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プロローグ 新たな生活の始まり
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織田作に問答無用で抱きかかえられ、移動すること数十分。
暗がりの裏路地へと入って、少し歩いた所に『Lupin』と言うBarはあった。
「ここが、私の後見人を名乗り出てくれている方が経営しているお店…」
「ああ、教えてもらった店名の看板があるから、ここで間違いはないだろうな」
店の前までやってきた私達は、一端、入る前に場所に間違いないかを確認するため、入口で立ち止まり、店名の記された看板を見る。
看板には、書類に書かれた店名の『Lupin』と、ちゃんと書かれていたので、一先ず、間違っていないことが分かり、私はホッと一息付いた。
そんな良い意味で肩の力が抜けた私を、間近で見た織田作は、微笑を浮かべ、私の背中を優しく擦りながら、店内に入る許可を取ってくる。
「じゃあ、入るぞ」
「はい」
その織田作の問いかけに、私は力強く頷いてから視線を扉へと移し、すぐさま、書類だけの情報以外、知らない後見人の人に会うための心の準備を整え始めた。
そうすれば、ものの数秒で私の心の準備が出来上がり、それと同時ぐらいに織田作がお店の扉をゆっくりと開ける。
扉を開ければ、すぐに引き取ってくれると言うマスターにご対面かと思っていたのだが、どうやら、期待通りには行かず、目の前に下る階段がそびえ立っていたため、マスターの姿を容易く見せてくれないようだ。
それに少し、残念な気持ちになりながらも、店内から響く心地の良いジャズの音で心を落ち着かせ、仕切り直し、織田作が下まで降り切るのを待つことにした。
そして、螺旋状になっている階段を降り終えれば、ようやく店内の全貌が見えてきて…
カウンターに50代ぐらいの人が良さそうな人相をした男性が一人、佇み、グラスを磨いているのが私の目に入ってくる。
この人が、私を引き取ってくれると言ってくれた人か…と、まじまじと見つめ、相手の動きで少しでも人柄を探ろうとしていれば、その視線に気づいたのか、はたまた階段を降りる音で気づいたのか、相手がこちらへと視線を向け、来店した私達へと微笑みを称えながら温かく迎え入れてきた。
「いらっしゃいませ…と、織田君。待っていたよ。
…彼女を連れて来てくれたんだね、ありがとう」
「はい、瑞希と話し合った結果、マスターにお願いすることになったので…お邪魔させてもらいました。
今、話をしても大丈夫ですか?」
「ああ、まだ開店したばかりでお客さんがいないタイミングだから大丈夫だよ。
さあ、立って話すのもあれだから、こっちへ座って」
「すみません、失礼します」
出迎えられて早々、私が口を出せる雰囲気ではなかったため、大人しく織田作に抱かれるがまま、様子を伺っていれば、スムーズに話が進み、マスターに促さるがまま、織田作はカウンターの席へと進み、抱えていた私をカウンターの椅子に座らせてから自分も隣の席へと座り、がっつりと話し合う体制を取る。
すると、話し合う体制を取るために席へと着席した私の目の前に、流れるような動きで私が昔から好んで飲んでいたフルーツの香りが際立つ紅茶が入ったティーカップを置かれた。
その突然の動きに目をパチパチと瞬かせ、マスターの意図を探るように出された紅茶とマスタを交互に見比べれば、少し困ったように笑いながら、紅茶を置いた意図を話し始める。
「瑞希ちゃんは、昔からフルーツティーが好きだったから用意したんだけど…
もしかして、嫌いになっちゃったのかな?」
「あっ、いいえ!
そんなことないです! すごく好きです!
ただ…、その、まさか好きなものを出されるとは思わなかったので、驚いただけです」
「そうか…そうだね。
私に取ったら、知っていて当たり前のことだけど、君に取ったら、知らない人に知られているなんてビックリなことだよね。
すまない、おじさんの配慮が足りなかったね」
そうすれば、優しく順を追って説明をしてくれたのだが、話していく過程の中でマスターに罪悪感が芽生えたようで、頭を下げ、謝られてしまった。
そんな不要なマスターの謝罪を受け取る訳にもいかないため、私は、慌ててマスターの罪悪感を緩和させるために言葉を紡ぎ出す。
「あ、謝らないでください!
