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最後の話
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累といると昔の記憶が時々頭にちらつく。それは火打ち石を叩いた時の火花のように瞬いて消えてしまう。
名前は時々思い出す記憶の中の人物にいつも累を当てはめていた。
ぼんやりと表情の乏しい顔に、時々見せる嬉しそうな笑み、優しい眼差し、名前を呼んでくれる柔らかな声。肩を落とした悲しげな横顔。
「わたし、きっと鬼になる前からずっと累が好き。多分生まれたときからそう。わたしは累に会うために生きてきたの」
累は無表情だった顔を少しだけ緩めて名前に寄り添う。
「ねえ、頭を撫でてよ」
「累、大好きだよ、累。わたしはやっと自分の役目を見つけられたよ。わたしが累を守るから、だから累、ずっとそばにわたしを置いてね」
「名前が僕を……嬉しい、やっぱりそうだ。ずっと僕が欲しかったのは兄でも姉でもない、花嫁だったんだ。そうだ、だから僕は君が欲しいと思ったんだ」
鬼として穢れてしまった魂が強く煌めいた。
記憶を失っていても家族の絆を求める累。名前にとってのそれは恋人、累なのだと確信する。
たとえ紛い物でも、かりそめのものでもいい。今累に抱いているものを恋と呼ばないのなら何が恋なのだろう。
頭を撫でやすいようにと少し腰を折って小さくなった累の背中に手を伸ばして片手で抱きしめた。もう片手で髪を梳くように撫でると、初めて会った時よりも累が幼いように感じた。
親は子を守る役目がある。それを任された哀れな弱い鬼たち。愛もなくその身を差し出せるわけがない。
累は恐怖で絆を結べていると確信しているが、本当はそうではない。
「累……大好きだよ」
抱いていた腕を放すと少し切なげに下がった累の目尻が見えた。
まただ、と名前は思う。火打ち石を叩いたようにチカ、チカと明るい何かが脳裏に蘇る。
暖かい日光のようだ。優しいそよ風の流れ込む部屋の景色。上半身だけを起こした少年の切なげな眼差し。彼を見守りながら、名前のことをいつも歓迎してくれる大人。
――嗚呼、そうだ、わたしはこの人が、この人たちが大好きだった。
「食べれば食べるほど強くなる。たくさん食べておいで」
今度は累の手が名前の頭を撫でた。こうして見てみれば、ほんの少しだけ累の手の方が大きいような気もした。
どれだけ食べたところで、名前は弱い鬼できっと累のような素質などない。それは自分が一番よくわかっていたがそのような些細なことに気を取られている場合ではない。
役目を果たさねば。累を守り、側にいるために。
頬を撫でてくれる手に自分の手を重ねて深く熱い息を吐き出す。
「またね、累」
とん、と累の肩を押し退ける。その勢いで自分も後ろ向きに遠く遠く飛んで月に照らされる落ち葉の上に着地した。
「累に近付かないで。あのこを傷つけないで」
やっと二人で同じ道を歩けるようになったのだから。
睨みつけた人間の姿は、もうただの餌にしか見えなかった。