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季節は巡って
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いつ触れても冷たい手に少しでも自分の体温が移るよう、冬樹は両手でそっと包み込んだ。
ピッピッと規則正しく鳴り響く音がかろうじて生きていることを知らせてくれるが、医者にも家族にも諦められているほど意識はあれから戻らぬまま。
「夏目」
何度も自分を責め、こんな状態にした相手を責め、それでも足りず。
「半年もここにいて飽きねーのかよ」
ちらりと見える冬樹の腕には無数の切傷。
「なあ…」
それでも夏目は目を開けなかった。
暗くなった病院からの帰り道を、時折かすめる冷たい風に身体を震わせながら歩く。
「お兄さん」
足元にこちらを向いて立ち止まる革靴が映った。
顔を上げると30代ほどの男性がにこやかな笑みで右を指差した。
右手にはネオンに彩られた世界が広がっている。
「…俺売りじゃないんだけど」
「え、そうなの?でもすっごい好みだから一杯付き合ってよ」
「は?付き合うわけねーだろ」
他当たれと避けて通りすぎようとすると手を取られた。
「おーすごく冷たい手じゃん、一杯だけで…って」
そっと頬を両手で包まれ、暖かい感覚に涙が溢れた。
「俺でよければ話聞かせて?」
揺れた視界の先に優しく頬笑む夏目の顔が見えた気がした。
手を引かれて連れてこられたのは地下にある薄暗いバーだった。
目の前に差し出されたグラスに口をつける。
「自己紹介まだだったね、俺は春馬、君は?」
「…冬樹」
指先で目元を軽く拭われた。
「またそんな泣きそうな顔して…」
「…暖かい」
「ん?」
「あんたの手って暖かいんだな」
ふっと顔を緩めると堪えていたものが溢れてしまいそうになり慌てて俯く。
「…冬樹にすっごい似てたんだよね、俺が昔ずっと好きだったやつに」
カランとグラスが音をたてる。
「ずっと一緒にいられると思ってたけど、俺もそいつも弱かったから駄目になっちまったんだけどさ」
「…弱かった?」
「信じて待っていられなかったってこと」
「信じて待つのってすっげ辛い…」
「うん…そうだな」
頭をわしゃわしゃ撫でられ、涙が出そうになる。
「…事故で大事な人が半年意識戻んなくて、俺以外もう諦めてて」
「うん」
「手握ってもいつも冷たくて」
握った手に力が入る。
「もう無理なのかなって」
ポタリと握った手の上に涙が落ちた。
「…マスター、ギムレットを」
スッと目の前に差し出されたグラスからほんのりライムの香りがする。
「俺は医者でもなんでもないから、冬樹の大事な人がどんな状況かはよくわからないけど」
ぼんやりと春馬の方を向くと頬を暖かい手が撫でてくれる。
「冬樹は心の準備をしなきゃいけないってことだな」
「準備?」
「大事な人を手放す覚悟が冬樹にはあるのかってこと」
「え」
「今すぐにとは言わない、でも俺みたいに手放して新しい人生を歩んでも誰も冬樹を咎めないってことは覚えていて欲しいな」
「…」
「覚悟ができたら、よかったら連絡ちょうだい」
名刺を差し出され受けとると裏に電話番号が書いてあった。
「春馬は…」
「ん?」
「今、後悔してないの?」
「してるよ」
春馬は冬樹の目の前にあったグラスを手に取り飲み干した。
「でも、これでもう終わり」
「え?」
「ギムレットには遠い人を思うって意味がある、俺はもう十分別れを惜しんだから」
グラスをカウンターに戻し、にこりと頬笑む。
「これでお別れしたよ」
大きな向日葵が入った花束を抱えて病室に向かう。
ガラリと扉を開けると変わらずにそこにいてくれた。
「夏目」
花束をそっと夏目の上に置く。
「冬に向日葵とか季節外れだよな…でも夏目好きって言ってたから」
冷たい手をそっと握る。
「俺…」
「久しぶり」
「…ん」
冬が過ぎて気がつくと桜が咲く季節になっていた。
春馬が迎えに来てくれた車に乗ると、もう泣いてないなと優しく微笑まれくすぐったくなる。
窓を開けると優しい春の香りと満開の桜が目の前に広がっていた。