逆に一切、覚えていない私の方が謝らなくちゃいけないぐらいです」
「そんな…君が、謝る必要なんてないんだよ」
「じゃあ、お互い様ってことで、謝るのはなしにしましょう。
それに、こうして謝り合うなら、私、自分が忘れた記憶を…マスター、から教えてもらいですし」
「瑞希ちゃん…わかった。
そうしよう…これから、ゆっくり、話そうね」
「はい!」
「さあ、紅茶が冷めない内にお飲み」
「はい、有難くいただきます!」
何とか、私の紡ぎ出した言葉でマスターの罪悪感を拭うことができ、雰囲気も暗くならずに済んだ事に安堵した私は、マスターに進められるがまま、フルーツティーへと口を付ける。
口に含んだ瞬間、私好みの程よい酸味と甘みが口いっぱいに広がったため、思わず、もう一口、飲んでしまった。
そんな如何にも気に入りましたと言わんばかりの行動にマスターは、ほくそ笑んで私を見つめながら、頭を優しく撫でてくれる。
数回程、私の頭を撫でて満足したマスターは、視線を私から隣の織田作へと視線を向け、彼へのウェルカムドリンクのオーダーを尋ねた。
「どうやら、気に入ってくれたみたいでよかったよ。
さて、織田君は、何を飲む?
ここは、私が奢るから、好きなのを頼みなさい」
「ありがとうございます。
じゃあ、ウイスキーを」
「かしこまりました」
マスターは織田作のオーダー聞いた途端、素早い動きでカウンターに並べられているお酒の瓶を取り出し、高級そうなグラスに丸い氷を入れ、グラスにウイスキーを注ぎ、ガラスのコースターにグラスを置いて、織田作の前へと出す。
そのお酒の提供までに掛かった時間、僅か1分以下と言う早業に私は、出来るマスターなのだと感心していれば、私だけを置き去りにし織田作とマスターだけで話し出す。
「さあ、ようやく落ち着いたことだし、今後の瑞希ちゃんの話をしようか。
まず、瑞希ちゃんを助け、保護してくれたこと、彼女の両親に代わって改めて感謝するよ。
本当、彼女を救ってくれてありがとう、織田君」
「そんな…改まって、頭を下げられるような礼をされる程の事を俺はしてませんよ」
「いいや、善人である君に救われたからこそ、私は彼女とこうして、無事会えることが出来たんだ。
これぐらいは、して当然だよ。
それと…『これ』は、私からのほんの少しの気持ちだ、受け取ってくれ」
話している会話も二人の『大人だけ』の会話なため、私は無駄に口を挟むことなく、目の前のフルーツティーを堪能しながら、二人の会話が一通り終わるのを待つことにし、大人しく見守ることにした。
そうすれば、マスターは、事前に用意をしていたのであろう少し厚みのある茶封筒を懐から取り出し、織田作の前へと突き出してくる。
所謂、『心ばかりの謝礼金』と言った所だろう。
「いいえ、俺が好きでやったことなんで…こういうのは、受け取れません」
しかし、マスターから突き出された謝礼金の入った茶封筒を織田作は少し眉をひそめながら中身を確認することなく、マスターへとつき返してしまった。
そんな、どうにも彼らしい行動に小さく笑みを零しながら、このやり取りの終着点を見つめる。
「だが、これは私の気持ちだから、出来れば受け取ってもらいたいだけどね」
「本当、お気持ちだけで十分ですから」
「強情だね…
じゃあ、君が飲みたい時はうちに飲みに来て、タダで飲んでいくって言うので手を打たないかい?」
「…マスター」
「これを受け取れないと言うのなら、それぐらいの気持ちは、受け取ってもらいたいな。
でないと、私の気持ちが収まらないだ」
「はあ…全く、どちらが強情なんだか…。
わかりました、じゃあ、それで手を打ちましょう」
「ああ、助かるよ。
これで少しは、気持ちが晴れる」
そして、ようやく終着点は、私を助けてくれたお礼に織田作が飲みに来た時の飲み代を無料にすると言う所で落ち着く。
中々にマスターも強情な人なのだと、新たな一面を見つけた所でそろそろ私は本題の『私の今後』について切り込んで行くことにした。
「『大人の話』は、終わりました?」
「すまない、今、終わった」
