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君と花のワルツを3 ※
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昨日観月の乗ってきたバスに乗ったのばらはわくわくと胸を弾ませながら紙袋に入れた菓子折りを確認する。
早朝に崩れた化粧で帰ってきた母親が嫌々と渡してきたお土産のお菓子は、わざわざ会食のあったホテルで購入したものだそうだ。
「遊びに行くだけなのよね? お世話になっているお友達で、行かないとむしろ不自然ということなのよね? 彼、農家のご長男なんでしょう? 農家よ? 本当にただの友達よね?」
そう何度もしつこく聞いて付いてこようとする母親を、キザにさくらんぼの果柄を口に咥えて優雅に、まるでダンスを申し込むかのように遮る父親。二人のコントのようなものを横目に家を飛び出した朝の空気は美しく澄んでいてた。
農家とはそれほど娘を渡したくないような家業なのだろうか? 温度や湿度、風向き、日照時間や降水量などのデータを利用して農作業を効率化させているのだと自慢げに語る観月は、のばらにはいつか見たプリンシパルのように輝いて見えるのだ。
「僕の部屋はここですよ」
案内された部屋の中は薔薇の香りがほのかに香り、埃一つない整理整頓の行き届いた部屋だった。寮の部屋もこんな感じたろうかと気になっていろいろなものを観察してしまう。
デスクの上には昨日渡した薔薇が花瓶の中で元気そうに咲いていた。
「お茶を用意してきますね」と一度立ち去った観月が、再びトレーにティーセットと菓子を持って戻って来るまでさほど時間はかからない。
レースカーテンを透かす太陽の光に照らされた部屋の中、イエペスのギターを聞きながら持ってきた夏休みの宿題を進めていく。
真面目に授業に参加していればわかるような難易度の問題を解き終わってしまうと、オマケと称した難解な問題に頭を抱える。
せっかく恋人の部屋で二人きりだというのに、これが終わらないとキリが良いからと観月に甘えにいけない。
甘いものでも食べれば脳が活性化するのではないかと、観月の手作りの味がするスコーンを次々に口に運んでみるものの当然答えはわからない。美味しいなぁという感想だけが頭の中を満たしている。
「そんなに慌てて食べて、喉に詰まってしまいますよ」
「美味しくて、つい……まわりはサクサクで中はふわふわでほんのり甘くて……観月くんは天才だね」
「んふっ、試行錯誤を繰り返して導き出したレシピ通りに作っていますからね……で、どこの問題で行き詰まっているんですか?」
自慢のスコーンを褒めたからか機嫌がすこぶる良い観月が、ローテーブルを挟んだ正面から移動してのばらの斜め後ろに座る。
指をさした最後の問題を見ると、観月は問題文からどうやって式を立てていくか順に説明をし始める。それに沿って与えられた情報を元に式を立てて行くと、それまで悩んでいたのが嘘のように自分で答えが導き出せた。
「できましたね」
「観月くん教えるの上手! 頭良い! かっこいい! 好き!」
観月の胸に飛び込むように抱きつくと、彼の手のひらがのばらの頭を優しく撫でる。幸せだなあと溶けるように観月にもたれていると、彼が黙ったまま何も言わないのが気になった。
むくりと自分の力で体勢を戻すと、頬から耳まで赤くした観月がぱちぱちと瞬きをした。
「いいから早く宿題を終わらせろって言うかと思ったのに」
「そ、そんな乱暴な喋り方、君にはしませんよ。それに……」
何かを言いかけて視線を落してしまう観月の顔を、土下座とまでは行かないが姿勢を低くして下から覗き込む。
「それに?」
「……君は、こんなにベタベタと僕に触って、何とも思わないんですか?」
「え……あ、そうだね……スコーン食べた手で……ごめんなさい」
「いや、そういう話では……ええ、まあそうですね、このおしぼりを使ってください」
シュンと肩を落して手をゴシゴシと拭くと、終わるタイミングで観月が花の香りがするそのおしぼりを優しく取り上げた。
「あ」
瞬きをする間もないほど短い時間で観月の顔が至近距離に迫って唇を奪われる。
ようやく瞼を閉じる頃には舌を絡め取られて、ほわほわと甘い陶酔に体の力が抜けてしまった。
座ったまま力の抜けた体を引き寄せられ、されるがまま観月の膝の上に跨り唇だけでなく顎の下や首筋まで口付けられる。
一度顔を離した彼の熱い眼差しがのばらの霞んだ瞳を捕まえた。
「宿題、しますか?」
与えられた逃げ道に、観月の理性を感じる。優しく、誠実な問いにのばらは首を横に振った。
衣擦れの音と共にまた了承や同意を示すような短いキスをする。
昨日言っていた準備とやらが何のことなのかのばらが知るのはそのすぐ後になる。真面目で誠実な観月の事をのばらは好きだと改めて実感せざるをえない。
名前で読んでほしいと囁いた観月眼差しを、のばらが忘れることはきっとない。