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しもやけリターンズ
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仕事柄、やはり本領発揮時間帯は真夜中なのだ。夜行性動物が昼間に睡眠をとって何が悪い? けれどもサディスティックな太陽様は、カーテンの僅かな隙間を見逃すことなく、容赦なしに私に襲いかかってくる。
そして何より、5分前から鳴っている目覚まし時計がうるさくてかなわない。止めなきゃ止まらないことは解っているが、眠いし寒いし、こんなんじゃ例え布団から出たところで、アラームを止めようにも指が動くかどうかも怪しい。天下の幻影旅団員も、真冬という魔物の前では、かくも無力ということか。
目を覚ますため、そして手元を温めるために、手指のストレッチを始める。もう長年の日課となるそれを続けようとしたとき、私は違和感に気付いた。右手の人差し指の第一関節が痛い、というか固くて上手く曲がらないのだ。嫌な予感を振り払うことも出来ず、私は漏れ入ってくる光に手をかざし、己の指をまじまじと見る。
左右の指を比べると、違いは一目瞭然であった。
右手のそれは、くびれなど全くない寸胴に退化していた。
元々決して細くはない指が、より一層醜くなってしまったことに対する悲しみといったらない。脳内では、「どうしてこうなった」のアスキーアートが愉快な踊りを繰り広げる。
あぁ、神様。私は何か悪いことをしましたか?
……いえ、訊くまでもありませんでした。私は立派な幻影旅団員でした。日々悪の限りを尽くしていました。これからもきっと変わらず盗みや殺しをし続けるでしょう。神なんて糞喰らえだ。 大体神なんて存在するはずがない。いるもんなら、今すぐここに現れてみやがれってんだ。
そんなことを考えたときだった。一瞬の衝撃と轟音に振り向くと、無残に大破された扉、そして小さな黒い影が目に映った。
「……おい、ビレア、さきから何やかましい音響かせてるか。時計諸共二度と鳴けなくなるがいいね」
あ、現れちゃった。ほんとに死神現れちゃった。
* * *
私は時計を叩き壊し、その息の根を止めた。恐る恐るフェイタンのほうを向くと、彼の眉間には深いシワが刻まれている。ヤバい。これはからかったり面白がったりじゃ全然ないですよ?本気で怒ってるときの顔ですよ?
下手に言葉を発するべきではない。なだめようとすれば逆に彼の怒りが強まるであろうことは、散々身を持って知っている。
ここは、そう、無言での謝罪、すなわち土下座が効果的と見た。私は素早く彼のもとへと移動し、完璧なまでにスタイリッシュな土下座を披露する―――
「痛ぁっ……!!!」
土下座は賢明な判断でなかったようだ。しかしそんな事、容赦なく踏みつけられてから気付いたところで時既に遅し。
「や……やめ、何をする!」
「あぁ、これビレアの頭だたか。床にしては何か盛り上がてる思たよ」
「わー、フェイたんのドジっ子さn……痛っ、ごめ、ごめんなさい、ギブですギブ!!!」
溜め息と、小さな笑い声。やっと解放された頭を持ち上げると、彼の眉間のシワは和らいでいて、頭の痛みは依然ひかないけれども、私は幸せな気持ちで満たされた。
「何がおかしい」
「おかしいんじゃないよ、嬉しくて笑ってるの」
「辛い思いして嬉しいなんて、マゾヒストか。お前そろそろ本気で気持ち悪いよ」
「えへへ、そーゆーことにしといてあげる」
フェイタンとの会話に、ふと一年前のことを思い出す。そういえば去年も、こんな会話をしたような。フェイタンから貰った指輪、嬉しかったなー。しもやけは辛かったけど、ご褒美的な感じもしてより嬉しかった。あれから一年かー。
……ん?
「あっ……!!!」
私は咄嗟に、右手を後ろに隠した。けれどその不自然な動きに、フェイタンが気づかないはずもない。そもそも私、大声出しちゃってるしね!
「何隠したか」
「え?い……いや、なんでもないよ?」
「いや、何か隠したね。見せろ」
「ちょっ……ほんとに何もないよ……や……」
必死の抵抗もむなしく、私のあられもない右手はフェイタンの強引さによっていとも呆気なく彼の目に晒されることとなったのだ。
あ、何かこの言い回しエロくね?