「ああ、待たせちゃって、ごめんね。
瑞希ちゃんの今後について、話し合わないといけなかったね。
まず、今後の##NAME1##ちゃんの住まいについてだけど…瑞希ちゃんは、今まで住んでいた家に戻るのと、おじさんと一緒の家に来るのどっちがいいかな?」
「私が、…決めてもいいんですか?」
「ああ、君の両親から『もし、何かあれば、君の意見を尊重して欲しい』と言われていたし、私も君の意見を大事にしたいからね」
私が本題に切り込んだことで、話題は一気に『私の今後』へと移り変わり、まずは私の居住についての話し合いが設けられる。
居住についての案として、マスターからは『今まで住んでいた場所』と『マスターの家』を出されたものの…言葉のニュアンス的に、私に選択権があると言う雰囲気が漂っていたので、思わず、マスターに問うてしまった。
そうすれば、私の少し図々しいような質問にも嫌な顔一つせず、菩薩のような微笑を称えたマスターは、私へと選択権を託してきたため、私は、意を決して自分の想いをマスターへ率直にぶつける。
「そうですか…
それなら、私は…今まで住んでいた家にもマスターの家にお世話になることもしたく、ないです」
「瑞希…」
少し言うのを躊躇いながらも、私は、マスターの顔を見ながら、最後まで言葉を紡ぎ出す。
言葉を言い切った途端、隣から気遣うような声で名を呼ばれたかと思えば、突然、膝の上に置き握り締めていた私の手の上へ大きな織田作の手が重ねられてくる。
その重ねられた手の温もりにホッと息を付き、いつの間にか緊張していた糸がふっと解け、肩の力が抜けていく。
そんな無駄な力を削いでくれた織田作に心の中で感謝しながら、私は、今度こそ、躊躇いなくマスターに自分の気持ちを伝えることにした。
「…理由を聞かせてもらってもいいかな?」
「私、昔から襲われやすい体質だから…絶対、マスターに多大な危険と迷惑を掛けちゃうと思うんです。
たたでさえ、マスターには私の身元を引き取ってもらうご恩があるのに…そんな恩を仇で返すようなこと、出来ないです。
だから、出来るなら、誰にも迷惑を掛けたくないので…私一人で暮らす場所がいいです」
躊躇いなく、堂々とマスターに自分の不幸に巻き込みたくないと告げる。
そんな私の想いを聞いたマスターは、一瞬だけ悲しいような、寂しいような表情を見せた。
「そうか…
やっぱり、記憶を無くしたとしても、瑞希ちゃんは瑞希#ちゃんだね。
君なら、きっとそう言うんじゃないかなと思ったよ」
だが、すぐにデフォルトの菩薩の笑みで自分の感情を押し殺し、私の意見を尊重してくれた。
その感情を殺させてしまった事に、少なからず、罪悪感を覚え、謝罪の言葉がつい漏れ出てしまう。
「すみません」
「謝る必要はないよ…君の気持ちは、わからなくはないからね。
それに、そう言われるんじゃないかと思って、予め、私の目が行き届く場所であるこのお店の上に部屋を準備しておいたんだ。
すぐにでも、暮らせるように綺麗にしてあるから、今日から、そこを利用するといい」
「…マスター」
「あ、ただ、一人暮らしを許可するに当たって、これだけは約束してもらいたいんだけど…もし、この辺で変な輩がうろついていると思ったら、すぐに私に相談すること。
約束できるかな?」
「はい! 出来ます」
そんな自分の罪悪感を軽くさせるための身勝手な謝罪をした私に、マスターは全く嫌な顔一つせず、寧ろ、暗くなっていた空気を一変させる話題でその場を丸く収めてしまう。
そのマスターの心遣いを有難く受け取った私は、話題で振られた約束に対し、満面な笑顔で受け取る。
そうすれば、周囲の空気はすぐに明るくなったことで話題がすぐに、『今後』へと移り出す。
「うん、良い返事だ。
じゃあ、次は、学校とかの件だけど…以前から、瑞希ちゃんは学校に通わず、家庭教師とかを雇っていたんだけど、今後もそれでいいかな?」
そして、次に持ち上がったのは、私の『今後の身の振り方』である。
さすがに、現在、12歳と言う私の年齢のせいもあり、今後の身の振り方については、居住の時のような自由な選択肢を与えるような雰囲気でマスターは語りかけてはくれなかった。
