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我輩は猫である。名前はまだない。そして我が輩は猫である、と言ったものの、元々は人間であった。前世と言えばいいのか、何と言えばいいのか。私は元々”東京”という都で大学生をしていた。しかしある日、何の因果か歩道を歩いていた所に居眠り運転をしていたトラックに思いっきり突っ込まれてしまい、私は意識を手放した。多分死んだのだろうと思う。だが驚くべき事に、私はその頃の記憶もそのままに再び目を覚ました。そして更に驚くべき事に目覚めた時私はもう人ではなかった。そう、猫だったのである。
人間として死んで、その記憶をそのままに猫として生まれ変わった(?)私は当然猫の生き方など知る由もなく。突然の事に驚きながらもその黒い毛に覆われた体を起こし、宛も無く歩き出した。目指すは町だ。町なら(元々は人間だったため)狩りなど出来ないこのへっぽこ猫の私でも食べ物が手に入る筈だと思ったからである。要は腹が減ったのだ、私は。のんびりと歩き出して暫くすると、町らしき場所についた。人がわいわいと行き交っていて、活気がある。しかし何故か町民が皆着物を着ている。そういえば、ここに来るまでの間の風景も随分と古風だった気がする。なんというか、土と木しかない、みたいな。歩いている間はものすごいど田舎に済んでいる猫に生まれ変わったんだな、と思っていたがどうやら違うらしい。此処は何処で何時代なんだ、一体!
しかし腹が減ってはなんとやら。私は町へ入り込んで、いいにおいがする方へ歩き始めた。途中ですれ違う人々に「可愛い黒猫ちゃんねぇ」なんて囁かれて、ほう、私は可愛い部類に入るのか、と思った所で若い女性は何でも可愛いと言うのを思い出して首を振る。どうせ私も”猫”だから可愛いのだ。猫の中でも特別可愛い猫という訳でもあるまい。生憎、人間として生きていた頃の私は動物を飼った事が無かったし、飼いたいとも思わなかったので確かな事は言えないのだが。そうして歩いて着いたうどん屋さん。……いいにおいはするけど、猫じゃうどんは食べれないな。店の前でハァ、と項垂れていると、店先の椅子に座った若い男が私を見て「おや、うどん屋さんに猫なんて珍しいな」と笑った。
「ホントだ。キレーな黒猫っスねぇ」
「なぁ。もしかしてお前、腹が減っているのかい?」
若い男の声に振り返れば、そこには茶色の髪で優しそうな顔をした男と、黒髪の幼い少年がうどんをすすっていた。羨ましい、私も人間だったらその熱々のおうどんが食べられたのに。そう思って二人を見つめ返せば、若い男の方が私に声をかけてくる。
……猫に話かけるって、可愛い人だな。あと貴方の言う通りお腹が減っている。そんな意味を込めて声を出すと、当然と言えば当然ながら私の口からは「ニャア、」という可愛らしい鳴き声が出てきた。この体になってから初めて声をだしたけど、猫って普段こんな風に鳴いてたのか。
「あ、返事してる。土井センセー、やっぱこの子腹減ってんじゃないかな」
「そうだなぁ…あ、そうだ、蒲鉾食べるか?」
「って、それ土井先生が嫌いなだけじゃん」
若い男が、何か思いついた様にうどんの入った椀から箸で何かをつまみ上げる。それは、彼の言葉通り蒲鉾のようで、半月状に切られている。ホカホカと湯気を立てる蒲鉾。お腹と背中がくっつきそうなくらいお腹の減った私にはご馳走にしか見えず、くれるならくれ、という思いを込めてニャアニャアと鳴く。すると若い男は、猫である私を気遣ってか湯気を立てる蒲鉾を少し冷ましてから、自分の手に乗せて私に差し出した。
「はい、どうぞ」
