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しもやけビフォーアフター
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朝というのはただでさえダルいものだが、それに加えこの季節の布団から出たくなさは半端ない。
けどお腹すいた。何か作らないと、ここにはすぐに食べられるものはない。そろそろ起きなきゃならない。とりあえず未だボーッとする頭を覚醒させようと、両手を握ったり開いたりしてストレッチを始めたときだった。
私は違和感に気付いた。右手の人差し指の第一関節が痛い、というか固くて上手く曲がらないのだ。慌てて飛び起き、部屋の灯りをつける。自分の指をまじまじと見る。 左右の指を比べると、違いは一目瞭然であった。
右手のそれは、くびれなど全くない寸胴に退化していた。
元々決して細くはない指が、より一層醜くなってしまったことに焦る。脳内では、「どうしてこうなった」のアスキーアートが愉快な踊りを繰り広げる。
とりあえず用意した朝食も、何だかほとんど味がしない。
あぁ、神様。私は何か悪いことをしましたか?
……いえ、訊くまでもありませんでした。私は立派な幻影旅団員でした。日々悪の限りを尽くしていました。これからもきっと変わらず盗みや殺しをし続けるでしょう。神なんて糞喰らえだ。
さて、神が頼りにならないとなると、どうすればいいだろう。んー……あ、医者か。きっとお医者さんならこの奇怪な症状をどうにかしてくれるだろう。
病気といったらたまに軽い風邪をひくくらい、それもいつも市販薬でスッキリ治っていたため、私の人生で医者にかかったことはほとんどなかった。戦闘中の怪我は、マチが治してくれた。
けれど今回のこれは、素人判断でどうにかなるものじゃなさそうだ。それにこの指の醜態を、身近な知人友人に見せるわけにはいかない。私だって乙女なのだ。
* * *
指の腫れだから、外科か?と、古びた医院の門をくぐる。
人の良さそうな初老の医師は、患部を見たあと、私に2、3の質問を投げかける。
「痛みはありますか」「その痛みは左右対称ではありませんか」「朝起きたときが一番痛くはありませんでしたか」……etc.etc.
そう問われ思い返してみると、確かに腫れていない方、左の人差し指もまた、他の指と比べたら何となく痛かった気がしないでもない。それに、医者に来たという安心感からか判らないが、寝起きすぐの痛みより和らいでいるのも確かだ。
私がそれを肯定すると、医師は少し考えた顔でこう言った。
「ちょっと検査するのでね、血を採らせてもらいますよ」
あぁ、何てことだ。私の顔から一気に血の気が引いた。
血を見るのは嫌じゃない。むしろ好きだ。自分のものでも、新鮮な血を見るのはワクワクしてたまらなく好きだ。
けれど採血は嫌だ。一度健康診断だとかで血を採られたことがあるが、何でも私の血管は細いらしく、二の腕を締め付けるのも血を採る時間そのものも、周りの子の倍近くかかったように記憶している。おまけに途中から目の前が真っ暗になって、吐き気もするしとにかく最悪なのだ。
しかし、健診とは事情が違う。白魚のような手指の命運がかかっているのだ。
私には採血を拒むことが出来なかった。
* * *
待合室のあまり心地のよくないソファーに座る。案の定、採血時の体調は散々で、終わってしばらくはベッドに横にならせてもらっていた。
血管なんて細くても何もいいことない。血管はいいから、この指をどうにか細くしてくれ。
検査結果が出たらしく、再び診察室へと呼ばれる。普通なら結果が出るまで数日を要するらしいのだが、それほど立て込んでないとのことで即日調べてくれたのだ。
結果は、しもやけ。
なんとも間の抜けた症状名に、私の気も抜ける。
何でも、採血までしたのは、問診の結果医師が他の厄介な病気を疑ったかららしい。いや、ちゃんと重い病気の可能性を考えてくれたこの人はとても信頼に値する医師だし、大事じゃなかったという結果はとても幸せなことだ。
けれどもやはり、あの苦痛の採血は無駄だったのかと思うと手放しには喜べないというものだ。
処方された塗り薬を片手にとぼとぼと家路を歩いていると、何か温かく柔らかい物体にぶつかった。
「何やてるか、ビレア。俯いて歩くと危ないよ、ていうか邪魔ね。さては不細工な顔世間に見せないようにするためか。よい心がけね」
その物体は――フェイタンは、その体温とは真逆の、氷柱のような言葉を突き刺してくる。
「ん……?医者か」
「あぁ、うん。ちょっとね……」
何故判った!?と一瞬驚いたが、そりゃそうか。フェイタンの視線は、左手の薬袋に向けられていた。
私は咄嗟に、多分考える間もなかったと思う。反対側の手を後ろに隠した。けれどその不自然な動きに、誰であろうフェイタンが気づかないはずもない。
「何隠したか」
「え?い……いや、なんでもないよ?」
「いや、何か隠したね。見せろ」
「ちょっ……ほんとに何もないよ……や……」
必死の抵抗もむなしく、私のあられもない右手はフェイタンの強引さによっていとも呆気なく彼の目に晒されることとなったのだ。
あ、何かこの言い回しエロくね?とかふと思ったけど、すぐ目の前にあるフェイタンの眉間にシワが一層増えていく様に、あれ?これフザケてる場合じゃなくね?と、私はまぁまぁ正気を取り戻した。