12歳は、義務教育期間真っ只中の子供…勉強をさせるのは、当たり前と言えば、当たり前である。
だが…
―――大学まで卒業した身としては、もう一度、義務教育からの勉強をしたいとは思わないのよね…
そう、私は、今はこんな年齢になってしまったが…中身は、列記とした学業を修業してきた大人なのだ。
今更、勉強をし直ししたいと言う志を持ち合わせている訳でもないので、出来るなら本来勉強をする時間を違うことに当てるべきだろう。
――と、なれば、私がこの場で言わなくちゃいけないことは、一つ。
私は、意を決し、マスターにあることを提案するために言葉を紡ぎ出した。
「あ、その…勉強って、しないとダメ、ですか?」
「いいや、別に瑞希ちゃんがしたくないのなら、無理にやらせるつもりはないけど…
もしかして、何か、やりたいことでもあるのかい?」
「その…やりたいことと言うか…お願いしたいこと、なんですが…
少しでもマスターにご負担を掛けたくないので、可能なら私に、ここのお店のお手伝いをさせてもらえないでしょうか?
皿洗いとか、軽い賄を作ったりとか…何でもいいんです、私に出来る事をやらせてもらいたいんです」
私がマスターに提案したこと…それは、『労働』のお願いだ。
やはり、中身が大人な以上、タダで世話になるなどどうしても出来ないため、少しでもマスターの負担を減らせるよう働くべきである。
そんな想いから、無茶なことであるとはわかりつつも、マスターに頼んでみたのだが…
さすがに、居住を決めた時のように一つ返事で『頷く』ことは出来ないようで、マスターはかなり渋い顔をしながら、首を横に振ってきた。
「瑞希ちゃん…、君はまだ12歳の子供なんだから、私に負担を掛けてしまうなんてこと、考えなくてもいいんだ。
そこは、大人に甘えなさい」
「…いいえ、そう言う訳には」
「ダメだ。
負担を掛けると追い目を感じて、そう言うんだったら、『働くこと』を認めることは出来ないよ。
…それに、私としては、君には何も追い目を感じず、他の子のように何不自由ない生活を送ってもらいたいんだけどね」
そして、告げられた答えは、かなり強めのNOの返事。
それも私の言い分すら聞くつもりはないと言うような雰囲気だ。
―――何か、ジ○リ千と○尋のワンシーンみたいだな…
働きたい私と、私には何不自由ない生活をさせて上げたいと考え、私を働かせたくないマスター。
どこか平行線を辿りそうな話し合いの風景は、ジ○リ千と○尋のワンシーン、そのもので私は少しだけ笑いが込み上げそうになる。
その笑いを何とかぐっと、抑えた私は、すぐさま自分の中で切替を行い、この場を引く訳にはいかないので私は反論を開始することにした。
「じゃあ、マスター…私が、やりたいことなら、やらせて貰えるんですか?」
「…ああ、君が『やりたい』と言うなら、私は何でも叶えるつもりだよ」
「それなら…、私、一人でも社会で生き抜ける術をマスターから学びたい。
私は、きっと体質のせいで、他の誰よりも社会で生き抜くのは難しいと思うし、他の誰よりも社会で生き抜くための術を見つけ、身に付けるのにも時間を掛かってしまうと思うんです。
そして、その術を見つけるのに時間が掛かれば、掛かるほど…私はきっと他の人を巻き込むだけでなく、自分の命までも脅かされてしまう。
だから、そんな起こりうる危険を未然に防ぐためにも、ここで働かせて、自分の身を守る術を教えてください!」
なるべく、マスターに反論されないように一生懸命に言葉を選びながら、私は、頭を下げ、マスターから『働く』許可を貰えるように頼み込んだ。
そして、私が頭を下げてから数秒。
「ん~……」
マスターは、私の反撃の言葉に、ぐうの音も出ないようで言葉を閉ざし、何か悩ましげな声を上げた。
突然の声に、私は何事かと思い、下げていた頭を上げれば、片手で頭を抱えながら、悩ましげに眉を下げているマスターの顔が目に飛び込んでくる。
――あ、これは、もしかして…反撃成功?
