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レイス・ブローガンという少年にとって前世の記憶というものは、数多ある物語のひとつにすぎなかった。住む世界や性別が違っていたせいもあるだろうし、生まれてから死ぬまでのそう長くない人生すべての記憶を有していたわけではなかったせいもあるだろう。前世の記憶や性格に引きずられることもなく、人より少しだけ知識が多くて、ほんの少し年齢より大人びた考え方をして、どうしてだか知らないはずのことを知っていたりする。レイス・ブローガンは、そういう子供だった。
そんな彼が変わったのは、ナイトレイブンカレッジへ入学し、レオナ・キングスカラーという後輩ができた時だった。彼は幼い頃から、ナイトレイブンカレッジという学校を知っていた。そしてレオナ・キングスカラーという少年に出会って、その学校を舞台に繰り広げられる物語のことを、あらすじ程度ではあるが思い出したのだ。
いずれここには、魔力のない異世界の人間がやってくる。オンボロ寮でやんちゃな猫と暮らすことになるのだ、苦労も多いだろう。何より、魔法がある世界なのに魔法が使えないと知れば、さぞ悲しい思いをするに違いない。それが原因でいじめられる可能性も高い。
レイスと監督生は、この世界の誰も知らない世界の記憶を有している。同じ秘密を共有しているということは、力を貸す理由としては十分だった。
レイスは十八歳、レオナは十六歳。監督生が来るまであと四年。その間に何ができるかをレイスは一分ほど考えた。そうだ、魔法少女にしてあげよう。レイス・ブローガンという少年は、まあまあバカだった。
◆ ◆ ◆
魔法の使えない人間が使う魔法道具は、あらかじめ役割が決まっていることがほとんどだ。魔法士のように、唱えた呪文に応じた魔法を発動することをひとつの魔法道具で再現するのは難しい。ひとつの道具で使える魔法はせいぜいひとつかふたつ。その時点で、杖を使って魔法を使ったりコンパクトで色々な姿に変身するような魔法は除外される。
戦うための武器や肉体強化系なら再現可能だが、この学校で戦う相手といえば、生徒くらいのものだ。さすがに仰々しすぎるし、魔法は魔法だけど思ってたのと違う、という解釈違いが発生する可能性がある。故にこれも却下だが、護身用に筋肉がムキムキになる魔法道具はあってもいいかもしれないので時間があったら開発しておこう。
魔法道具の性質、レイスの実力等々を考慮した結果、魔法のカードを作ることに決めた。カード一枚につきひとつの魔法を登録し、杖に取り付けた石の力で魔法を発動する。もちろん、優れた魔法士ほどの威力や精度はないし、定期的に杖の石に魔力を貯めなければならない。カードにする魔法だって、今のレイスの実力では足りないものばかりだろう。
けれど、レイスはやると決めた。必ずや、監督生をカードキャプター系魔法少女監督生にしてみせる。
そうと決まれば部活をやめよう。マジフト部は練習が多く体力も使うので、片手間に魔法道具開発をしていては監督生が来る日に間に合わない。レイスはさっそく学園長に話をつけ、後輩であるレオナにマジフト部をやめると伝えた。
既にサバナクロー寮の寮長となっていたレオナは、相変わらず不愛想な顔でレイスの話を聞いていたが、やめるという言葉にぴくりと耳を揺らした。
「俺を捨てるのか」
「上手い先輩なんかいくらでもいるんだから影響はないだろ」
レイスは別段マジフトが上手いというわけではない。先輩におだてられて、なんとなく入ったらそこそこ動けただけの話である。だがレオナはそうは思っていなかった。気分に波がないのかプレイは常に安定しているし、状況を見極める目は確かで状況を判断するスピードは速い。そこそこに正攻法を使うし、そこそこに意地の悪いプレイをすることもある。それでいて、レオナを怖がりもせず媚びもせず、気楽な友人のように接してくるのがひどく心地よかった。
寮も学年も違うレイスとレオナが顔を合わせるのは、昼休みとマジフト部の活動くらいしかない。少なからずレイスに懐いているレオナが、その貴重な時間すらなくなろうとしているのを、黙って見ていることなどありはしなかった。