「ニャアン、」
「わ、ほんとに食べてる」
有り難い!そんな思いで蒲鉾を差し出す彼に寄って行き、その手から蒲鉾を受け取る。人間だった記憶もあるのに、見ず知らずの男の手から直接食べ物を受け取るなんて不思議な気持ちだったけど今は猫だしまぁいいかと遠慮せずにかぶりつく。冷ましてもらってはいるが、ホカホカのそれはとても美味しく感じる。何故だろう、猫だからかな。蒲鉾は元々魚だし、だから余計美味しく感じるのかも知れない。
受け取った蒲鉾をさっさと食べ終わると、もう一度ニャアンと鳴く。その時に何故か自然と私の舌は口の周りを舐める。これって猫の習性なのかな。
「まだお腹減ってるんじゃないスか?」
「ええ?こ、困ったな……」
猫はうどんなんて食べないもんなぁ、と困った様に眉を下げる若い男に、これ以上催促しても何もでないであろう事を悟りつつも私は彼の足にそっと体をすり寄せる。私はうどん、食べるぞ。そう思ってニャンと鳴くも当然男に猫である私の言葉が通じる筈もなく。
「ほらぁ、土井先生が中途半端に食いもんあげたりするから」
「う、うーん…参ったなぁ……」
本当に困るなら、蹴っ飛ばすでもなんでもして追い払えばいいのに、優しい男だ。体をすり寄せる私を邪険にする事も出来ず、男は眉を下げるだけ。ついでに言えば私は今晩の寝床も欲しいのだ。家まで着いて行きたい、そして出来れば居候したい。ニャンニャンとかわい子ぶって鳴き声を出していると、うどん屋さんののれんが持ち上がって中から店主らしき恰幅のいい親父さんが顔を出した。
「おう、見掛けねぇ猫だなぁ。お客さん、なんかあげちまったのかい?」
「は、はぁ…蒲鉾を……」
「はは、そりゃあ余計に腹が減るってもんだ。どれ、ちょっと待ってな」
私と若い男を見て、店主はガハハと豪快に笑うと店の中へ引っ込んで行った。それから暫くして、もう一度のれんをくぐって顔を出す。その手には温かそうな湯気の立つお椀が乗せられていた。
「ホラ、食いな。今日だけ特別だ」
「ニャーン」
「はは、お前さん美人だなぁ」
お椀の中に盛られていたのは、ご飯に味噌汁をかけた所謂猫まんまだった。しかし私にはそれでもう十分だ!歓喜を隠そうともせず上機嫌で目の前の食事にがっつけば、店の店主は満足そうに笑って私の頭を撫でた。さっきも黒髪の少年に言われたが、私は美人(美猫?)なのか…。鏡も無いし自分の顔を見る事は出来ないから分からないけど、まぁ、そう言ってくれる人がいるのならそうなのだろう。何にせよ、顔がいいのはいい事だ。
私が上機嫌で猫まんまを平らげたのと同時、若い男と少年も「ご馳走さま」と言って席を立ち上がった。それに私も器を舐めていた舌を止め、今度は口の周りを舐めながら店主の足に擦り寄って精一杯の可愛い声で鳴く。ありがとう、のつもりでやったのだが、どうやら店主には伝わったようで「今度は裏から来いよ、」なんて次回の約束もしてくれた。恐らくこの店主は猫好きなのだろう、とてもいい人だ。
「よし、じゃあ帰ろうか、きり丸」
「はい!……って、土井先生、後ろ猫着いてきてるよ」
「え!?」
先程も言ったが、私は寝床が欲しい。猫だが元々は人間の若い女なので、野宿なんてごめんだ。いや、まぁ、猫としての生活を暫く続けていれば平気になると思うんだが、猫生一日目で野宿はちょっと。と、言う訳でこれから家に帰るであろう男と少年の後を追う事で室内での睡眠を確保したい。
「着いてきたらダメだよ、」という男にニャアンと鳴いて返事をする。勿論分かりました、なんて言ってないので、また歩き出そうとする男の後を追う私。そんな私を見て男はまた、困った様に眉を下げるのだった。