その何も言い返せぬマスターの様子から、私の反撃が上手く成功した事を悟ったと同時に、隣で大人しく私達の話し合いを聞いていた織田作が声を掛けてくる。
「マスター、瑞希は頭がすぐ回る奴です。
きっと、反論した所でやり返されるだけだから、諦めた方がいいと思いますよ」
「ん~…瑞希ちゃんが、ここまで、聡い子だったなんて…これじゃあ、ダメだと突っぱねられないじゃないか、はあ…」
自分も身に覚えがあると言うような雰囲気でマスターに声を掛けた織田作は、抵抗を止め、私の好きなようにやらせる事を勧めてくれた。
その思わぬ所から織田作の援護射撃を受けたマスターは、さすがにもう、観念したようで諦めたかのような大きな溜息を付く。
「わかった、降参だ。
瑞希ちゃんが望む通りに、ここでの手伝いをお願いするよ。
もちろん、タダでお手伝いをさせる訳にはいかないから、働いた分はきっちり、お金を渡すからね…いいね?」
そして、マスターは控えめに両手を上げながら、私が働くことを許可しながらも、最後に釘を打つかのようにキッチリと自分が譲れない部分を伝えてくる。
さすがに、もうこれ以上、マスターに追求するのも申し訳なくなってきたので素直にマスターの厚意を受け取ることにした。
「はい、わかりました!
ありがとうございます」
「全く…、織田君よりも瑞希ちゃんは強情なんだから…と、いらっしゃい、広津さん」
マスターの厚意を断ることなく受け取り、マスターが私の強情さに苦笑を漏らして小さな文句を零した瞬間、お客さんが来店してきたようで、マスターは瞬時に出迎えの挨拶をする。
挨拶の際、名前も呼んでいた所を見ると、ここの常連のお客さんであることはすぐに理解できたので、私は、織田作にこの場を丸く収めてくれるように視線を向けた。
「おや、お取込み中だったかな?」
「いいえ、もう、終わった所なので、俺達はこれでお邪魔させてもらいますからお気になさらず。
マスター、上の瑞希の部屋は、どこから行けばいいですか?」
そうすれば、織田作も私と同じ考えだったらしく、すぐさま、カウンターの椅子から立ち上がり、私を優しく抱きかかえ、白髪の片眼鏡を掛けたダンディな雰囲気のお客人に一声掛けてから、私に用意された部屋へと退散してくれた。
「店を出てすぐ右側に階段があるから、そこを登ってもらえれば、部屋があるよ。
鍵は、掛けてあるから、これを使って」
そんな私達の意図を、すぐに理解してくれたマスターは、何も慌てた様子を見せることなく、鍵を取り出し、織田作へと差し出してくる。
「ありがとうございます、では…」
織田作は、それをすぐに受け取り、早々にこの場を後にしようと動き出そうと…その時だ。
「あ、それと、最後に一つだけ!
瑞希ちゃんのご両親が、もしものことがあった時に君へ渡すように頼まれた資料が机の上にあるんだ。
とても重要なことが書いてあるみたいだから、部屋に行ったら、すぐに見てくれないかな?」
マスターが動き出した織田作を慌てたように引き止め、私に伝え漏れていた事柄を告げてくる。
言われた内容が私に関わることだったため、私はその事をしっかりと記憶し、マスターにうなずいて見せた。
「はい、わかりました。
確認しておきます!」
「頼んだよ。
じゃあ、また明日ね…
今日は、疲れてるだろうから、ゆっくりお休み」
「はい、ありがとうございました。
では、また明日」
そして、最後まで私を気遣うマスターの言葉を有難く受け取り、私と織田作はBarを後にするのだった。
―――――――
そして、お店の外を出て、右側の細い路地を曲がれば、マスターが言っていたように階段が現れたため、すぐに階段を上り、部屋の鍵を開け、中へと入った。
部屋の中に入れば、薄暗く何も見えなかったため、織田作が入ってすぐに設置されていた電気のスイッチを付ける。
すると、そこには一人暮らしをするには異様に広い部屋の光景が広がっていたので、私は思わず、声を上げてしまう。
「えっと…ここは、私の部屋でいいでしょうか?
