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03
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レイス・ブローガンは、二十二歳にして二度目のナイトレイブンカレッジへの入学を果たした。
肉体を十六歳の少年期のものへと戻し、魔女の姉がなんやかんや小細工をして鏡すら騙してしまった。入学案内の手紙が届いたときには、やはり姉はすごいなあとレイスは思った。
入学式会場である鏡の間で、闇の鏡に名を問われたレイスは偽りもせず己の名を告げた。その瞬間、教師陣の口からは「え?」という言葉がこぼれたし、サバナクロー寮長として入学式に立ち会っていたレオナは驚きから目を見開いた。フードを深くかぶっていたことと、人が多いせいで匂いにも気づかなかったのだろう。けれど声と名前で己の知る男であると気付けば、口角を上げて歩き出す。
「こいつの寮はサバナクローだ」
ぐい、と肩を引かれたレイスは驚きながらもレオナの顔を見上げた。年下だった男が今は年上というのが、妙な気分である。
「いやポムフィオーレだろ」
「うむ。汝には、美しい女王の奮励の精神こそふさわしい」
「いいや、サバナクローだ。それ以外認めねえ」
闇の鏡を脅すレオナにレイスは呆れたが、こっそりと「今のポムフィオーレの寮長くそ面倒くせえぞ」と耳打ちされればそれ以上口を開こうとはしなかった。別段、寮にこだわりはないのである。
闇の鏡に勝利したレオナはレイスを傍らに置いたまま、満足げに監督生たちの様子を眺めていた。そして新入生と共に向かったサバナクロー寮には、新入生を見るために入口から談話室までずらりと寮生が待ち構えていた。談話室に着くと、レオナは毎年おなじみの新入生を迎えるための簡単な挨拶をし、にやりと笑ってレイスのフードを引いた。
「お前ら喜べ。かつての同胞、レイスが戻ってきた」
瞬間、談話室を震わせるほどの雄たけびが上がった。レイスが四年生だったときの一年生が、今は四年生。レイスに胃袋を掴まれた者たちである。
レイスの卒業式の日、サバナクローは悲しみに包まれた。彼のいない間、残された調理器具を見て涙する者もいたほどだ。びりびりと震える空気に、事情を知らない者たちは戸惑い、困惑しながらレイスを見た。鏡の間からここまで、寮長であるレオナがぴったりと寄り添い離れようとしなかった新入生。今は、泣いて縋る四年生を呆れた顔で見下ろしている。
「おがえりなさい先輩っ」
「よくぞ、よくぞお戻りくださいました」
「泣くほどかよ」
「だっで、レイスぜんばいの飯っ」
「せんぱあぁぁぁい!!」
学校の最高学年である四年生たちの姿に、下級生たちは若干引いていたし、足元にうずくまる獣人たちを見たレイスも引いていた。
「その前に、少しはおかしいと思わないのかお前ら」
「だっで寮長も留年してるしっ」
「レイスさんいるならどうでもいいです!」
レイスはふっと笑って膝をつき、おいおいと泣く男の肩に手を置いた。
「お前ら一年の頃よりバカになったか? ちゃんと勉強してるのか?」
「じでまずぅ」
「前の期末テスト学年十位でしたご褒美くださいっ」
「俺も、俺も十二位でした! 褒めてレイス先輩!!」
なんだこれは地獄か。
そんなことを思ったのは一人や二人ではないだろう。レイスは、表情だけは優しげな笑みを浮かべていたが、その唇から出てくるのは年上相手とは思えない言葉の数々。しかし四年生たちは、厳しい言葉を聞いてぶんぶんと尻尾を振っていた。入学早々見せられた地獄絵図は、新入生たちに恐怖を植え付けるには十分だったし、二、三年生にやべーやつと認識されてしまうのも仕方のないことだった。現にレイスは、年齢詐称してナイトレイブンカレッジに再入学するやべーやつなので、その認識は間違っていない。
◆ ◆ ◆
監督生、ユウは相棒グリムと共に色々なトラブルに見舞われながらも、なんとか日々を生き抜いていた。己の常識が通用しない世界で奮闘し続け、少々疲れを感じ始めた頃に、ユウはレイスと出会った。
