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白鳥のいない湖
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数日たって退院した後、松葉杖を手に戻った学校では誰もがのばらに部活の話をしなかった。
あえて関係のないファッションやドラマ、日常での出来事の話題を選択されて停止した思考の中をただ退屈に過ごす。
怪我をした日、その瞬間も頭に浮かんだのは観月のことで、のばらはもう二度と彼を振り返らせることなどできないのだと思った。しかし観月は失望とは程遠い弱々しく沈んだ表情でのばらに会いに来た。そして望みを叶えようとしてくれる。
罪悪感からか、付き合うフリを始めた頃のように毎日側で愛を囁くようになった観月に悪い気もせず、時々その気になったりもしながら温かく優しい偽物の日々を過ごす。例え罪悪感の生み出した偽物でも、時化の海のようだった心は落ち着き退屈な平穏を愛せるようになった。
国内でのスケートの大会が一段落し、最後まで部員と共に同じ景色を見れたことがのばらは嬉しいと素直にそう思う。
ロシアやアメリカなどのコーチの元にそれぞれ遠征に行くことが決まった他の部員たちを数回に渡って全員空港で見送った後、事実上の引退となったのばらはシューズやレオタード、練習着などを処分した。
「のばらさん、おはようございます」
何かの陰謀か、それとも運命の赤い糸というやつなのか席替えをしたことでまた隣の席になった観月がわざとらしく自らの椅子をのばらの机の近くに引いて座る。
「昨晩、君の事を考えながら焼いたスコーンです。こちらは実家で採れたさくらんぼのジャム。良かったらどうぞ」
「良かったら」と言いながら綺麗にラッピングしたものを机の上に置いてあったカバンに入れられてしまう。拒否権はない。もちろんのばらに拒否する理由もなくありがたく貰う事にするのだが。
「週末、何かご予定は?」
「無いよ」
不純異性交遊のフラグの立ち上がるにおいに釣られて現れた野村が、廊下で悲鳴のような、あるいは断末魔のような声を上げるとすかさずクラスの女子生徒がドアを勢いよく閉めた。
「実は観劇のチケットが2枚手に入りまして……二人で行きませんか? もちろん足の具合が良ければですが」
きらびやかな薔薇の縁取りにロココ調のドレスを着た女性の写真が印刷されたチケット。観月の好きそうな世界観だと一瞬にして悟る。
のばらももともとドレスを着たお姫様というものは大好きなので遠慮なく強く頷いた。
「良かった……君の都合が悪かったら赤澤をと思っていたんです。しかしまだ彼にこういうのは早いと思いまして」
「赤澤くんは3秒で寝ちゃうよ」
「早い以前の問題でしたね」
当日、のばらの期待通りエレガントな私服で現れた観月に思わずぼーっと見惚れながら、開演の時間が近付くまで喫茶店で時を過ごす。
「観月ぐんは、どごがらどう見でも王子様だぁ……」
「……フフフ、もう簡単には釣られませんよ。君も何を着ていてもプリンセスそのものですね」
観月ほど自分の容姿に特別自信を抱いたことが無いのばらは、派手さにかけるシンプルなワンピースを着て来てしまった。何より松葉杖と包帯で巻かれた足、片足だけのスニーカーでコーディネートはめちゃくちゃだ。観月の横を並ぶに相応しくない気がしてため息を零す。
こういうところも、観月が何度自分を好きだと言ってくれても信じられない要素の一つだった。