何か、ここから見る限り、リビングはすごい広いし、部屋は二部屋ぐらいありそうなんですけど…」
「マスターから渡された鍵で開いたんだから、間違いなく、ここはお前の部屋だな」
「で、ですよね~…」
「気が引けるか?」
「それは、こんな綺麗で広いお部屋を準備して頂いたんですから、気は引けますよ…
私は、別に一部屋さえあれば、十分なので…」
「まあ、普通はそうだろうな。
でも、これもマスターがしたくてやった事なんだから、有難く受け取ってやれよ」
「わ、わかってますよ。
もう、あれ以上、マスターの気持ちを無下にはできませんから」
そんなマスターの気前の良さに気が引けてしまっていた私だったが、織田作にマスターの厚意を受け取るよう諭されてしまったので、苦笑しながらも、自分の申し訳ないと思う気持ちをそっと仕舞い込んで、厚意を受け取る意志を示した。
「わかっているならいい。
さて、もう少し、中を確認するか」
「はい!」
そうすれば、大人しく言う事を聞いた私にどこか満足したような笑みを浮かべた彼は、私を抱きかかえたまま、靴を脱ぎ、部屋の中を確認するため、更に中へと入って行く。
そして、織田作と隈なく部屋の中の確認をしていき、一通り部屋の中を見終わったため、私達はリビングへと戻り、一息を入れることにした。
「ふぅ…やっぱり、広いですね…このお部屋」
私は、リビングに備え付けられているソファへと織田作に座らせられながら、一通り見た部屋の感想をボソリと呟いた。
そんな私の純粋な感想の言葉を聞いた彼もまた、私と同じような気持ちを抱いているらしく、私の隣に腰を掛けながら、苦笑を浮かべて同意してくれる。
「確かに…グランドピアノが横並びで二つぐらい並びそうな部屋が一つに、寝室部屋が一つ、あとこれだけ広いリビングに、大きなシステムキッチンが付いてるのは一人暮らしには広すぎるな」
「そうなんですよね…寝室部屋は、ちょうどいい広さだからいいとしても、無駄に広くて運動も出来てしまえそうなあの部屋は、どうしたものかと考えちゃいますよ」
その苦笑する彼の同意に、激しく同意しながらも、私は顎に手を当てながら、何気なしに言葉を紡ぐ。
「運動、か…それなら、一層の事、あの部屋にトレーニングマシーンでも入れて、運動場にでもしてみたらどうだ?
お前、体質のせいで外に中々、出られないって日も出てくるかもしれないから、そんな日は気晴らしに体を動かすってのもいいと思うんだが…」
すると、何気なしに私の言葉に織田作は閃いたようで広い部屋の使い道として、『運動場』に変えることを提案してきた。
私は、それを聞いた途端、すごい発明に出逢えたかのように表情をパッと明るくさせ、織田作の提案してくれた案に賛同を示す。
「あ、それ、いいですね!