ぴしぴしと尻尾を不機嫌そうに揺らしながら、レオナはレイスの首に噛みついた。レイスはすぐさまレオナの首根っこを掴んで引き離そうとするが、レオナは背中や肩に爪を立てそれを拒む。
「まーたお前はそうやって、すぐ噛む」
「甘噛みだろ」
「猛獣の甘噛み本気で痛ぇんだけど」
先ほどよりゆるく首を引かれれば、レオナはぱっと口を開いてレイスから離れた。くっきりと残る歯形はギリギリ血が出ない力加減で、上達したなとレオナが実感する程度には彼はレイスを噛んでいた。レイスにとっては、子猫のじゃれ合いという認識なのだろうが、もちろんレオナにそのつもりはない。
「どうしても、やめるのか」
「自由になる時間が欲しいんだよ」
「マネージャーになるんじゃダメなのか」
「むしろ仕事増えるだろ、それ」
レオナは唸った。引き留めたいが、レイスを納得させられるネタがない。逆の立場であれば簡単だっただろうが、残念なことにレオナがレイスを想うほど、レイスはレオナを想ってはいないのだ。しょせん、自分に懐いている後輩程度の認識なのだろう。レオナは舌打ちをした。いっそこの場で押し倒して首根っこに噛みついてやろうかとすら思った。
「サバナクローに転寮するっつーなら、許してやる」
「手続きめんどいからやだ」
「なら、マジフト部としてお前の退部は認められねえ」
「手続きと引っ越し、そっちが全部やるんなら寮移ってもいいぞ」
レイスの言葉に、レオナは目を丸くした。まさかそっちを受け入れるとは思っていなかったのだ。けれどレイスにとっては、寮などどうでもよかった。あわよくば個室が欲しいとは思うが、どこだろうと開発と実験はできる。
「お前、わかってんのか。うちの寮は弱肉強食だぞ」
「腕っ節だけで勝ち負けが決まるのか?」
口角を上げたレイスにレオナは肩をすくめたが、すぐに寮生を使ってレイスの転寮手続きを始めた。
そんな事情など一切知らないサバナクロー寮生たちは、突然自分たちの縄張りに入り込んだ人間を激しく威嚇した。レイスが学校内では目立たず、見た目が弱そうだったのも原因だろう。引っ越しの最中にケンカを売られたレイスは、新入りを叩きのめそうとする獣人を炙りチャーシュー丼で撃退した。運動部所属の育ち盛りの少年に対し、効果は抜群だった。
戦いを見ていた別の寮生がその場でレイスにケンカを売ると、レイスはすぐさま山盛りの豚の角煮で迎撃した。またもや効果は抜群だった。
「材料費さえ出せば、昼なり夜なりに作ってやらんこともない」
レイスの趣味は、魔法道具製作と料理である。こうも立て続けに身内がやられると、寮生たちも察してしまう。
自分たちではこいつに勝てない。
基本的に、ナイトレイブンカレッジの生徒は個人主義であり、自ら進んで誰かのために何かをすることはない。食事の時間は決まっているし、自分たちで作ろうにも料理などしたことがない者がほとんどだ。ごくり。喉を鳴らしたのは、誰だったか。
「材料をまとめ買いすれば、菓子パン三つ分で豚の角煮丼が」
「よく来た新入り!」
「歓迎するぜ!」
「引っ越し手伝ってやるよ!」
置きっぱなしだった荷物を持って、寮生たちがどたどたと駆けていく。無血開城、完全勝利。どんなもんだとガッツポーズをしてみせるレイスに、レオナは呆れたようにため息をついた。
「お前ならやり合っても勝てただろ」
「後のこと考えたらこっちの方がいい。いやー単純すぎてかわいく見えてくるな」
レオナを子猫と認識しているレイスにとってみれば、レオナより弱い肉食系獣人たちなど首輪のついたわんちゃんねこちゃんと変わりない。まあ実際のところ、レイスの関節技はまあまあえげつないので戦ったところで結果は同じだ。レオナは再びため息をついた。
「おいお前ら、こいつの荷物は副寮長室に放り込んどけ」
「一人部屋じゃん。やったね」
「言っておくがサバナクローの副寮長は寮長の身の回りの世話も仕事の内だからな。せいぜい頑張って、俺に尽くせよ」
「まあ子猫は手がかかるもんだからな。毎朝ミルク飲ませて体重計乗せてやるよ」
レイスとレオナは互いに煽るような笑みを浮かべながら、額をぶつけ合った。レオナにとっては親愛の情を示す行動だったのだが、レイスにとっては売られたケンカを買ったという認識である。悲しいかな、レイスは自分に好意が向けられているなんて微塵も考えてはいなかった。