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ダフニスはクロエから視線を反らした
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寮生のみで毎年行われるらしいハロウィンの仮装道具や飾り付けを、夕食後に学内にある倉庫へ取りに行くことになっていたはじめはいつもよりも早く食堂を出る。
女子寮のと合同で行われるイベントで準備も女子生徒と行う事になっており、既に愛らしい恋人がいてこれ以上抜け駆けのしようがない彼が選ばれたのだ。
先に寮母から鍵を預かっていたはじめが校舎側にある倉庫へ向かうと、既に部屋着で髪を低い位置で2つに結んだ女子生徒の後ろ姿があった。
入寮時に、寮からまた学内に戻る必要があった時も必ず学院指定の服装と説明されるというのに中学生というのはすぐにルールを破るなと半ば呆れる。
「女子寮の方ですか? 随分とお可愛らしい格好ですが、汚れてしまいませんか」
嫌味のつもりで声をかけると、ふわふわで手触りの良さそうなパーカーの裾を翻してその女子生徒が振り返る。
髪型や服装がいつもと違っていてわからなかったが、それは正面から見ると誰がどう見てものばらだった。
しまった、自分としたことが彼女に嫌味を言ってしまうなんて。と口角をひくりと震わす観月に、のばらは彼の心の声など全く聞こえていないような屈託のない笑顔を浮かべる。
「汚れても良いやつだよ?」
「そうですか……いや、そうじゃなくて、学校指定の服装以外で学院の敷地内を……いえ、今日は良いです。名字さんの可憐さに免じて何でも許します」
可愛いは正義とはこのことを言うのだ。はじめはのばらにはめっぽう甘い。
「それにしてもスケート部の名字さんが荷物運びに任命されたんですか? もっと力の強い生徒がいるでしょう……もし怪我でもしたら」
「……えっと、あのね、わたし」
「いいえ、任せてください。んふっ、男子テニス部の腕力の強さを見せて差し上げますよ。それに君と二人というのはとても嬉しいことなので」
新しいにも関わらず立て付けが悪いのか重たく開きにくいドアを開け、真っ暗で空気の籠もった倉庫の中に足を踏み入れ電気をつける。
辺りにはゴチャゴチャといろいろなイベントに使われたであろう道具や飾り、工具が放置されていた。
目当ての「ハロウィン」と書かれた紙のついた箱を探してあれやこれや退けては重ねて、軽く整理をする。
「仮装の衣装ってこれかな……洗濯しないと汚いね」
「こっちはほつれていますね……一度持って帰りましょうか」
衣装だけ持って一度寮へ戻ることにした二人だが、ドアはそれを拒んだ。
「あれ? 開かない」
のばらの言葉にはじめは仕方ないと荷物を床に置いて、のばらの放したドアノブ代わりの窪みに手をかける。
ほんの3センチほど開くというよりも斜めに傾いてそれ以上は開かない。
何かが引っかかっているのだと、はじめは扉を叩いたり浮かせたりをするが人が通れるような幅までは開かない。
せいぜい小指の太さくらいの隙間しか開かず、外を覗き見ると誰も近くにはいない。
こんな時に限って観月ものばらも通信機器を寮に置いて手ぶらで来てしまっていた。
ほんの数分荷物を持って行き来するだけで持ち歩くのは邪魔だと思ったのだ。
「っ……窓は」
棚をよじ登れば届きそうな窓は盗難被害を防ぐためか格子がついており、とても人が通れるようなものではなかった。例え体の柔らかいのばらでも、そもそも頭が入らない隙間では絶対に通ることはできないだろう。
「まあ、ボクたちが戻らないのを不審に思ってそのうち助けが来ますよ。今は体力を温存しておきましょう」
体育倉庫と違い、寮の備品や非常食などをしまうための木造倉庫で砂埃なども少なく、また椅子などもあったのは不幸中の幸いだった。
二人で椅子に腰を掛け、深いため息を吐いて目を見合わせる。
「観月くんごめんね、スマホ、充電器差しっぱなしで……」
「ボクも同じですから気にしないでください
のばらがはじめを"観月くん"と呼ぶのは他に誰もいない時だ。
そういう時必ずはじめはのばらが自分のことを本当の恋人であるとは思っていないのだと実感し、切なく苦しい気持ちになる。
自分から提案した嘘の関係に、はじめはもう何度も傷付けられていた。
傷だらけの心の何処かに、二人で閉じ込められたことを喜ぶ自分もいた。吊り橋効果でものばらが自分に恋をしてくれるのではないかという期待があったのだ。
「ねえ観月くん、わたしね」
時々、特にあの肝試しの夜以降、のばらがはじめに何か言いたさそうにする事があった。
そういう時、のばらの顔には影が落ちていて良くない話をしようとしているのが見てわかった。
フリでもこの関係をやめたくない、都合の悪い事は何も知りたくなどないと、はじめは何度もそれから目を反らし続けた。
そして今この時も、こんな状況でのばらは観月の顔を覗き込み、大きな瞳に暗い影を抱いて言葉を紡ごうとする。
「そうだ、名字さん。夕食は先に済まして来たんですか?」
わざとらしい笑顔を浮かべて問うはじめに、のばらは少し間をおいて頷く。
いつもならそのまま別の話を続けるのに、のばらは再びはじめの名字を口にする。
「観月くん、聞いてほしいことがあるの」
「数学の課題ですか」
「違うよ、観月くんに聞いてほしいの。観月くんにだけ」
はじめは逃げ場を失ったように黙ってのばらの顔を見つめる。
「わたし、本当はね」