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ロマンス第2番
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14歳、夏。
模試もテニスも日常生活について教師からの評価も、何もかも順調に好成績を記した観月はじめは、新設から間もない中高一貫校、ルドルフ学院から熱いアプローチを受けて秋からの転入を決めた。
いつかテニスで日本一を狙うためにと学校では方言を使わないよう普段から習慣づけていた彼にとっては願ってもない話だった。未練があるといえば、中学に上がってから情報のほとんど途絶えたのばらの存在だった。
1年生の夏頃に、地元のスケート部のある女子校に進学したのばらは県大会フィギュアの部で1位の成績をとった。しかし地方大会の名簿に彼女の名前はなかった。
インターネットで検索をしても、地方大会に出場してすらいない彼女の名前でヒットするのは輝かしい小学生時代の功績で、今現在どこで何をしているのか一切公開されていなかった。
この時からすでに偵察と称しテニスのライバル校に侵入することが多々あったはじめも、流石に女子校に忍び込むわけにはいかず、何より女子生徒の周りを嗅ぎ回るストーカーまがいの行為にもかなり抵抗があったので、2年生になる頃にはもう一ヶ月に1、2回インターネットで軽く検索してみるだけになった。
2年生、初秋。
はじめの転入したクラスは朝から落ち着かなかった。
文武両道、品行方正、眉目秀麗。この3つ、三種の神器とも言えるそれを兼ね備えたはじめはさらに声にも自信を持っていた。
にこりと愛想笑いを浮かべて自己紹介をすると女子生徒がざわざわと騒ぎ、その恩恵を受けようと男子生徒もはじめに距離をつめてくる。
観月はじめはまさに特別な人間そのものだった。転校生でスポーツ特待生というだけで目立つのに三種の神器と選ばれし声帯を持っているのだから当たり前だ。
担任の教師が空いている席を探している間、はじめが教室全体を見回すと特別な存在である彼に唯一たった一人だけ視線を向けずに外を眺めている少女がいた。
窓際の席で頬杖をついて外を眺めるその少女の顔にはじめの胸が大きく鳴る。やがてそれはスピードを上げていき、騒いでいる生徒たちの声が聞こえなくなるほど大きくなっていった。
「観月さん、窓側から2番目のそこの席へどうぞ」
担任教師の言葉にはっと我に返り、歳を重ねたその手の向く方を確認するとずっと見つめていた少女の隣の席だった。
返事をし、脇目も振らずに歩いていく。
近付けば近付くほど少女の姿にピントが合っていき、それがのばらだと確信してようやく視線を黒板の方へ向けた。
「休み時間、誰か観月くんに学院内の案内を」
担任の言葉に一斉に周りの生徒たちが手をあげる。
苦笑する担任が、ふと思い出したようにはじめの方へ視線を投げた。
「名字さんも山形出身だよね。同郷のよしみだ、案内してくれないか?」
はじめも隣の席の彼女に顔を向けると、さらりと艷やかな髪を揺らしてのばらがようやくはじめに視線を向けた。
陶器のような肌に長いまつげと愛らしい瞳、ほんのり赤い唇に見とれてしまうのは何回目だろうか。
はじめの感情とは裏腹に、クラス中の女子生徒が悲鳴を上げ、わたしわたしとまた手をあげた。
「やる気ある人がやった方が良いと思います!」
「女子より男同士の方が良いと思います!」
不満の声を無視して担任は半ば呆れた顔でのばらの名字をもう一度呼び「頼むよ」と続けるとすぐに話題を夏休みの課題に変えた。
夏休み中に郵送されてきた課題はとっくにすべて終わっていて、今更になって期限を伸ばしてほしいと頼み込む生徒に苦笑する。
運命的な再会の感動を噛み締めながら休み時間を今か今かと待つ時間は長かった。
午前の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴るとのばらが立ち上がる。
周りの女子生徒たちの恨めしそうな目線の中、苦笑いを浮かべたのばらが教室の外を指さした。
「案内を兼ねてみんなで食堂行こっか」
のばらの言葉に手のひらを返したように笑顔で集まってくる女子生徒たち、自然な流れで加わってくる男子生徒たち。その大人数で教室を出る。
それまで正面にいたはずののばらはたった数秒別の生徒と話をしたその瞬間に姿を消していた。
案内役を奪取した生徒たちに愛想笑いを浮かべながら、内心沸々と煮えたぎっている怒りに拳を強く握る。
はじめはどうでもいい話に笑いかけている時間すら惜しい。のばらに案内をしてもらうというシナリオを台無しにした生徒たちに憎しみを抱きながら、公立中学校には存在しなかった学食のパスタを味わうことなく飲み込んでいく。
隙をみて和の中から抜け出したはじめが探す宛もなく教室に戻ると、のばらが自身の席で一人昼食をとっていた。
他にも数人、転校生を歓迎する輪の中に入れず弾き出された生徒たちがそれぞれ過ごしている中、パンをちぎっては口に入れてを繰り返すのばらは異様なまでに輝いて見えた。
可愛い、可愛いと繰り返し頭の中に現れる感情の文字。
まだ夏の匂いを膨らませている入道雲を背景に、寂しげなその姿は取り残された蛍のようだ。
椅子を引き、のばらの方に体の正面を向けて背筋を曲げて肘を膝の上に置くと、のばらが口元に手を当てて少し慌てたように口に入れたパンを飲み込んだ。
「みんなは……」
「抜け出してきました。そんなことより名字さん、まだボクは学院内の案内をして貰えていませんよ」
はじめを見つめるのばらの瞳が一瞬揺らいだ気がしたが、すぐに彼女は視線を手元に戻して急いで残りのパンを平らげた。
「図書室とパソコン室の場所を教えてください」
「うん、いいよ」
さらさらの髪から香る甘い香りは、誰よりも優しく愛おしいと感じた。
はじめは彼女に運命や宿命といった形のないものを感じていた。バレエの発表会で彼女を意識し、地区運動会で彼女の隣に座り、そして今こうして同じ場所へ導かれたことに、きっと何らかの理由がある。科学的根拠、データのない確信は、いつもなら馬鹿げているとさえ思うのに、はじめは舞い上がる気持ちを抑えることなどできなかった。
遠くで膨らんでいる大きな入道雲の中で叫ぶ雷鳴は彼の耳には届かない。届くはずもない。そんなこと知る由もないのだ。