-
5月3日、日出ずるとき。
-
呆れるくらい眩しい朝だった。
窓の外の朝日は、カーテン越しにこれみよがしに照らしつけて、裾や隙間からその光を溢れさせていた。
まだ疲れの残る寝起きの体が、その眩しさで覚醒へと誘われる。
カーテンを開ければ、すがすがしい快晴で、朝の早い近隣住民たちの姿が見える。
窓越しに彼らの生活音が鳥の声とともにかすかに聞こえた。
なんて平和な朝なんだろう。
あまりにも平和で、まるでつい2日前までの出来事が嘘みたいだった。
サミット会場の爆破、IOTテロ、はくちょう衛星の落下被害の回避。
最終的には1つの結末に収束した一連の事件だか、そこに至るまで多くの手を尽くした。
ずいぶん慌ただしく動き、我ながら無茶もした。
その後の処理も、昨日丸一日かけてようやく一区切りというところだ。
そう、“ゼロの仕事”に一区切り。
フッとひとり軽く笑い、自身の思考を終わらせて、“安室透”は金色の前髪をかき上げる。
今日からまた、ポアロの仕事の再開だ。
自宅から向かう道はたった数日ぶりでしかないはずが妙に久しく感じる。
昇ったばかりの朝日が明るい光をきらきら輝かせてまだ賑わいきらない街を照らす。
いつもと変わらないはずなんだけどな。
そう、いつもと変わらないはずだ。
自宅からの、何度もある朝のシフト勤務への出勤。道も時間も行動も、いつもと変わらない。
出勤するのが数日ぶりということでさえ、立場上、何度もあった。
違うとすれば、自身の心持ちだけだ。
いつもの風景が真新しく見える自分自身に、ひとり笑みをこぼした。
通りを抜けると、眩しい光の中に、2階の窓の毛利探偵事務所という文字と、年季の入ったポアロの看板が見える。
その店の前の通りに、見慣れた女性の姿があった。
彼女はふとこちらに気づいた素振りをみせると、笑顔で手を振った。
「安室くーーん!!おはよーー!!」
よく知った、それでいて久しく感じる笑顔に、無意識に笑いがこぼれて、彼女のそばまで足を進める。
「おはようございます。花緒里さん。」
歩み寄ってあいさつの返事をするも、その言葉と同時に、表情豊かな彼女のつぶらな目が丸くなってゆく。
「え!?安室くん、その怪我どうしたの!?」
「ちょっと一昨日の騒ぎで事故に遭ってしまって。心配しないでください、たいしたことないですから。」
目を丸くしたまま、見える箇所の怪我をきょろきょろ見ている彼女に、準備してあった怪我の言い訳をさらりと口にした。
医師の言った怪我の程度と異なることを口にするのも自分にはいつものことだ。
「まぁ、車のほうはしばらくかかりそうですが。」
含み笑いでそう告げると、彼女は困ったように眉を寄せる。
「先週も転んだとかで怪我してたし、安室くん、どうなってるの?」
「たまたま不運が重なっただけですよ」
不満そうに頬を膨らませる彼女の顎から首元にかけてやけどの跡が広がっていた。
いつもならそこにあるはずの彼女のヘッドホンに、人づてに聞いた話を思い出す。
「花緒里さんこそ、大丈夫でしたか。テロの被害に遭ったって聞きましたよ」
彼女がいつも首にかけて愛用しているヘッドホンはパソコンやスマホや音楽機器と無線接続するIOT機器だった。
「あ、これ……?なんか、急に爆発しちゃって。」
片手を首元に寄せて、はにかんで彼女は言った。
なんでもないように振る舞おうとするその笑顔がどこか痛ましかった。
しばらくこちらを、ははは、と笑って見上げたあと、彼女はくすりと柔らかく笑った。
「ホントはね、こんな顔で安室くんに会うのもなぁって思ったりもしたんだけど。でも、しばらくお休み続きだった安室くんの復帰日には誰よりも先に安室くんに会いにこないとストーカーの名が廃るかなと思って!」
ガッツポーズをして、大きな瞳をきらめかせる。
どれだけ巻いても嬉々として追いかけてくるオープンすぎる不屈のストーカー。
テロに遭っても揺るぎなく、確かにいつもの彼女だった。
「ふふっ……、あなたがいつもどおりで本当によかった。」
ふと口から出た柔らかい声音に、彼女は、え?と声を漏らし、目を丸くして固まった。
それから何かに気付いたように一度目を見開いて、絵にかいたようにあたふたしてみせる。
「え、安室くん待って!ボイスレコーダー出すから、今のもう一回言って!!」
肩にかけたカバンの中をガサガサと探し始める。
その姿にまたクスリと笑いがこぼれた。
相変わらず、あまりに平和な人で、笑ってしまう。
自分にもこんな、穏やかで気の抜けるような平穏あるということが、不思議なくらいだ。
この国で暮らす一億二千万人のうちの大多数はこんな穏やかな日々を当たり前に生き、日常と呼んでいる。
それこそがきっと、僕が愛する、僕が守った日本なのだ。
眩しい朝日の中で、ポアロのドアを開けた。
え、安室くん待って、とカバンの中を探す彼女が声を上げる。
開いたドアを片手で支えながら、そんな彼女を振り返る。
「どうぞ、いつものカフェラテ、淹れますから。」
「やった、ありがとう!」
ぱっと笑顔に変わる彼女は、やっと出てきたボイスレコーダーをカバンに放り込んで、小走りでそのドアをくぐる。
2人が店内に入ったあと、カランと音を立ててドアが閉まる。
そしてまたいつもどおりの、喫茶ポアロでの日常が始まる。
『安室さんって彼女いるの?』
そう問われたとき、彼女の顔が浮かぶのはまだしばらく先になる。