるでしょ。わざわざ忍者に頼むなんて喧嘩でもしたかなと。または、この大学院生がよっぽど危ないヤツか。」
降谷はしばらく黙ってから、そうだな、と小さく肯定の言葉を呟いた。
肯定ってどっちだよ、喧嘩したのか危ない大学院生なのかどっちだよ。
「……赤井秀一」
「あ?あのFBI捜査官の?」
「あぁ。沖矢昴の正体は赤井だと見ている」
「なるほどねぇ。それは危ない大学院生だわ。」
赤井秀一といえば拳銃やライフルを所持していたり素手で人間の骨が折れたり、敵としては危ないヤツだ。
降谷はずいぶん前から赤井にやたら執着しているから、喧嘩も否定しないあたり、それもまた正解かもしれないが。
来葉峠で死んたとか言われたときも来葉峠の山中をいろいろ調べさせられた。それなりに報酬もらったけど。
「表向きの動向は俺が近辺に潜入して捜査済みだ。新しい情報があれば随時連絡する。」
「あー、わかった。私は忍者のやり方でいけばいい訳ね。」
まず、近辺から探っていこうと思ってたけど、その段階は降谷がやってるようだ。
ならそこは降谷に任せて私は忍者業務だ、忍者業務。
しかしこの雇用主、相変わらず忍者みたいなやつだ。
現代を統治する政府の治安を守る警察組織、その中で暗躍する警察庁警備企画課で潜入やら諜報やらをしている。
その点では、その時代を治める者に代々仕えてきた私たち忍者とたいして変わりない。
冷めかけたコーヒーを一口飲んで、カップを口につけて公園の緑を見たまま、浮かんだことを口にする。
「それから一応聞くけど、なにまでやっていい?」
「民間人に危害を加えるな。あとは痕跡を残さなければなんでもいい。」
「りょーかい。言われなくても忍者が痕跡なんて残してたまるかっての。」
降谷は返事のように軽く笑った。
そのまま遠くを見ている降谷を習って公園の緑とビル街に目を向ける。
「そういえば、こちらからも1つ確認したいことがある」
しばらく適当な感じでその辺を見ていたところを、降谷が言葉を発する。
その辺の葉っぱが揺れるのを見ながら、なに?と答える。
「お前、先週うちの天井裏入っただろ」
先週。しばらくぽかーんとして、曖昧な記憶を掘り起こす。
先週、先週って何したっけ……?
先週も主に地味なOLに徹して、夜な夜な手裏剣の手入れをして……、
「ああ!入ったわ。天井裏を掃除しといたよ。」
そろそろ天井裏が快適じゃない感じになってきてたから、掃除でもするかと思って降谷の家の天井裏に入ったんだった。
ついでに害虫駆除的なものも設置した。
雇用主の天井裏はもはや忍者エリアだ。そこを快適にしたいと思うのはとても自然な忍者心ってものだ。
降谷ははぁ、と大袈裟にため息をついた。
「人の家に勝手に入るなと言っただろ」
「何言ってるの、忍者だよ?呼んだら忍者が天井から降りてくる理想を抱いていた少年の心を忘れちゃいけないよ。」
そんな理想を抱いた覚えはない、とか言う降谷を無視してベンチから立ち上がり、走り出す準備をする。
帰ってからは仕事の準備だ、やることはいろいろあるし、帰りも自慢の忍者走りだ。
「天井裏にはまたお邪魔するよ。普通は入れないところにいるのが忍者だからね。今回もよい子はマネしちゃいけない所にいろいろ入っていろいろするさ。」
まぁ、それが忍者だからね、とひとり忍者のいろいろを思い浮かべる。
それから、それじゃあ今日のところはこれで、と降谷に言って、走り出す準備をする。
体勢を整え、地面を蹴りだそうとしたところを、おい、と降谷が呼び止める。
「なに降谷、今すごい走り出そうとしてたんだけど。」
文句を言いながら振り返ると、ベンチから立ち上がっていた降谷が思いのほかまっすぐな目で私を見ていた。
「痕跡を残さなければ何をしてもいいと言ったが、お前が命を落とすようなことはするなよ。」
「どうした降谷。そんなノスタルジックなこと言っちゃって。」
そう言いながらも、相変わらず綺麗な青い目を見たまま、ぽかんとそこにただ立っていた。
その目の奥に何を見ているのかが、わかるような気がした。
もう降谷ともそれなりに長い付き合いになる。
誇り高き忍者は得体の知れないヤツの依頼は受けないが、それ以上に降谷のことはわかっているつもりだ。
だから思うが、降谷は忍者みたいな経験あって、さらに忍者みたいになってるところがある。
忍者の任務は死と隣り合わせ。仲間が任務から永遠に帰らないなんて忍者では当たり前だ。
この男、水面は走れないだろうが、奥歯に毒くらい仕込んでたっておかしくない。
忍者は雇用主にまでそんな忍者を求めちゃいないぞ別に。
「今回の依頼は情報収集でしょ。だったら生きて情報を持って帰ってくるのが忍者だよ。」
降谷の無駄に綺麗な目に向かってそれだけ言ってやる。
誇り高き忍者は任務完遂にプライドをかけている。
任務が暗殺とかなら刺し違えて死んでも完遂と言えるかもしれないが、情報収集となれは情報を持って帰ってくるまでが忍者業務だ。
由緒正しい誇り高き忍者が、任務を完遂せずに死ぬなんてあってたまるかっての。
「じゃあ、明日から仕事辞めて忍者業務に入るから、それなりの報酬よろしくー」
私は再び走り出す体勢を整えて、今度こそ地面をけり出す。
超速で離れていく背後から、降谷が軽く笑ったような気配がした。
降谷は意外とそうだ。仲間の死、そういう観点で意外に脆い。
実力も立場も雇用主として申し分ないが、その脆さは忍者を従えるには致命的かもしれない。
けれど、それを知りながら、やはり由緒正しき忍者の雇用主として降谷を選び従い続けている。
つまり、結局のところ、嫌いじゃないんだ。降谷零という人間が。
私は地面を強く蹴って、霞が関の高いビルの上に登る。
屋根というより屋上を走ることになる大都会もなんだかんだ悪くないと思う。
こんな感じで、今回もまた忍者になる。