「監督生……力が欲しいか」
グレートセブンの石像の陰からすっと現れたレイスは、静かな声でユウへそう問いかけた。入学から数日、魔力がないからとバカにされることが多々あったユウは警戒して一歩後ずさる。しかしレイスは表情を変えぬまま、一歩踏み出した。
「言いがかりをつけてくるバカたちに対抗できる魔法の力が……欲しいか」
「いや、でも俺、魔力ないんで、そういうの結構です」
「セールスとかじゃないから、もうちょっと考えて」
「結構です」
「俺が四年かけて作ったのに……?」
眉尻を下げたレイスに、ユウはうっと言葉を詰まらせた。人の善意を切って捨てることに、ユウはまだ抵抗があった。レイスの行為は決して善意ではなく完全なる自己満足なのだが、ナイトレイブンカレッジに来たばかりのユウにわかるわけもない。
「あっ、やっぱりお話だけでも聞いてみようかなーなんて」
「よし、じゃあこれとこれやるよ」
そう言って渡された小さな鍵と箱を見て、ユウは首を傾げた。箱の中身は見えないが、鍵の方には見覚えがある。
「呪文は知っているか?」
「……闇の力を秘めし鍵よ?」
「それだ」
「それなの!?」
そんなわけないと思ったら正解だった。ユウは叫び、鍵と箱をレイスに返して逃げ出そうとしたが、首根っこを掴まれ足を止めた。おそるおそる振り返ると、悪どい笑みを浮かべたレイスが「逃がさねえぞ」と低い声で呟いた。
「俺がお前を立派な魔法少女にしてやる」
「いいです、大丈夫です、間に合ってます!」
「ああ、格好が気にくわないのか? なら俺がお前に、午前零時になってもとけない魔法をかけてやるよ」
「いらないです、マジで、誰か助けて!」
「さあ、美しく生まれ変われ監督生」
「嫌だー!」
レイスの詠唱と共にユニーク魔法が発動し、ユウの体は光に包まれる。
助けを求めるユウの声を聞きつけたエースとデュースが駆けつけた時には、ユウはフリルとレースとパニエを惜しげもなく使った、大変かわいらしいドレスを身に纏っていた。突然生足ミニスカドレスを強制されたユウの表情は死に、その顔を見たエースとデュースは吹き出した。腹を抱えて笑い転げる友人たちを見たユウは死んだ顔のまま鍵を手に、呪文の詠唱を始める。
「闇の力を秘めし鍵よ、真の姿を我の前に示せ」
封印解除の声と共に鍵は杖へと姿を変え、ふわりとカードが浮かび上がった。けれどユウはカードには目もくれずに杖を振りかぶり、エースとデュースはひいひい笑いながらユウへと謝罪した。
エースとデュースの笑いが落ち着くまで、ユウはレイスの話を聞いた。ユニーク魔法はすぐにといてもらったので、いつもの制服姿である。
「じゃあレイスは、日本のことを知ってるんだ」
「うっすらとだけどな」
レイスには、元の世界への執着心はない。生まれも育ちもこちらなのだから、当然だろうとユウは思う。けれど魂が同郷というだけで、出会う前からユウのことを気にしてくれていたというのは、嬉しくもあった。
「俺のこと気にしてくれてありがとう。でもそれなら魔法の杖より、元の世界に戻る方法を調べておいてほしかったな」
「は? 何それお前天才じゃん。偏差値五百かよ、学校通う必要ないだろ」
「いや気付かない方がやばいから」
冗談を言い合って、ユウとレイスは声を上げて笑った。笑いながら、ユウはちょっとだけ泣いた。自分のいた世界は夢幻や勘違いなどではなかったのだ。無意識に向けられる疑いの目に知らず疲弊していたユウは、同じ世界の記憶を持つレイスにほんの少し救われていた。
「何かあったら俺に言えよ監督生。元OBだから、頼りになるぞ」
「元OBってどういうことだよ」
けらけらと笑うユウの目尻の涙に気づいたレイスは、ふっと目を細めて笑った。
短いやり取りの中で、レイスもユウのことを好ましく思っていたのだ。それはレイスの姉が、レイスへ向けるような親愛に似ていて、面倒ごとを嫌うレイスがオンボロ寮の補修の手伝いを申し出る程度には重いものだった。