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失った夜
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内輪だけとはいえ賑わったパーティも早々に終え、今日の主役である私は現在部屋で語学の勉強中である。
吸血鬼ハンターとして国を脅かす吸血鬼を屠るのに、他国に赴く事も多いからとのこと。
骨を折るのは当たり前の地獄の修行がないだけでこの勉強が天国に見えるような語学書の山を読んでは書き写し、声に出しを繰り返す。
護衛としての母様と部屋で村の皆からの贈り物を使った夕食をとり、そろそろ寝ようかと時計を見た瞬間、轟音が響いた。
ーガタッ!
スツールに腰掛けていた母様が音を立てて立ち上がる。
『母様…』
「アレクセイ、地下室に隠れていなさい」
何事かと問う前に母様はドレスを翻し部屋から出て行った。
え、まさかのまさかですか?襲撃?
既に女の子に戻ってる私目当ての吸血鬼ですか?
母様を追って闘えるかといえばNoだ、一般人や国の軍人よりは腕はたつと思うが、所詮10歳だし相手は化け物である。
母様が出て行ったドアがしまるより早く
[勝ち目はない]と一瞬で理解して持っていた語学書を放り出し、クローゼットのドアを開いて服を押しのけて床を探る。
いつかこんな日が来るだろうと父様と爺様が作った地下室のドア、血族しか解除できない魔術のドアを開いて。狭く薄暗い階段を駆け下りる。
転びそうになる足を必死で動かし階段を降りて、重要な魔術書や我が家に纏わる書物に溢れた真っ暗な部屋の隅に隠れるように身を縮こまらせる。
大丈夫、父様がいるし、母様や皆だって闘える。
大丈夫、大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら服を握りしめる。言い聞かせていないと恐怖と不安に押し潰されそうだった。
地獄の修行だって耐えてきた。
けれど吸血鬼に対峙したことはないし、前世で危険とは無縁の生活をしてきた、現世でもまだ10歳の少女の私には。
[化け物に狙われる]それだけで恐怖だった。
まるで心臓が脳味噌に移ったようにドクドクと早鐘を打つ音が耳につく、少しの音でも身体が動いてしまう。
きっと吸血鬼を倒して、母様が迎えに来てくれる…そう大丈夫、大丈夫…
けれどもし
吸血鬼に父様が殺されてしまったら?
浮かんだ[もしも]に胸が恐怖に締め付けられる。
そんなことはない、父様は強い。
大丈夫だと自分に言い聞かせ、必死に気配を殺すことに集中した。
何時間経ったのだろうか、最初は轟音が何度か響いていたのに、今は不気味な程に静まりかえっている。
外に出てみようかと思ったが母様が迎えに来てくれることを信じて階段を見つめ続けた。
ーガタッ!
大きな音にビクリと肩が跳ねた。
大丈夫、ここの扉は吸血鬼じゃ開けられない。
カツ、カツ、カツ、カツ
響くブーツの音に、押し潰されそうだった不安が和らいでいく
『母様…?』
階段に浮かび上がった影に向かって床に座り込んだまま小さく問いかける。
「アレクセイ!?無事か!?」
『お、お爺様…?』
影が手に持った蝋燭の灯りで浮かび上がったその姿は、出張に行っていたお爺様だった。
お爺様は蝋燭を床に置いて私に駆け寄り、あちこちを触って怪我ないかを確認するとじっと私を見つめた。
その真剣な表情に、和らいでいた不安が再び込み上げる。
『お爺様…母様と…父様は?皆は?』
「…いいか、アレクセイ今すぐ必要な物を鞄につめろ」
そう言うとお爺様は地下室の秘書で重要なものを自らの鞄に詰めていく。
私は暫く呆然とその姿を眺めてから、恐る恐る階段を登った。
キィ…
ゆっくりドアを開いてクローゼットから顔を覗かせる。部屋は母様が出て行った時のままで、少しホッとした。
クローゼットの隅にある大きめの鞄をひっ掴み、一度クローゼットから出て必要そうな服や下着を何着か詰めて鞄を閉じる。
服も着替えた方がいいだろう、ゴソゴソと奥を探り、村人が来ているような服と旅用のマントを羽織る。
お爺様しか来なかった。
我が家で一番強いお爺様だけ
つまりは、父様と母様は…
でもまだ見たわけじゃない、まだ戦っていて私をまず逃すつもりなのかもしれない。
そう自分に言い聞かせて鞄を肩にかける。
「準備は出来たか?」
のそりとお爺様がクローゼットから出てくる。近寄り明るい部屋で改めて見たお爺様の服は、血で汚れていた。
『…はい』
お爺様の姿に不安がじわじわと込み上げる。
信じたくない、信じられない。
涙がこみ上げそうなのをマントのフードを被ることで隠して頷いた。
「もうこの国には居られない、お前のことは真祖にまで知られてしまった」
ビクリ、と身体が揺れてしまった。
真祖、即ち吸血鬼の原点。
始まりの吸血鬼、伝説上陽の光を浴びれば塵になって死ぬと言われてる吸血鬼とは訳が違う。伝説上の吸血鬼だって本当は陽の光で死にやしないのに、真祖に狙われているなんて時点で人生終わったも同然だ。
「…お前には辛い旅になる」
行くぞ、とお爺様に手を繋がれて部屋を出た。
終始無言で、辺りを警戒するお爺様に連れられて廊下を歩く、私の部屋があった二階は綺麗で異変は見当たらなかった。
だが、一階へ降りて玄関ホールに差し掛かって戦いが本当にあったのだと目に見えた。
ほぼ崩壊し血のこびり付いた壁、柱時計や家具は原形を留めて居らず、もはやガラクタと化している。
グイグイと前進するお爺様に引っ張られながら玄関ホールを横切ろうとして、それは見えた。
真っ赤だ
血の赤
撒き散らされた赤、血溜まりの赤
それらを擦ったような赤
凄まじい闘いあったのだと、説明なくともわかる凄惨な景色がそこにあった。
ホールの隅にはシーツをかけられた何かが、いくつも置いてあった。
遠目でもわかる、あれは母様やお祖母様や叔母様達だ…小さい塊は叔母様の娘達に違いなかった。
父様らしき塊は、見当たらない。
生きているのかと、絶望で冷たくなった胸にほんの僅かに希望が湧いた。
「アレクセイ…」
いつのまにか私は足を止めていたらしい。
お爺様の急かすような、悲しむような声に僅かにお爺様に目を向ける。
「…すまぬ、間に合わなんだ」
その一言で理解してしまった。
残った希望も砕かれて、立ちすくむ私の頭を撫でてからお爺様はまた歩き出した。