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第一章 やり直し宣言 太宰Side
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「出て行って!
もう二度と顔を見せないで」
「ご、ごめ…」
鬼のような形相で、僕を店から追い出した彼女は、勢い良く僕を突き飛ばし、店の扉を閉めてしまった。
何としても、謝らなくてはと思う一心で謝罪の言葉を口に出したのだが、それも閉められた扉に阻まれ、虚しく周囲に響き渡るだけで…
「何…してるんだろう、僕…」
僕は、ただ一人、お店の前で情けなくも座り込み、弱々しい小さな声で呟いた。
そうすれば、じわりじわりと自分が仕出かしたことを思い出してしまい、更に情けなくなって膝を抱え、物思いに耽ってしまう。
本当、先程のまでの自分はどうかしていた、としか思えない。
本来の僕は、あそこまで他人に踏み込んだ話をする人間ではないし…もっと人の顔色を伺うことが出来る人間のはずなのだ。
なのに…あの時の僕は、人が勝手に押し入られたくないと思う領域を平気で踏み込み、彼女の顔色を伺うことなく、彼女の考えを否定し、自分の持論を彼女にぶつけてしまっていた。
その結果、僕は取り返しのつかない言葉を彼女にぶつけてしまったため、彼女から平手が飛んでくる程、怒らせてしまったのである。
『私は、貴方の考えを否定したり、私の考えも強要もしたりしない…のに、貴方は、平気でするのね』
必死に怒りを抑えるように唇を噛みしめ、手を握りしめる彼女の姿を思い出しただけで、僕の心は締め付けられるような痛みを覚え、後悔が押し寄せてくる。
まさに、彼女の言う通りだと思った。
彼女は、最初から僕のしたことや考えに全てを否定することなく、ただ、受け入れてくれたと言うのに…僕は、彼女を否定したのだから。
こうして、僕が殴られたのは、当然である。
「何で…あんなこと、言ったんだろう…」
僕は、彼女から殴られた左頬を左手で抑えながら、自分の理解不能な行動を振り返るようにポツリと呟く。
そうすれば、自分の中に蠢く感情が一気に僕へと押し寄せ、ありとあらゆる感情が入り混じり始め、更なる混乱を与えた。
そんな普段の自分らしくない冷静でない有様に嫌気が指した僕は、小さく溜息を付いて、心を落ち着かせる。
そして、交じり合って訳の分からない状態になった感情をゆっくりと紐解いていく。
最初に彼女と会って、感じたのは、間違いなく『喜び』だった。
『ええ、そうね…
でも、柱もさすがにあまりにも多くの人を葬ってきたから限界だったんでしょう。
運がなかったね、君』
僕が自殺をしようとしたことを咎めることなく、何事もなかったかのように話をしてきた人と出会ったのは初めての事で…
何も言わず、何も聞かず、僕がしたことにさえも黙して受け入れてくれたことが嬉しかった。
『…別に、私が何も言わない訳に、深い意味なんてないよ。
ただ私は、他人が『人』の人生にとやかく言う権利は元々ないと思ってるだけ。
まあ、お互いに仲が良い人に口を出すのは、その人への気持ちがあってのことだから、別にしても…まだ知り合って間もない人間が『死を望んでいる人』に『死んではいけない』と軽々しく説教する権利なんてある訳がないもの。
それに、『生きる』って、結構、大変なことでしょう?
それを人に強要するのは、自分勝手過ぎて如何なものかと思うし…誰しも、生きるのに疲れて…辛くて『死にたい』って、思うことってあるから、仕方がない感情だと思うの。
だから、その『死にたい』と言う君の思いを完全否定するつもりが私にないから何も言わないだけ』
そして、僕の考えさえも否定することなく、受け入れてくれたことが更に僕の喜びを増幅してくれたことも覚えている。
彼女のような『誰でも受け入れてくれるような人』が僕の近くに居てくれたら、どれだけいいだろうかと思うぐらいに舞い上がってしまっていた。
それだからだろうか。
目の前の喜びに目が眩み、舞い上がる己を律することが出来ず、冷静な判断が下せなかった。
その時の僕は、彼女を『誰でも受け入れ、何でも許してくれるような人』だと普通ではあり得ない判断だと言うのに、自分に都合のいいように判断してしまったのだ。
『思わないよ…私は、彼女に『この世界』で頑張る所を見せたいもの。
だから、私は、まだ死にたくない…生きていたいよ』
だからかもしれない。
彼女が自分とは違う意見を持っていたことを知った時、酷く気に食わなかった。
次に僕が覚えた感情は、『苛立ち』だった。
彼女が僕を受け入れながら、僕と同じ意見でいてくれない事への苛立ち。
通常であれば、自分とは違う人間なのだから、違う意見を持ち合わせていてもおかしくはないと言うのに…それすらも許せないと思った僕は、彼女に自分の気持ちを押し付けたのだ。
僕を、もっと受け入れてもらいたくて
僕と同じ存在でいて欲しくて…
彼女と僕がもっと、もっと…近い存在で居て貰いたくて…
もっと、もっと…
そこまで、思考が廻った瞬間、自分の中にこれだけどす黒い感情があったことにはっと息を飲み、自分がどれだけ、身勝手な感情に支配されていたのかが分かった。
僕が自分を見失ってしまう程に支配されていた感情…
それは『執着』。
唯一、僕を受け入れてくれた彼女を、どうしても僕のものにしたい。
そういう子供染みた感情が、僕から冷静さを奪い去り、あのような自分らしさが欠けた行動を引き起こしたのだろう。
「…あははは、こんな感情…僕にもあったんだ…」
自分でも理解不能だった今までの行動の原因が分かった途端、僕は何とも言い知れぬ感情が押し寄せてきた。
それを紛らわすように笑ってみたが、一向に気分は良くならなくて…
寧ろ、空回った笑いは、空しく僕の耳にだけ響くだけで…悲しさが心の中に広げた。
そのせいか、やけに思考が悪い方向にしか回らなくなる。
―――嗚呼、あれだけ酷いことを言ったんだ…きっと僕は、彼女に嫌われただろう…
そう、思った途端、ずっしりと心に重い錘が圧し掛かったように重く感じ、目頭が一気に熱くなった。
そして、頬に冷たい雫がポロリポロリと伝う。
僕は、静かに…いつぶりかに涙を流していた。
涙を流した所で、自分が仕出かしたことがやり直せる訳でもないんでもないと言うのに…僕は涙を流し続けた。
まるで、自分の中に轟くごじゃまぜになった感情を押し流すかのように…僕はただただ涙を流していたのだ。
――もう、どうでもいいや…今だけは、ただ何も考えず、ただこのままで居たい…
そうして、しばらく泣いたまま、蹲っていれば、ようやく、ごじゃまぜになった感情が一気に流し切れたため、少し晴れやかな気持ちになる。
そうすれば、一気に今からやるべきことが思い浮かんできたため、僕はいつまでもめそめそしてられない想いから顔を上げ、未だ硬く閉ざされたお店の扉を見つめてポツリと言葉を漏らす。
「…まずは、許してもらう所から…だ。
それから、君に少しでも近づいて見せる」
漏らした言葉は、彼女とのやり直し宣言。
関係修復に、それ以上の発展の想いを込めた言葉だった。
その言葉を唱えた後の僕は、その場を立ち上がり…一端、体制を立て直すために身を引いたのだった。
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