私、体質のことを考慮して外出は控えようと思っていたので、運動不足解消目的に運動場にするのは有りです」
「じゃあ、明日、一緒にマスターへお願いしてみよう。
マスターなら、もしかしたら、運動機材を安く譲って貰える人とか知ってるかもしれないからな」
「はい!」
そうすれば、織田作も自分の提案が賛同されたことが嬉しかったらしく、小さく頬を緩めながら、楽しい運動場作成案計画を語り出してきたため、私はそれに大きく頷いて見せる。
明日もまた、彼に会えることに私は、少なからず安堵感を覚えていた。
そんな安堵感を噛みしめていれば、会話が一区切りついたと判断した織田作は、話題を次の行動について、変えてくる。
「よし、これで部屋の使い道も決まったことだし、俺は、これから外で食料を買ってくる。
さっき、冷蔵庫の中を確認したが、本当に必要最低限のものしか入っていなかったからな」
「あ、それなら、私も…」
「お前は、明日から引っ越しの作業とかしなくちゃならないんだから、体力温存のためにもマスターに言われた資料を読みながら、ここで大人しく待ってろ。
大丈夫、すぐに戻ってくるから」
「…わかりました。
申し訳ありませんが、明日からもよろしくお願いします、織田さん」
「ああ、じゃあ、行ってくる」
「はい、お気をつけて!」
織田作によって、変えられた話題は今日、食べる食料の調達についてで…
その買い出しを引き受けてくれた織田作は、私を一人、部屋に残し、買い出しのために外へ旅立ってしまう。
たった一人で部屋に残された私は、ただ広いだけの部屋にポツンとソファに座りながら、テーブルの上に置いてあったマスターの言っていた両親が残してくれたと言う重要書類を手に取り、目を通し始める。
そして、その重要書類に目を通し始めてから数分が経過した。
最後まで重要書類を読み終え、内容を正しく理解した瞬間、一気に頭痛と疲労感が私に押し寄せてきたため、頭を抱えながら、ソファに寄り掛かり、思わず、嘆いてしまう。
「本当…勘弁してよ、佳奈美…
何よ、この異能の内容は…」
重要書類に、書かれてあった内容は『私の異能力の詳細』だ。
そこに記されていた詳細な異能力の内容は、私が聞かされていた内容より、更に細かい設定が追加されていた。
その追加された要素と言うのは、サブである『色香で人を意のままに操る』異能は、自分自身でコントロールすることが出来ないということ。
そのため、色香が強くなれば強くなっただけ、抑え込むことが自分でできないため、周囲を狂わせてしまうリスクを高まってしまうようだ。
本当、とことん、佳奈美は、私にバッドエンドへ進んでもらい、彼女の推しである『太宰治』と心中してもらいたいことが伝わってくる。
―――せめてもの救いは、この書類にちゃんと色香が強くなった時の対処法と普段の漏れ出る色香の対処法が記されてあることだけど…
その対処法だって、異能力無効化を持つ『太宰治』がいなくては、対処することが出来ない仕様になっている。
もし、周囲に迷惑が掛かるぐらいに色香が付いてしまった場合は、異能力無効化を持つ『太宰』と肉体関係を結び…
誰とも肉体関係を持っていない状態での微弱な色香を抑えるには、『太宰』の髪の毛が必要なのだ。
唯一、『太宰』が関わらないで色香を効かないようにする方法と言うのが、色香を効かせたくない相手と口付けを交わすことなのだが…
根本的な解決にはなっておらず、あくまで一時凌ぎでしかないため、有効な手段とは言えない。
――詰まる所、『太宰』の存在は、私にとって必要不可欠な存在って訳ね…どうしたって、『太宰』と私を絡ませたいのが丸出しだわ…
私は、手に取るようにわかる親友の思考に嫌気が指し、手で握っていた親友好みの設定が書かれた書類を机に投げ出して、脱力気味に溜息を付き、物思いに拭ける。
こんな設定にされてしまっては、行動を制限されるため、自分の好きな事を思い切りやれないし…
異能で人を惹き寄せてしまうことから、好意を向けてくれた人全てが心の底から私自身を愛しているとも限らないため、まともな恋愛も出来そうになさそうだ。
そうなれば、私が人並みの幸せを手にすることが出来ないことだろう。
―――それって、私に幸せになるなってことよね? …え、志半ばで一度、死んだ私に幸せになるなって…何か、かなり理不尽じゃない??
そこまで思考を巡らせ、極めて理不尽な状況に立たされていると理解した瞬間、私の奥底から沸々と怒りが込み上げてきた。
それと同時に私の反骨精神が刺激されたようで、どんどん私の内から闘志がみなぎってくる。
「…っ、いいわ、やってやろうじゃないの…!
バッドエンド要素しかないヒロインだって、人並みの幸せを手に入れられる所をみせてやる!」
そして、私は、手を強く握りしめ、テーブルの上に置いた資料を憎まし気に見つめながら、自分の幸せを勝ち取る決意を言葉にし、新たな生活を始めていくのであった。
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