「何ね、これ」
「……しもやけ」
「ハハ、ただでさえ醜い指が、ますます滑稽ね。とても笑える。ビレアにしてはよい仕事するよ」
自覚はしていたことだが、他者の口から聞くとやはり言葉の攻撃力が格段に増す。
それでも、言葉の通りに眉間のシワをなくして笑うフェイタンは、とても貴重だし意外と可愛くて、私はそれほど落ち込まなかったように思う。
「し……仕方ないじゃん!これはまともに料理して皿洗ってる者の勲章なんだよ!褒め称えよ!崇め奉れ!」
「そんなのビレアだけ。同じように炊事やてるパクノダの指は、とても綺麗よ」
「ぐ……ぐぬぅ」
私はこれ以上反論する術を持ち合わせていなかった。
確かにパクの指はとても綺麗。ううん、指どころか全身綺麗。とても綺麗。元々の体つきとかそういうのも勿論だけど、何て言えばいいんだろう、生活感を感じさせないっていうのかな、温もりがあるから作り物っぽいってわけじゃないんだけども、こう、苦労や努力が表に出てないんだ。そう、まるで白鳥のような―――
「……ビレア」
人間性にしろ何にしろ到底かなわないような相手を持ち出されれば、流石に凹む。
「おい、ビレア」
そうだ、今度パクにオススメのハンドクリームとかお手入れの方法教えてもらえばいいんだ!…………って、
「痛ぁっ……!!!」
右手に急激な痛みを感じ我に帰れば、フェイタンが再度か弱い私の指に力を込めるところだった。
「や……やめ、何をする!」
「お前が話きかないからよ」
「え、それって無視されて寂しかったんだね?わーい、フェイたんかわい……痛っ、ごめ、ごめんなさい、ギブですギブ!!!」
呆れたような溜め息と、黒ずくめのその背中。背を向ける瞬間ちらと見たその顔には、眉間のシワが戻っていて、まぁ私の自業自得なのだけども、やっぱり寂しい気持ちになる。
「……唐辛子」
「ん?トウガラシ?何それ、呪文か何か?」
「鳥頭、唐辛子も知らないか。料理に使う辛いやつね。あれ切て熱い湯に入れてその中に手つけると、血の流れよくなて、しもやけマシになる」
ほ……ほぇ?
「フェ……フェイタンが私に優しい…だと?これは天変地異の前触れか……!!!」
「お前なんか熱湯頭からかぶてろ」
「いやいや、何かね、すごく嬉しくて。ありがとう、フェイタンおばあちゃんみたいだね、フェイタンの知恵袋」
「馬鹿なこと言てないでささと帰るよ」
「そうだね、帰ってさっそく試してみる」
「ん」
歩く私たちの頬を、冷たい風が撫でつける。けれども、どこか温かい。あぁ、そうか―――
握り締められたままの右手に彼が気づかぬよう、私は静かに笑みをこぼした。
* * *
辛い。
えーと、この場合の辛いは、「ツラい」と「カラい」の両方。
先日フェイタンに教えてもらった例のアレを、毎日朝晩やってるのだけど、これマジ辛い。
まず、熱湯に手を入れるって辛い。拷問か。
次に、トウガラシの成分?が患部に与える刺激が辛い。
そして、これやってると部屋中の空気が辛い。口に入れるんじゃないし大丈夫かと思ったけど、やっぱ私辛いものダメだ。湯気と共に辛さが上ってきて、目にくるわ鼻にくるわでもう散々。
それでも効果は絶大で、指は既に左右ほとんど違いない細さへと戻っていた。フェイタン様様。
* * *
自室で本を読んでいると、机上の小箱が目に入った。
ああ、この前の襲撃のときついでに盗ってきたやつか。
本を閉じ、あのアホ面を思い浮かべる。想像だけで頭が熱を持つほど苛々させるなんて、ビレアは天才的なアホ面の持ち主だ。
苛々するが、まあ、こんなモノ自分で持ってても邪魔なだけだ。
息をついて小箱を手にとった時だった。
「フェイたーーーーーん!!!」
扉が勢いよく開き、振り返るとそこには実物のアホ面が満面の笑みを携えていた。
突然のことに、心拍数が上がる。この俺が気配を感じとれないはずないのに。いや、まずどうであれノック位しろという話ではあるが。
ドキドキ、苛々、本当にコイツは不快極まりない。
「あのね、フェイタンのおかげで、しもやけ治ったんだよ!ありがとう!そしてありがとう!!!」
飛びつかんばかりの勢いで駆け寄ってくるビレアを避けながら、その手に目をやる。背丈はさほど変わらないのに自分のそれより小さな右手は、確かに赤みも腫れも引いて元通りのビレアの手だ。
「熱湯トウガラシ、熱くて痛くて辛くて大変だったけど、ほんと、続けた甲斐があったよー。フェイタンこんな豆知識どこで仕入れたの?」
「あぁ……アレ、本当にやたか。またくのデタラメよ」
「は……?」
「それにワタシ、何も熱湯でやれとは言てない。唐辛子も量調節すればいい。お前つくづく馬鹿ね」
「……」
「あとビレアあの時医者の薬持てた。多分唐辛子よりもそれが効いたよ」
「……」
俯いたまま無言のビレア。いつもなら怒るのに、と不審に思い顔を覗けば、あろうことか笑っている。
「何がおかしい」
「おかしいんじゃないよ、嬉しくて笑ってるの」
「辛い思いして嬉しいなんて、マゾヒストか。気持ち悪いよ」
「えへへ、そーゆーことにしといてあげる」
本当、何なんだ、コイツは。苛々苛々苛々苛々―――
苛々ついでに手にあった小箱を投げつけると、中身がこぼれ、床に微かな金属音が響いた。
「……やる」
「え、何これ何これ!」
「ゴミ。醜いお前にピタリよ」
「……ありがと!!!」
小さな金属を拾い上げるビレアを、横目に見る。
―――ああ、やっぱり、君の指にぴったりだ。