「何ね、これ」
「……しもやけ」
「ハっ、馬鹿は今年も馬鹿だたか。ビレアには成長てものが見られないね」
「うぅ……努力しようと、気をつけようと、しもやけなんてなる時はなるものなんだよ!」
「それにしたて、全く同じ手同じ指て」
フェイタンは実に楽しそうに笑う。そして当の私は、彼の笑顔を密かに可愛いと思いつつも、これからの一週間を考えて、痛みのひいてきた頭が再び重くなった。
この痛痒さ、そしてあの唐辛子の辛さに耐える日々が再来するとは。パクから教えてもらったお手入れ、サボらずにもっとちゃんと毎日やるべきだった。
「ところで、それ」
「?」
ひとしきり笑ったフェイタンが指すものが何か判らず、私は首を傾げる。
と、彼は私の右手を掴んで言うのだった。
「この指輪ね。お前まだつけてたか」
「え、いや、違うよ?さっきふと思い出して、気まぐれにつけてみただけだし!今まですっかり忘れてたし!」
本当はこの一年、嬉しくて肌身離さず持っていたのだけど、急にとられた手の温度に動揺してつい心にも無いことを言ってしまう。だって、機嫌の悪くない顔と温かい手のフェイタンなんて、とってもとっても希少価値高いから。
それに、本心を口にしてしまって呆れられたら、気持ち悪がられたりなんかしたら、割と鋼製の私の心でも、流石にちょっとヒビが入ってしまうよ。
そうだ、この際フェイタンの貴重な表情をもっと瞼に脳裏に焼き付けておこう。
そう思い彼の顔に目を向けると、私の動きに気付いたのか一瞬キョトンとした後、その目元口元は弧を描き、同時に私の右人差し指には、しもやけのそれとは別種の痛みが走った。
「痛いよ、フェイたん……!何なの、何でいきなり指輪引っ張るの?」
「さき付けたばかりなら、この醜く肥えた指でもすんなり抜けるはずよ」
「それはその、一方通行っていうかね?上から下はストンといくが、下から上はちと難ありなのだよ、だからその、ちょっとこれマジで痛い」
「そうなると、もうコレ外すには切るしかないね」
「嫌だよ!フェイたんから貰った大切な指輪だもん、切るなんて絶対嫌!」
「何言てるか、切るのはビレアの指よ」
「えぇ!?それも嫌!」
本当にもう、元々歩くサディスティックの固まりだけど、優しい笑顔で吐かれると言葉の凶器具合が一層増す。身を置いてるの凶悪盗賊集団ですからね、そういった言動、私も人並み以上には耐性ありますけども、でもさ、フェイタンなら言うだけじゃなくて本当にやるからね、有言実行だからね。
「お願い切らないで!」
「冗談。本気でやるわけないよ。ビレアすごい形相、滑稽極まりないね」
「だってフェイたんならやりかねないじゃん……」
「それもそうね」
指及び指輪の危機が去ったことに安堵し、全身の力が抜けた。まったくもう、本気と冗談の区別がつきにくいフェイタンがいけないんだ。怖いから口には出さないけど。
「ところでビレア」
「何ー?」
「さき言たこと。ようやく本音言たな」
「さっき?私何か言ったっけ?」
「この指輪が何だて?」
「!!!」
あぁ、言った。さっき確かに言ってしまった。ひかれるだろうか、からかわれるだろうか。 彼の表情を伺うが、意地悪そうな、それでいて優しそうな笑顔は、腹の底を探る手がかりになるどころか邪魔をする。
「それは、その……」
「流石鳥頭、数分前のことすぐ忘れる」
「いや、違うよ、覚えてはいるのだけど、覚えているからこそ、その」
「じゃあ何て言たか」
「その、つまり……フェイたんから貰った、大切な指輪だ、って」
「最初からそう素直に言えばよかたよ」
少しの溜め息、のち、耳元に「よくできました」の声、ときどき、頭に優しい手の重み。
相変わらず捕らわれたままの右手は、この冬の最高温度を記録するでしょう。
鏡を見ずとも、顔が真っ赤になっているだろうことが容易にわかる。不敵な笑みを浮かべる彼の表情に、一層火照るのがわかる。
寒さも眠さもすっかり治まったけれど、今すぐ頭から布団をかぶりたい。
冬からこの調子なんて、次の夏はどんな猛暑が襲ってくるのだろうか。