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そして、アバンドーネ
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時間というものは有限であるにも関わらず、残酷にも刻々と猶予すら与えずに進んでいく。どれほど過去に執着し、過ぎた時間を愛していたとしても脳は新たな経験、タスクを蓄積し処理するために危機を及ぼさない幸せな時間から薄れさせていってしまう。
それでも時折観月はじめは彼女の夢を見る。
ローズレッドのドレスに身を包み、満員の舞台でスポットライトを浴びてからまだ数週間。今度は紅の着物でテレビの液晶を華やかに彩るのばらは彼の知るかぎりこの世で最も美しい薔薇だった。
夢の中でのばらはずっと笑っていて、はじめの淹れた紅茶を飲んだりお菓子を食べたり、美しい景色の話や衣服の話、出会った人の話をしてくれた。
どれも電話やメッセージのやり取りで聞いた内容だ。
夢だと気付いた時、まどろみの中に消えていく愛しい人に手を伸ばす度に薄暗い朝の訪れがはじめを襲う。
現役で合格した大学での成績も友人関係も、明日までのゼミの課題も将来も何も不安など無いというのに、ただのばらに触れられない事だけで胸が締め付けられる。
OBの紹介でインターンとして行った大手の企業。そこがスポンサード契約を結んでいるテニスの選手の中に、面識があり過ぎる人物がいたことから通常の業務だけでなくそちらのマネージャー的な職務まで担当する事になった。
学生である為に正社員ではないが、正規雇用の確定したアルバイトという形で授業のない平日はほとんど仕事をして過ごすことになった。
もともと何かをやっていないと気が済まないはじめにとって、とれる講義が少なくなって来てしまった今、お金を貰って好きなことをできるのは願ってもない話だ。
何から何まで順調すぎる生活の中、ただただ満たされないのはのばらのことだけだ。
スマートフォンを手に取ると、のばらからどこか外国のホテルの朝食の写真が送られて来ていた。
本当に遠くへ来てしまったのだと感じる。
そういえば、そろそろのばらの誕生日だと思い出して、はじめは行きつけの花屋へ行く支度を始めた。
一年に一度、のばらの誕生日にバラの花束を送るようにしている。名前は書かず、ただ簡単なメッセージを書いたカードしかつけていないのになぜかのばらは毎回はじめからだと気付いてお礼のメッセージを送ってくる。
会えない日々が続きすぎて不安に思っているのはのばらも同じようで、稀に電話越しに泣きそうな声で話しかけてくる彼女へ変わらぬ愛を伝えたかった。だが同時に、彼女が同じ世界の誰かと幸せになりたいと思う日が来た時は、それを祝福してやりたいという気持ちもある。
自らが嫉妬の業火に焼かれて身も心も灰となり滅びたとしても、のばらはそれに気づかずに幸せに生きてほしい。
愛しているからこそ狭い腕の中に閉じ込められない。広大な湖で舞う優雅な白鳥であるのばら。そして青空の下に咲くバラのようでもある彼女を好きな場所で好きに生かしたい。
それでも強く抱きしめたい、愛したい、愛されたい。その気持ちが頭の中をかき乱して今日も切ない一日が始まってしまった。