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ひとひら
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そのひとが初めて店に来たとき
妖精が、店に迷い込んできたと思った。
歳も性別も、わからなかった。
白い肌。つん、と上を見た鼻。
なにより存在が
佇まいが透明。
深く帽子をかぶっていても隠せない
誰とも違う雰囲気。
わたしはちょっと緊張しながら
あの…
なにかお探しでしょうかと聞いた。
「あの…これを1輪ください」
その声で、
少年ではないのだと判った。
指の先にあったのは入荷したばかりの
リオサンバという
溌剌としたオレンジの薔薇だった。
「はい、これから、咲くほうがいいですか?」
今日、いま咲いているのがいいのだと
彼女は答えた。
ほんとうに、何とも言えない声だ。
薔薇の香りのよう。
「リボンはおつけしますか?」
「いえ、自分用なので…でも
名前を教えていただけませんか」
リオサンバ、と答えると
ぱっと目をあげて、
可笑しそうに
わたしをみてわらった。
はじめてよく見えた顔は
ほんとうに、うつくしい妖精のようだった。
彼女は丁寧に花を受けとる。
視線がわたしの手におちる。
フローリストの手は、
乾燥してひび割れて
決して見つめるような代物ではないのに。
そしてまた、視線を戻して
わたしをまっすぐみて
また、来ますと言った。
印象的な後ろ姿。
……
この都心の花屋に勤めているのは理由がある。
チェコ赴任でお世話になった方から
どうしても、3ヶ月だけ、と
お願いされた。
東京でぼんやり1ヶ月を過ごしていたわたしには
断る理由がなかった。
結婚前は花屋だったから、仕事に問題はなかった。
新婚で夫についてチェコで三年暮らした。
そして次はここ、東京。子供はいない。
故郷じゃない。
友達もいない。知り合いも少ない。
この店がなければほんとうに
ニートだった。
………
日が暮れれば今日も
いつもと同じ閉店の作業。
ひとつひとつ重い花入れを抱えながら
ふと「また来ます」の声が甦る。
ほんとに妖精だったのかも、と思う。